18:優しい騎士
彼方此方擦り傷だらけの身体に温泉は沁みたが、あの男共に触れられた腕や髪から穢れを取り除いてくれたような気がして、随分心が軽くなった。
充分温まって部屋に戻り、ベッドに入ると、程なくしてドアがノックされた。
「どうぞ」
部屋に入ってきたのは先程の言葉通り、ディアレスだ。彼はトレーを持っていて、見れば小鍋と取り皿が載っている。
「夕食だ」
言いながら、ベッドサイドにそれを置く。ふんわりと、いい匂いが鼻をくすぐった。
レシリスが上体を起こし、小鍋の蓋を開ける。
すると、先日自分がディアレスに作ったのとはまた違うリゾットが、柔らかな湯気を上げた。
「リゾット……?」
「味の保証はできないぞ」
「えっ? ディアレスさんが作ったんですか?」
驚いて彼の顔を見ると、彼は視線を彷徨わせて小さく咳払いをした。
「俺が唯一作れる料理がそれだ……幼い頃に、母から教えてもらった」
「いただきます」
レシリスは口元を緩ませながら小皿に取り分け、それを頬張った。
「美味しい……とっても、優しい味がします」
その温かさにほっとする。まるで、ディアレスの優しさを表しているかのように思えた。
「……そうか」
ディアレスも安堵とした様子で、書き物机の椅子をベッドの横へ引っ張り、腰掛ける。
「……でも、わざわざディアレスさんが作るなんて……」
嬉しいが、何だか申し訳ない気がして、レシリスは眉を下げる。すると彼は小さく肩を竦めた。
「食欲はなさそうだから、消化が良いものをと思ってな……見習い達に作るよう言おうと思ったんだが、彼奴等には彼奴等の仕事がある」
彼は見習い騎士達の事まで気遣って行動している。
一番隊の隊長というだけで、他の騎士とは比べ物にならないほど忙しいはずなのに、末端にまで気を配る彼はまさしく隊長の器であろう。
「……ありがとうございます」
「お前には先日から世話になりっぱなしだったからな。丁度良いだろう」
夜食を差し入れした事と、報告書を城へ届けた事を言っているのだろうが、レシリスは至極真面目に言い返した。
「私は皆さんのお世話をするためにいるんですから、それは当然です。ディアレスさんは私になんて気を遣わなくても……」
「良いんだ。気にするな」
少し強い口調で遮られ、レシリスは口を噤んだ。言い返せない雰囲気を感じて小さく頷き、リゾットを口へ運ぶ。
彼女がリゾットを食べ終えるのを見計らって、ディアレスは表情を引き締め、口を開いた。
「お前を襲った男共だが……」
「はい。《紅》の人達だと言っていました……」
「やはり……」
顎に手を当てて頷くディアレスに、レシリスは意を決して口を開いた。
「あの、今から私が話せる事は全て話します……最後まで、聞いて下さい」
「……解った」
レシリスの様子から何かを悟ったようで、彼は静かに首肯した。
彼女は一呼吸して、語り始める。
「私は故郷を出てからずっと歩き続け、レイモストの手前の森で倒れました。その時助けてもらった人に仕事を紹介してもらい、此処へ来たんですが……」
そこまでは先日は話した通りだ。しかし、問題はそこからだった。
レシリスさえ、此処へ来てから知らされた真実があるのだ。
「実は、その人が《紅》の人間で、私は《白》の情報を聞き出すために、此処へ送り込まれたのだと、先日知ったんです」
「……どういう事だ?」
ディアレスが眉を顰める。レシリスは布団をぎゅっと握り締め、搾り出すように続けた。
「先日、私を助けた人の仲間だという人から、聞かされたんです……《白》の情報を探るために、たまたま森で倒れていた私を利用しようとしたのだと……でも、私にとって《白》の皆さんは、本当の家族のように接してくれました。だから裏切るなんてできなくて……でも、森で命を助けてもらったのも、事実で……」
アルクに事実を突きつけられて以来渦を巻いていた葛藤。
命の恩人か、仲間か。
自分一人の行動で、誰かが命を落とす事もありうる現実。
それが、怖かった。
「でも、私は《白》の人間として生きると決めました……だからちゃんと断るために、その人がいるという町外れの教会へ行ったんです」
「その結果が、あの男共か」
「……はい。その人は解ってくれました。何も知らせずに送り込んだ自分達にも問題はあるから、と……でもそれを聞きつけた過激派というあの人達が……」
その後の事は、思い出しただけで身震いしてしまう。
自分を手籠めにしようと伸ばされたあの手が、瞼に焼きついて離れないのだ。
あと一歩ディアレスの到着が遅ければ今頃自分はどうなっていたか、考えるだけで恐ろしい。
「……そうか」
ディアレスは小さく頷いた。どうやら事情を理解してくれたらしい。
そして、そっと彼女の頭に手を置いた。
「……辛かっただろう?」
その言葉に、レシリスははっと目を瞠った。顔を上げると、とても穏やかで優しい蒼の瞳と出会う。
「……私を、信じてくれるんですか?」
「当然だ……お前が嘘をつくような人間でない事ぐらい、最初から解っている。そうでなければ、騎士達もお前を受け入れたりしないだろう」
そうまで言い切られてしまうと、嬉しさを感じると同時に、胸の奥がチクリと傷む。
今彼に話したのは全て事実だが、肝心の部分は明らかにしていないのだ。
「……斬られるかと、思ってました」
つい本音が口を衝く。
いくら情報を《紅》へ渡していなくても、その頭と仲間の顔と名前を知っていながら口にしないという罪悪感が、そうさせたのだ。
「斬られるような事を、何かしたか?」
ディアレスは変わらず優しく尋ねる。
そんな事はしていない、彼女がそう答えると信じているからだ。
「い、いえ……」
何もしていない。何も言っていない。
そう、言っていないのだ。
嘘もついていないが、敵に関する情報を持っていながら、それを隠している。
「……本当ならばその話を聞いた時点で、お前を問い詰め全てを明らかにしなくてはならないんだろうが……」
狙い澄ましたようなタイミングでのその言葉に、レシリスはどきりとする。
しかし、それに続く彼の口調は、とても穏やかだった。
「もしそれが、お前の心を抉る事になるなら、俺にはできない」
「……え?」
レシリスが目を瞬く。彼は僅かに視線を落とした。少し自嘲気味な笑みを零し、少し話題を逸らす。
「……お前が此処へ来た初日、俺と剣を交えただろう?」
「はい」
「最終的に俺がお前の剣を弾いて勝利した、という形になっているが、お前はあの時、意図的に剣を止めただろう?」
「そ、そんな事は……」
「正式な勝負ではないにしろ、サイファも見ている中で、一番隊の隊長である俺に勝ってしまう事がどういう事か、咄嗟に頭を過ぎったんじゃないのか? だから決め手を打てる瞬間に手が止まった。違うか?」
レシリスは一瞬迷った様子で視線を彷徨わせたが、やがて観念したように深々と息を吐き出した。
「その通りです……私と初めて剣を交えると、大抵の男性は見慣れぬ私の剣術に戸惑い、大きな隙を作ります。普段はその隙を衝いて剣を弾いたりするんですが……あの日、ついそうしてしまいそうになって、そうなったらディアレスさんの立場がなくなってしまう事に気付き、咄嗟に動きが止まったんです。手加減をしたとか、そんなつもりはないんですけど……気分を悪くされましたか?」
顔色を窺うように上目遣いで彼の顔を覗き込むと、彼は予想に反して優しい表情のままだった。
「いや……寧ろ、俺の立場を考えてくれた事に、感謝する」
「そ、そんな、とんでもない……」
「……お前が先に俺の立場を考えて行動をした。今度は俺がお前の事を考えて行動する……だから、お前が言おうと思うまで、俺からは何も聞かない」
そう言うと、彼は席を立った。椅子を元の位置に戻し、レシリスの傍らに立つと、そっと彼女の髪を撫でる。
「あの連中は必ず《白夜》が捕える。だから安心しろ……もし今日の事が辛いなら、数日休んでも良い。総団長へは俺が報告しておく。無理だけはするな」
彼の気遣いに、レシリスは心が温まるのを感じ、笑顔で応じた。
「ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。明日からはちゃんと仕事に戻ります」
大丈夫。だって、自分を護ってくれる人が、此処にはいるから。
レシリスの笑顔を見て、ディアレスもふっと笑みを浮かべると手を放した。
「そうか……じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
彼は静かに部屋を出て行った。
残されたレシリスは、まだ彼の手の感触が残る己の頭に手を乗せ、思わず表情を緩めたのだった。
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