19:焦燥
その翌日には、レシリスは普段通りの生活に戻っていた。
騎士達には、自分が《紅》からスパイとして送り込まれた存在である事を伏せ、昨日は《紅》の過激派に襲われたとだけ説明した。
そうした方が良いと、ディアレスが提言したのだ。
その話を聞いた騎士達、特に昨日の帰宅時の様子を知るギルファとゼオンに気遣われながらも、レシリスはしっかり仕事をこなしていった。
皆の優しさに改めて触れたレシリスは、皆を裏切らずに済んで本当に良かったと心から思った。
午後になり、玄関から門までの間を掃除していると、三人組みの騎士が外から戻ってきた。
レシリスは箒を手に、笑顔で一礼する。
「おかえりなさい! お疲れ様です」
白銀の鎧を纏った彼らは、見回りに行っていた二番隊の騎士達だ。笑顔のレシリスを見ると、皆表情を綻ばせて一礼する。
「ただいま戻りました」
「……あの、町の様子はどうでした?」
昨日自分を襲った男達がまだ近くをうろついていたら、そう思うとやはり怖い。
一人が相手なら恐れるに足らないが、四人集まった挙句卑怯な手に出られると、また昨日のような状況になりかねないのだ。
レシリスの顔にはそんな心配が如実に表れていた。それを払拭するように、騎士達は心強い笑みを浮かべて答える。
「今日も平和です。怪しい人物は見受けられませんでした」
「例え再び《紅》の連中が襲ってきても、僕達が護ります」
「だから、安心して下さい」
彼らの気遣いが嬉しくて、レシリスも笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
と、其処へヴィゼットが屋敷の方から現れた。
「君達、ディアレスを見なかったかい?」
彼は帰ってきた二番隊の青年達とレシリスを見比べるようにして尋ねる。
ディアレスを含む一番隊は、今日は非番だったはずだ。昼食以降は皆自主的に庭で稽古していると思っていたのだが、いないのだろうか。
「いえ、お昼ご飯以降見てませんけど、一番隊は自主稽古で庭にいるのでは……?」
レシリスが首を横に振る。しかし、三人の青年は顔を見合わせた。
「ディアレス隊長なら、さっき市場の方へ走っていきましたよ」
「え? 市場の方?」
「ええ、随分急いでいる様子でしたけど……」
その言葉に、ヴィゼットがすっと目を細める。
「そうか……」
「何か急用でも?」
レシリスが問うと、彼は小さく息を吐いた。
「いや、急ぎの用という訳ではないんだが……それにしてもディアレスが、市場の方へ行くなんて、珍しいな」
彼がそう呟いた。その言葉に、レシリスがはっとする。
「まさか……っ!」
弾かれたように踵を返し、放り投げるようにして箒を置くと、代わりに剣を取って屋敷を飛び出す。
「ど、何処へ……っ?」
二番隊の騎士三人と再びすれ違う瞬間に尋ねられたが、レシリスは「ちょっと其処まで!」と叫ぶのが精一杯だった。
全力疾走で市場の先、町外れの教会を目指す。
走りながら、昨日のディアレスの言葉を思い返した。
『あの連中は必ず《白》が捕える。だから安心しろ』
きっと、ディアレスはたった一人で昨日の男達を捕えに行ったのだ。
そうでなければ、見回りでもないのに彼が一人で市場の方へ向かう理由がない。
今日ならば、昨日の男達があの辺りに潜伏している可能性も高いだろう。
だがそれよりも、昨日レシリスを襲った男達はディアレスを恨んでいるはずだ。
もし仲間を集めて報復しようと目論んでいたら、彼一人では流石に危険だ。
昨日の今日でまだ怒りも治まっていない所へ、恨んでいる人物が現れたら、どうなるかは火を見るより明らかだろう。
(ディアレスさん……っ!)
脳裏に優しい笑顔が浮かぶ。
真面目故の厳しさの裏に、とても温かい優しさがある事を、レシリスは知っている。
もうあの笑顔が見られなくなるかもしれない、そんな縁起でもない事を考え、レシリスは身震いした。
その恐怖とも言える感情は、あの男達に手籠めにされそうになった時に感じたものよりも、遥かに強いものだ。
今一人であの教会を目指す事が危険なのは解っている。
またあの男共に囲まれ、昨日と同じような状況に陥るかもしれない。それが怖くないといえば嘘になる。
しかしそれでも、ディアレスの事を想うと、自然と足は進んでいた。
ディアレスを失うくらいなら、昨日のような状況の中に飛び込むくらい、なんて事ない。そう思えた。
勿論、ディアレスは強い。剣を交えたレシリスは、彼が一番隊の隊長の名に恥じぬ強さを有していると、よく知っている。だから、彼が簡単にやられるはずがないと、頭では解っている。
しかし、理屈では抑えきれない不安が、彼女の心を支配していた。
お願いだから、どうか、どうか。
無事でいてほしい。願うのはそれだけだ。
その胸を締め付ける憂いを払拭するように、レシリスはひたすら走った。
しかし、市場を抜けて、あと少しで町外れの教会が見えるというところで、路地から現れた人影がレシリスの行く手を阻んだ。
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