夜の異変2
「もしかして、中?」
中には竜が何匹かいる。入った人間が竜仕官ならいいけれど、他の人なら?
警備がいないと言うことは、そういう可能性もある。規定は無意味にあるものじゃないはずで、それが破られているかどうかは確認しなければならない。
ルイスは音が鳴らないようにゆっくりと扉の隙間を広げて、中を覗き込んだ。
月明かりと、暗めにおさえられている外灯がほのかに光る庭は一見静かだ。しかし、向かって左側、設けられた樹木の近くに人が数人集まっていた。その近くには白い鱗を持った他の竜よりふた回りほど小さな竜がいて、彼らの事を眺めている。カルセドニーだ。
長い首はもたげられて、興味か警戒かは分からないが、彼らの事を認識した上で、行動を取るまではしていないという状況だ。人は三人。竜の方を気にしながらも、こそこそと何かを話している。
彼らの服装は竜仕官が纏う白ではなかった。その事だけを見ても、彼らがここに侵入していることが分かる。警備はいない。しかし、カルセドニーが彼らの目の前にいる。侵入者が何をするつもりなのかは分からないが、何かする前に止めないといけないと思った。
扉を大きく押し開いて踏み出す。
「何をしているんですか?」
ルイスは足早に距離を詰めた。こちらに気がついていなかった彼らは、こちらを振り向いて警戒した。見つかるとは思っていなかったらしい。竜仕官がこんな時間にこの辺にいるとは思わなかったようだ。
彼らに近づき、カルセドニーと彼らの間に割り込めるような位置を取りながらもう一度質問する。
「ここで、何をしているのですか? 竜の庭に竜仕官以外が入ることはできないと知らないわけでもないでしょうに」
三人は二人が一般的な文官服。装飾品が少ないことから、一年以内に任官されたものである事は間違いない。そしてもう一人が帯剣した護衛官。二人のうちのどちらかの付き人だと思われる。
彼らの行動の意図をはかろうとしていたところ、三人の中の一人が、一歩前に踏み出した。真ん中の男だ。
「いち竜仕官たるものが、僕を知らないのか」
「知りません」
初対面のはずだ。そして、一年目の文官の顔をいちいち覚えている訳でもない。なのに新任の文官は自分の事を他者が知っていて当然という態度をとる。
誰か偉い人間の子供なのだろうか。あいにくルイスは家の力関係や内部の人間関係に疎い。
幼少から学舎に入るまでは中央にいなかったし、学舎に入ってからも自分の興味のある勉学に勤しんでそれどころではなかったからだ。
社交に興味がなく、ふらふらと学校内を散策しているような子供を端から見たら自由人と揶揄するのはわからなくもない。
一般的な常識はあるつもりだが。
侵入者が舌打ちをした。反応のないルイスに苛立っている。
「僕はクイーズ・イリュジオ。トゥレ・イリュジオの息子と言えばその頭でもわかるだろう」
目の前の男の名前はわからなかったが、トゥレ・イリュジオの名前はわかる。
都市タルテアンの市長で最高権力者だ。青年はその息子らしい。とがった顎に神経質そうな顔。親と違って細身の体を大きくみせようと横柄な態度が身についているのか。身長はルイスよりも少し高い。
顎を上げてこちらを値踏みしている。
彼の視線は竜仕官のローブを一通り眺めて、ルイスの顔もじろじろと見た。
彼はちらりとカルセドニーにも目線を向けたあと、もう一度ルイスを見る。睥睨しているといってもいい。
ルイスは足に力を込めた。気を引き締める。
「あなたの名前はわかりました。しかし、こちらにどういったご用件でしょうか」
「許可ならある」
クイーズが後ろの一人を顎でしゃくると、その人間は慌てたように懐から一枚の命令書を取り出した。丸められているそれを、慣れない手つきで広げて見せてくる。暗い中で目を眇めてサインを確認した。市長のサインが確認できたが、足りないものがある。
「……竜仕官長の名前がないように見受けられますが?」
「おまえには父の名が見えないのか?」
「あなたのお父上はトゥレ市長かもしれませんが、それがこの場所に入る許可にはなり得ないと心得ております。オリクト竜仕官長への確認をいたしますので、今はお引き取りください」
竜に関する事は、権力者といえどもどうこうできることではない。ルイスにできるのは、ここで侵入者三人を竜の庭の外に追い出すことだけだ。ここにいるのがルイスでなくとも、他の竜仕官なら同じ事をしただろう。
ルイスの後ろでカルセドニーがそわそわとしているのが分かる。そして、庭の端っこで休んでいた二匹の竜が、なんとなくこちらの様子をうかがっている事も。彼らを下手に刺激してしまう前に、彼らにはいなくなって欲しかった。
「なんだと?」
「ですから、その書面はこちらへの立ち入りを許可するものではございません」
引かないようなら、語気を強めてもう一度言おうとしたところで、カルセドニーが興味か関心か、それとも何か別の事か、喉の奥から少しだけ声をもらした。
右側にいた文官が、それに驚いたのか手に持っていた物を取り落とす。
カルセドニーがさらに興味を持って、一歩踏み出した。
「だめです、カルセドニー」
「その竜はこれに興味があるみたいだぞ?」
クイーズが地面からそれを拾う。
銀の鎖がついたブローチに見える。大きな石が、月明かりに輝いていた。
(なんだ、あの石)
肌がぞくりとあわだった。猛烈な嫌な予感が指先から這い上がってくるようだった。
紫色の石、その中で火の粉のような赤色が爆ぜる。火花を閉じ込めたようなその石は、見た目はとても綺麗だ。神秘と猛々しさを両方とも備えたよう。
ルイスが見たことのあるどの石とも違っていた。
じっくりと眺めていると、それを石への興味や感嘆と取ったのだろう。クイーズは言った。
「美しいだろう。この石こそ、竜に献上するにふさわしいと思わないか?」
男は鎖をもって宝石をこちらに見せる。確かに違う色を内包する石は美しいが、それを竜に、そしてカルセドニーに与えたいかと言うとそうではない。
(むしろあれは……)
険しい顔をしたのを見とがめたのか、男が嫌そうな顔をした。
「竜仕官ともあろうものが、この美しさを理解しないのか。美しい石を竜に与えて何が悪い」
「お言葉ですが、我々は美しい石を竜へ与えている訳ではありません」
男は分からないという顔をする。
「ならば何を基準に選ぶ」
「……」
「竜仕官でもない人間には言えないと?」
ルイスが首を振る。そうではない。竜仕官は自分が持っている感覚に従って石を選ぶ。しかし、その感覚を分かってもらう事が難しい。言葉にどうすればいいか分からない。
ルイスの態度が気に障ったのか、胸ぐらを捕まれる。
「それは、竜仕官になれなかった僕への当てつけか!」
「っ、ちがいます」
「ならなんだというんだ!」
カルセドニーが石に興味を抱くので、なんとか空いている手で押しとどめる。こうなると、男にかまっている暇はなかった。カルセドニーは体格から分かるが子供だ。好奇心旺盛で、見たことがないものには興味を示す。
カルセドニーの喉が鳴った。口を開けたのが見えた。
ルイスは胸ぐらを掴む手を無理矢理押しのけた。
「カルセドニー!」
大声をあげると、竜は首をすくめて持ち上げた。聞いたことのない高い音が喉から出る。薄氷の目が宝石を気にしながらもこちらをみていた。
「それに触ってはいけません」
首を振って甘えるような声を出す。だけど、許すわけにはいかなかった。
近寄ってくる鼻面をおさえてだめだと言いきかせる。少しだけ落ち着いたカルセドニーに安堵した時、男が動いた。
「おさえておけ」
傍についていた護衛官がルイスの腕をとった。