6:使用人の仕事
それから数日経つ頃には、男に囲まれた生活にもかなり慣れてきていた。
不意に至近距離に立つと緊張してしまう癖はなかなか抜けないが、対面で話したりする分には穏やかな気落ちで対応できるようになっていた。
また、大変に思われた仕事にも慣れ、ある程度余裕を持ってこなせるようになっていた。
その日も、朝食の片付けを終えたレシリスは、怒涛の忙しさのまま山のように積まれた衣類やシーツの洗濯に取り掛かっていた。
裏庭の井戸から水を汲み、大きな桶でざぶざぶと洗っては、丁寧に水を切って物干しに掛けていく。
量が多いためかなりの時間を要してしまうが、二人の見習い騎士と共に一つ一つ手を抜かずにこなしていった。
それらを全部干し終える頃には、もう昼食の準備を始めなければならない時間になっていて、大急ぎで昼食の用意を始める。
一番隊から三番隊の騎士達が食べている間に夕食の下拵えをある程度までやっておき、騎士達が食べ終わると食器を片付け、屋敷内の掃除に取り掛かった。
ギルファとゼオンの他に、三人の見習い騎士と手分けして屋敷内を掃除する。
元々貴族の屋敷だっただけあり、無駄に広い屋敷内を掃除するのはなかなか骨が折れるが、文句や弱音を吐いている暇は微塵もない。
レシリスは玄関ホールと一階の廊下を担当する事となり、床を掃いては柱や階段の手摺を雑巾で拭く作業をしていた。
と、不意に気配を感じてレシリスが振り返る。
それとほぼ同時に玄関の扉が開き、町の見回りを終えたらしいディアレスが、一番隊の騎士達を率いて入ってきた。
城下町であるレイモストは細い路地が多いため、見回りは徒歩で出る。緊急事態があれば馬も使うが、訓練以外で騎士たちが乗馬する事は滅多にないという。
「おかえりなさい。お疲れ様です」
手を止めて笑顔で一礼すると、騎士達も表情を緩め、口々に労いの声を掛けながら屋敷内へ入っていく。
レシリスは、騎士達が自分に気を遣ってくれているのを感じていた。
やはり故郷にいた柄の悪い男共とは、全く人種が違うのだと痛感する。
男嫌いだったレシリスだが、こうした騎士達の紳士的な振る舞いのおかげで、徐々に彼らに対する無意識の恐怖心は薄れてきていた。
と、不意に先頭を歩いていたディアレスが何を思ったか立ち止まり、柱の一部分を見つめた。他の騎士達に何かを告げて先に行かせると、彼はレシリスを一瞥する。
きょとんとしながらレシリスが彼に近付くと、彼は再び視線を柱の一部分に向けた。
「……此処、汚れているぞ」
スッと手を伸ばし、彼は自分の目線より少し高い所にある柱の装飾部分を指差す。確かに彼が指す所には薄っすら埃が積もっているが、彼より頭一つ背が低いレシリスは、背伸びをしてようやくその埃を確認する。
「あ、本当だ……すみません、気が付かなくて」
レシリスは手を伸ばして丁寧に埃を拭き取りながら、何だか急におかしくなってクスクスと笑う。
「ディアレスさん、物語に出てくる意地悪な継母みたいですね……」
それを聞いた彼は、いかにも心外だと言いたげな顔をした。
「俺は嫌がらせのつもりで言った訳では……」
「解ってますよ。私の身長だとこの高さの汚れは気付かないだろうと思って、教えてくれたんですよね」
ありがとうございます、そう言って彼女はにっこりと笑う。
嫌味や皮肉ではなく、それは彼女の本心だ。
そして彼女の言葉は図星だったようで、ディアレスは居た堪れなさそうな表情で視線を逸らした。
「注意されているのに礼を言うとは変な女だな」
「あら、注意をされなくなったら、人は成長しなくなりますよ。注意してくれる人がいるのは、ありがたい事じゃないですか」
レシリスはにこにこと上機嫌に言う。ディアレスはその言葉に一瞬虚を衝かれたような顔をしたが、やがて小さく首肯した。
「……確かにそれは一理あるな」
「でしょう?」
ディアレスが自分の意見を認めてくれた事が嬉しく、レシリスは満足そうに頷いた。
と、その時奥の廊下から足音が響いてきた。
二人が振り返ると、ガルウィスが何やら難しそうな顔をして此方へやってくる所だった。彼はディアレスを見るなり、少し困った様子で口を開く。
「ディア、昨日の会議の報告書だが、明日中に国王陛下に提出しろと連絡があった……できるか?」
それを聞いたディアレスが、嫌そうに顔を顰める。
「明日中?」
「国王陛下からの命令だ」
「……承知しました」
不満を絵に描いたような顔で頷いたディアレスに、ガルウィスは無表情で付け足す。
「陛下の命令は絶対だが、安請け合いはするなよ。できないなら今の内に……」
「いえ、やります。問題ありません」
彼の言葉を遮って、ディアレスは強い口調で言い切った。
それを受け、ガルウィスは一瞬何か言いたげな顔をしたが、頷いて踵を返して行ってしまう。
「……あの、もし何か手伝える事があったら言って下さいね」
何やら大変そうな気配を察知して、レシリスはおずおずと声を掛ける。
ディアレスは彼女の申し出に驚いた顔をしたが、すぐに淡い笑みを浮かべて首を横に振った。
「これは俺の仕事だ。お前に手伝ってもらう事はできない」
「……そうですか」
そう断られては何も言えず、レシリスは大人しく引き下がった。
「お前はお前の仕事をしっかりやれば良い」
それだけ言い残すと、ディアレスは自室へと向かっていった。
その後レシリスが掃除を終える頃には、もう太陽が傾き始めていた。
急いで掃除道具を片付け、かごを手に夕食の買い出しに出掛ける。ある程度の下拵えはしてあるが、付け合せに使う野菜が足りないのだ。
丁度台所に向かってきたギルファに声を掛け、二人で市場へ向かう。
と、並んで歩きながら市場へ入る直前、人混みの中でレシリは突然腕を捕まれ、路地に引きずり込まれた。
「っ!」
咄嗟に腰に挿していた剣を引き抜きかけたが、自分の腕を掴んでいる人物の顔を見て思い止まる。
安堵と驚きが入り混じった溜め息と共に、その名を呟いた。
「ジアルドさん……!」
其処に立っていたのは、森でレシリスを助け、《白》へ導いた銀髪の青年だった。
彼はレシリスを見て穏やかに微笑むと、暢気な口調で言った。
「よぉ、元気そうだな」
「おかげさまで……でも、何もこんな呼び止め方をしなくても……」
無駄に驚かされた事に不満げな視線を向けるが、彼は飄々と肩を竦めるだけだ。
「お前の姿を見つけたから、ついな」
「ならどうしてこんな路地に……」
「人混みで話す事が苦手でな。互いの声が聞こえなくて苛々するだろう?」
彼はけろりとそう言ったかと思うと、レシリスが何か言う前に、ふと真面目な表情になった。
「で、仕事はどうだ?」
急に話題が変わり、レシリスは思わず口をへの字に曲げる。
「大変ですよ。何しろ六十四人もの騎士の方々のお世話をするんですから」
「そうか。噂の鬼隊長はどうだ?」
「……知っていて私を紹介したんですか?」
少しばかり恨みがましくジアルドを見上げる。
実際ディアレスの事を鬼だとか厳しすぎるとか思っている訳ではない。
まだ出逢って間もないが、ただ極端に真面目な性格なのだと認識している。
だが問題はそこではなく、何も教えてくれないまま《白》の宿舎に連れられた事が、少しばかり悔しいのだ。
しかしそんなレシリスの心境を知ってか知らずか、ジアルドは愉快そうに笑う。
「厳しい隊長のせいで使用人の女が辞め、人手が足りない状況であるのだと知らなければ、お前を紹介する理由もないだろう?」
「……ごもっともです。でも、知っていたなら詳しい事を教えてくれてから紹介してくれたって……」
「面倒な事は嫌いな性質なんだ。それに、俺が話さなくても、どうせ屋敷の人間が説明するだろう?」
何だか言い負かされたような感覚で、レシリスは口を噤んだ。ジアルドはそんな彼女に構わず続ける。
「で、総団長や他の隊長はどうだ?」
「皆とっても優しいですよ」
「ほぉ……」
感心した風情でジアルドが頷く。それから、何か思うように目を細めた。
「……実はな」
しかし何か言いかけた彼の言葉に被さるように、レシリスの名を呼ぶ声が聞こえた。
ギルファが、レシリスがいなくなった事に気付いたようだ。
「あの、夕飯の買い物と仕度があるので……」
話を切り上げようとするレシリスに、ジアルドは自嘲気味な笑みを零した。
「ああ、そうか、それはそうだよな」
「何か言いかけたようでしたけど……」
「いや、大した事じゃない。呼び止めてすまなかったな。じゃあ、また……」
彼は現れた時と同じ穏やかな笑みを浮かべて去っていった。
(紹介した後も心配してくれて、親切な人だな)
そんな風に思いながら、彼女はギルファと合流し、改めて市場へ向かったのだった。
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