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14:レシリスの過去

 静かに淡々と、レシリスは言葉を紡いだ。


「ええ……私が生まれ育ったヘルイストは、ブラスタリアの外れ、険しい山と深い森を越えた奥にあり、とても治安の悪い村でした」


 生い立ちを話し始めた彼女に、ディアレスは真摯に頷きながら耳を傾けた。


「村は勿論、周りを囲む山も森もブラスタリアの領土でしたが、あまりに隔離された土地柄、村の行政は全て領主が取り仕切っていました。でも、この領主は法外な税金を要求し、払えない家は皆殺しか、若い娘がいれば税金と称して連れ去り、好き放題弄ぶというような、最低の人間だったんです」


 その話に、ディアレスの眉が顰められる。

 しかしそれに対して何か言うでもなく、話を全て聞こうと、無言で続きを待つ。


「村の治安を守るべき領主が、犯罪の取り締まりもせずただ豪遊する日々を送っていたので、当然村の治安は悪化する一方。いつの間にか、女一人で外へ出れば確実に草薮に連れ込まれ乱暴される、そんな村になっていました」


 レシリスの脳裏に、凄惨な光景が蘇る。


 村に蔓延っていた柄の悪い男達に手籠めにされてしまった、少女達の姿だ。

 襲われた恐怖で二度と外へ出られなくなった娘、名前も知らない下衆の子を腹に宿し心が壊れてしまった娘や、ボロボロの状態で茂みに捨てられ命を落とした娘、命は取りとめたもののショックが大きく自ら命を投げ打った娘もいた。


 その惨状を目の当たりにするたび、男という生き物に対する嫌悪感が増していったのだ。


 脳裏を駆けた嫌な記憶に、レシリスは拳を握りしめ、自分を落ち着けるように息を吐いた。その表情は辛そうに歪んでいる。


 そんな彼女を痛ましげに見つめ、ディアレスは静かに問う。


「……だから、お前は剣術を……?」

「はい。幼い頃に、父から『女であるお前がこの村で生きていくためには、強くならなければいけない』と言われ、徹底的に剣術を教え込まれました……でも、どんなに剣の腕を磨いても所詮私は女です。真正面から男の人と戦っても、勝てません」

「それであの不思議な剣の流れを……」


 妙に納得した様子で頷くディアレスに、レシリスは淡々とした口調で答えた。


「ええ。相手の力をそのまま受け流し、勢いを利用して隙を衝く。私が男の人に負けないために、身に付けた技です」

「そうか……」


 ディアレスは愕然としていた。


 自分より年下の少女が、これほどまで過酷な人生を歩んできた事が、衝撃だった。

 彼女の剣の強さを彼はかなり評価していた。

 しかしその強さの裏には、そんな悲しいエピソードが隠れていたのだ。


 貧しい村や町がある事は勿論知っている。

 だが、そうまで治安の悪い村の話など聞いた事がなかった。

 貧しい暮らしの敵は、作物の実りを左右する厳しい天候ばかりだと思っていた。

 しかし彼女の話では、敵は人間であり、女の敵は男だという。


 信じられなかった。

 男は、自分より力のない者を護るものだと思っていたのに。


「……何故、誰も逃げ出そうとしないんだ? いくら領主であっても、村民がいなくなれば何もできないだろう? それに村民全員で掛かれば、反乱だって……」


 当然とも言えるディアレスの疑問に、レシリスは膝の上に置いた拳を、更に強く握り締めた。


「逃げ出したくても、周りは深い森と険しい山に囲まれていて、税金も払えないような貧しい家の者が、生きて外に逃げられるだけの食料を用意するなんてできません。それに、領主が村の周りに見張りを巡回させていたので、簡単には逃げられないんです」


 自分が逃げ出した際の、山の険しさと森の深さを思い出す。

 切り立った崖、陽の光さえろくに届かぬほど鬱蒼とした密林。何日がかりで脱したかさえ覚えていないほどの日数で、ようやく太陽の下に出たのだ。


 多めに用意した食料も、それまでに尽きた。家族がいる者では、全員での脱出は不可能だろう。


「反乱を起こしたとしても、領主は武器を大量に所有していたので、犠牲が出るばかりで何も解決しないでしょう……だから、治安の悪い村で生きていくという選択肢だけしか、残されていなかったんです」

「じゃあ、お前はどうしてレイモストへ来たんだ?」


 その問いに、レシリスは視線を落とした。


「ある日、何故か領主の息子に気に入ったと言われ、屋敷へ呼びつけたんです。でも、領主の屋敷へ行って何も起こらないはずがありません。だから私は、村から逃げ出したんです」

「……家族はどうした?」

「母は私を産んですぐに、父は二年前に病気で亡くなりました……だから私にはもう、家族はいないんです」


 そう言った彼女の瞳は、寂しげに揺れている。ディアレスは思わず眉を下げた。


「すまない、悪い事を聞いたな」

「いえ、良いんです」


 レシリスは切なげに微笑む。こればかりはどうしようもない事なのだ。

 寂しさを嘆いたところで、天国の両親が還ってくる訳ではない。だったらせめて、天国の両親が誇りに思ってくれるような娘になろうと、父親が旅立った日に誓ったのだ。


 だからどんなに寂しくても、それを嘆いて涙する事は、もう二度とない。


「一人だった分、逃げ出すのもまだ楽でしたし」


 ディアレスが気にしないように、レシリスは努めて明るく付け足した。

 彼は彼女の心境を悟り、僅かに息を吐くと、話題を変えて尋ねた。


「……見張りや森、山は大丈夫だったのか?」

「一人だったので、闇に乗じてなんとか……森と山も、保存食を多く用意したのでどうにか越える事ができました……ただ森を抜けるまでに食料も尽き、レイモストの手前にある森で死に掛けましたけど」


 自分の所在が解らないとなったら、あの領主はきっとレシリスを追ってくるだろう。

 だからレシリスは、ヘルイストからレイモストまでの間に数箇所点在していた町や村には一切立ち寄らずに進み続けたのだ。


 王都であるレイモストまで逃げれば、領主とて自分の横暴な行為を国王に知られまいとして、追っては来ないだろう。そう踏んで、ただひたすらレイモストを目指したのである。


「その時助けてくれた人に、この仕事を紹介して頂いたんです」


 だがその人物は《紅》の頭で、自分は《白》の情報を探るために、この場所へ送り込まれたのだ。


 命を救われた以上、その恩には報いなければならない。

 しかしそれは同時に、《白》を裏切るという事になる。


 今もまだ、レシリスの心は揺れていた。

 《紅》の目的を聞くと、そのために自分も尽力したいと思ってしまう。もしそれで地方の町や村の治安が良くなるのであるなら、そのために喜んで働きたいと思う。


 しかし、心は《白》の方へ傾いている。この温かい場所を、温かい人達を、裏切りたくはない、失いたくないと、思っているのだ。


(……でも、ジアルドさんに命を救われたのは、事実……)


 命を助けられた恩を、仇で返す事だけはしたくなかった。

 あの時差し出されたおにぎりの味は、きっと一生忘れない。


 命を救ってもらえていなければ、間違いなく今こうして《白》にいる事などなかっただろう。

 そう思うと、利用するためであっても、命を助けられた事には感謝しなければなるまい。


「……そうか。随分苦労したんだな」

「すみません。こんなつまらない話を聞かせてしまって」

「いや、聞けて良かった」


 言うと、ディアレスはレシリスに向き直った。


「俺は、《白》は反国家勢力に対抗するためだけのものではないと思っている」


 意味深に言葉を切り、彼はレシリスの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「約束しよう。《紅》を制圧したら、お前の故郷へ赴き、横暴な領主による村の治安をこの目で確かめ、領主に然るべき処罰を与えられるよう国王陛下へ進言すると」


 その言葉に、レシリスは目を瞠った。


 アルクが言っていた言葉が、脳裏に蘇る。

 国王は貴族と他国に対して体裁を取り繕う事しか頭になく、その結果が、地方の町や村の貧困と治安の悪化であるという話だ。


 しかし、誰か地位のある者が直接国王へ進言してくれれば、国王も動かざるを得ない状況になるかもしれない。


 ディアレスがいれば、《紅》のやり方に沿わずとも、この国を変えられるかもしれない。


(ディアレスさん……)


 何とも言えない感情に駆られ、言葉を失うレシリス。

 そんな彼女の心情など知らないディアレスは、柔らかい笑みを浮かべた。


 不意に見せられたその表情に、レシリスはまたどきりとする。


「お前がこの屋敷内でも常に警戒している様子だった上に、今日は朝から上の空だったから、少し気に掛けていたんだが……今の話を聞いて納得した」


 そっと、彼はレシリスの頭に手を置いた。大きな掌が、これ以上にない程、優しく彼女の髪を撫でる。


「そんな風に故郷を出てきたのなら、色々思う事もあるだろう……だが、あまり一人で抱え込んで無理をするな」


 そのディアレスの気遣いに、レシリスは目頭が熱くなるのを感じた。


 仲間であるサイファが疑っていて、敵である可能性があると言われている自分に、こんなにも心を砕いてくれるなんて、思ってもいなかったのだ。


(……本当に、なんて優しい人なの……)


 無愛想で、真面目で、厳しい。

 しかし、その本心はとてもとても、温かく優しい。


「……ありが、とう、ございま……」


 最後は、もう声にならなかった。

 嗚咽が堪えられず、大粒の涙がぽたぽたと彼女の瞳から零れ落ちていた。


「……何故、泣く?」


 ディアレスは驚いた顔でレシリスを見る。

 普段の彼の様子を思うと、心なしか慌てているようだ。


 レシリスは手の甲で目元を擦りながら、声を絞り出す。


「ディ、ディアレスさんが、優しいから、ですよ」


 しかし一度溢れた涙は、何度拭ってもなかなか止まらない。


「……こういう時は、剣術しか知らない自分が嫌になるな」


 ぼそりと呟いたかと思うと、彼はそっと彼女の頬に手を伸ばし、涙を指で拭った。


「俺は女の涙を止める方法など知らない……だから、泣きたいのなら思い切り泣けば良い。泣き止むまで、傍にいてやる」


 切なげに目を細め、彼は優しくそう告げる。

 それを受け、レシリスは両手で顔を覆うと、涙を流し続けた。


 ディアレスは言葉通り、レシリスが泣き止むまで、ずっと傍にいて優しく髪を撫でてくれた。


 そんなディアレスの優しさに触れ、レシリスは心を決めたのだった。

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