15:決意
翌日、レシリスの表情は晴れやかで、悩んでいる様子など微塵もなかった。
《紅》に《白》の情報は渡さないと、決めたからだ。
(やっぱり、私を優しく受け入れてくれた《白》の人達を、裏切る事はできない……)
昨夜の、ディアレスの眼差しと、温かい掌を思い出す。
自分を信じてくれるディアレスを裏切り、傷付ける事はしたくなかった。
だが、ジアルドに命を救われた事は事実であり、自分をこの温かい場所へ導いてくれたのも、他ならぬジアルドである。
礼儀は、通さなければならないだろう。
(……今日、夕食の買い物に出ると言って、教会へ行こう)
ジアルドが教会にいるかは解らないが、アルクにだけでも、直接しっかり断りを入れなくてはならない。
例えそれが、許されない事であったとしても。
レシリスはそう自分に言い聞かせ、掃除を終えると、かごも持たずに一人で屋敷を出ようとした。
「レシリス、何処へ行くの?」
箒を持ったギルファに見つかってしまったが、屋敷を出て行く口実を考えていたレシリスは、平静を装って答える。
「昼食の時、スパイスの瓶が残り少なくなってたから、買ってこようと思って。掃除が早く終わって時間もあるし」
「じゃあ僕も行くよ」
「スパイスの瓶一つだから、私一人で大丈夫よ。ちゃんと剣は持っていくし……だからギルファはゼオンと一緒に、夕食の仕度を進めてて」
案の定同行を名乗り出たギルファだが、買い物の内容が少ない事と、レシリスの剣の腕を知っている事で、渋々頷く。
「……解った。じゃあ、気を付けてね」
「ありがとう。いってきます」
笑顔でそう言うとレシリスは屋敷を出た。急ぎ足で町外れの教会を目指す。
レイモストは王都だけあって、かなり広い。
《白》が滞在する宿舎から王城まではさほど遠くなかったが、王城を通り過ぎた先にある町外れまで行くとなるとその倍は時間が掛かるだろう。
レシリスは途中から駆け足になって、教会を目指した。
ようやくその場所に辿り着いた頃には、もう辺りはオレンジ色に染まりきり、東の空から藍色が広がってきていた。
その小さな教会は、庶民が祈りを捧げに日常的に訪れているようだった。
レシリスは弾んだ息を整えながら、教会の扉を押し開けた。
祭壇の前の椅子に腰掛けじっとステンドグラスを見つめていた青年が、その音にゆっくりと振り返る。
「……来たか」
それは紛れもなく、レシリスに真実を突きつけ、この場所へ来るよう告げた青年アルクだった。
「……聞くまでもなさそうな顔をしてるけど、一応聞く。アンタの答えは?」
彼は立ち上がると、レシリスに向き直った。彼女は彼に歩み寄り、真っ直ぐに彼の藍色の瞳を見据え、答えた。
「私は《白》を裏切れない。だから情報は渡せない……それが答えよ」
「……そうか。まぁ、何となくそうなるだろうとは思ってたけどな」
アルクは意外にも、軽い返答で肩を竦めた。予想外の反応に若干拍子抜けしながら、レシリスは神妙な面持ちで続ける。
「ジアルドさんには、命を助けてもらった上に仕事までお世話して頂いて、本当に感謝してる……恩を仇で返すのは本当に申し訳ないけど、《白》の情報は渡せない。でも、貴方達の事も何も言わない……それで、許してもらえませんか?」
それが、レシリスが考え抜いた答えだった。
命を助けられた恩を仇で返す事になるなら、せめてその仇を小さくしたいと思ったのだ。
《白》の皆を裏切る事はできない。だから《紅》に情報は渡せない。
しかし、今回の事を全て自分の胸だけに留めておけば、《白》の者がジアルドやアルクの所在を知る事はないのだ。
「……まぁ、今回の件は、アンタに詳細を一切話さなかったジアルドにも問題がある。俺はアンタを責めようとは思わねぇよ」
彼の言葉に、レシリスは驚きを隠せなかった。まさかそんなに物分りが良いとは思わなかったのだ。
しかし、次に続く言葉に、息を呑む。
「だが、《紅》の過激派の連中は、裏切り者を絶対に許さねぇ……気を付けろ。俺が何も言わなくても、奴等はすぐにアンタが《白》を選んだ事に気付くぞ」
反国家勢力《紅》の過激派。
それが一体どういうものなのかは解らないが、アルクの表情から察するに、自分にとって良いものでは決してないのだろう。
自分が《白》を選んだ事で、《紅》の者から恨まれるのは、致し方ない。
命を狙われたとしても、文句を言える立場ではないだろう。
勿論そう簡単に殺されるつもりはないが、覚悟ならば此処へ来る時点でとうに固まっている。
「……それが私の下した答えに対する代償なのだとしたら、私は逃げも隠れもしないわ」
一呼吸置いてから、レシリスはしっかりとした口調でそう断言した。
決意に満ちた彼女の表情に、アルクはふっと微笑んだ。
「良い覚悟だな……何かジアルドに伝える事があれば、聞いておいてやるぞ」
「……命を救い、仕事を与えてくれた事に、本当に感謝しているとだけ、お願いします」
それだけ言い置いてレシリスは身を翻した。そのまま、教会を後にする。
「……もっと早く、違う形で出逢っていたら、良い仲間になれてたかもしれねぇな」
去っていくレシリスの後姿を眺めながら、彼は小さく呟いた。しかしその呟きを聞いた者は誰もおらず、その声は教会の神聖な空気に溶けていった。
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