竜仕官長
まとめた報告書は不在などの理由がない限りは、竜仕官長へ直接提出する事が義務づけられていた。
元々少ない竜仕官は、見習いを卒業してしまえば上下の別はない。竜仕官長の任に就く人が、二十数人ほどいる竜仕官を全て管理していた。
現在の竜仕官長はオリクト・エバリーという老年にさしかかった男性だ。長く竜仕官を勤め上げ、体力の衰えを理由に現役を退いた後、今度は竜仕官を束ねる長としての職務に就いたという。
竜を担当したまま竜仕官長になる人もいるが、〈竜の息吹〉を共同で管理する水道局や他部署との立場のすりあわせ、定例の報告会の参加、立場的に自身が赴かねばならない職務が多く、大変だと聞いたことがある。
ルイスは階段をあがる。
偉い人の部屋は警備面で守りやすく、白亜宮の構造的に必要であるとして四階にある。必然的に上がらなければならない階段数は多い。
竜の庭が中央にあるため、基本内向きの窓は設けられていない白亜宮だが、四階以上は別だ。
庭の内部が観察しやすいように大きな窓がいくつも設けられている。
これより上の階は見習いが詰める竜鐘の部屋しかなく、竜が来訪する空を見張るため、今も二人以上の見習いが遮るもののないバルコニー付きの大窓から空を眺めているはずだ。
石段を登り終えて一息つく。
飾り扉の前に立ち、警備兵に挨拶すると入室の許可を貰った。
「ルイス・レイガートでございます」
「入りなさい」
歳を重ねて落ち着いた声が明瞭に響いた。
扉を開け、音がしないように閉めると、室内に向かって一礼する。
部屋の奥にはいくつかの窓があって、レース編みのカーテンが風に揺れていた。
窓が開いている。
部屋の主は外を眺めていた。正確にはその下の〈竜の庭〉を。
竜仕官長の部屋は竜の庭側に作られた唯一の部屋で、その窓からは下の〈竜の庭〉を一望する事ができた。
「カルセドニーは元気そうじゃな」
白い髪を短く切りそろえた六十になる男。背はルイスよりも少し低いが背筋はしゃんとして一本の真っ直ぐな棒が入っているみたいだ。目線をこちらに向けながら、男は眉を下げた。
竜仕官を束ねる竜仕官長、オリクト・エバリー。竜仕官が身に纏う白い文官服の上から素地は白、金糸で編んだ模様入りのローブを羽織っている。
「見ていらしたのですね」
「竜鐘が鳴ると下を見るのが癖になっておってな。真っ白なカルセドニーは緑の庭によく映える」
「ええ、私の自慢です」
「ははっ、竜仕官は皆、自分の竜をそういうじゃろうな」
「その通りですね」
「良い事じゃ。特にお前さんは竜に対する愛情が深い。竜の方も信頼し、懐いておる」
「そうであれば、それ以上の喜びはありません」
「うむ」
オリクトは相槌を打つと微笑んだ。
「今日のおぬしの竜はどうじゃった?」
優しく聞いてくるオリクトに、ルイスはカルセドニーのことを報告する。
作成した報告書を手渡し、詳細を話した。
「相変わらずなつっこいようじゃの」
「子供みたいですよね」
「実際に子供なんじゃろうな。他の竜より小さく、性格も無邪気じゃ」
「それに好奇心旺盛です」
「庭におる他の竜がルイスとカルセドニーのふれあいをじっと見守っておったよ」
「周囲からの視線を感じるときがあります」
幼子を見守っている保護者のようなものだろうか。
竜同士の関係性についてはまだ謎が多い。
触れ合うことで、少しずつ彼らのことを知っていきたいと思っているけれど、彼らの全てを知ることは、果たしてできるのだろうか。
人と竜。
友でありたいと望むのが人側だけではないといいなと思う。
なにがおかしいのか、オリクトが笑う。上官を見やると、口元を手で覆っていた。
「難しい顔をしているなと思っての」
「そうでしょうか」
「眉間に皺ができておった。心配せんでもお主は竜仕官として優秀じゃ。テソロ様を思い出すよ」
「祖父のこと、ですか?」
「ああ、竜への接し方がよく似ておる。同じ血なんじゃのう。カルセドニーがお主を選んだ時、そう思ったものじゃ。竜を見る目が一緒だったからの」
どんな目だろう。自分の気持ちに蓋をできた記憶がないので、少し恥ずかしい。初めて竜に間近で接触して浮かれていた気がする。そんな姿を竜仕官長は監督役として近くで見ていたはずだ。
「今は思うようにやりなさい。悩みながら向き合うことがお主の財産になるじゃろう」
「はい。ありがとうございます」
ルイスは頭を下げた。
柔和な笑顔に見送られて部屋を後にする。部屋の前には次の入室者が待っていたので、会釈してその横を通り過ぎた。
書簡を持ったその人は硬い表情でルイスと入れ替わりに部屋へと入っていた。
*
竜にもたれて休憩する。暖かい陽気に汗ばんだ体。〈竜の庭〉は風があまり通らないので風を求めるためには白亜宮より外に出るのが一番なのだが、竜の体も人の体温よりは冷たいので、涼むのにはちょうどいい。
行儀が悪いが、ルイスは袖をまくって腕を外気に晒した。厚めの布がなくなるだけで、肌から熱が逃げていく。
ほう、と息を吐き出した。
カルセドニーが冷たい鼻先を寄せてくる。胸元をつつく動作に、笑いながらルイスはそれを取り出した。
それはルイスが肌身離さず持ち歩いているお守りだった。
小さな平たい石が二つ紐に通されて揺れている。
色はカルセドニーの瞳の色に似ている、薄水色の霞んだ石。そしてもう一つは雲が混ざったようなオレンジ色の石。形は二つとも似ている。
当たり前だ。二つとも祖父が作ったものだから。
薄水色の方はルイスが小さな頃に祖父がくれたもの。オレンジの方は元々祖父のもので、亡くなるときにルイスに譲ってくれたものだ。
どちらも大切なルイスの宝物だった。
カルセドニーにはよくせがまれてこの二つの石をみせていた。
竜の鱗のようにつるりと加工された石。ことあるごとに手で撫でるのが癖だから、もしかしたら貰ったときよりも磨かれているかもしれない。
鼻面を寄せて匂いをかいで、満足そうに鼻を鳴らす竜。この仕草に何の意味があるのかわからないが、本人が満足そうなので好きにさせている。
ついでのようにルイスの顔を分厚い舌が舐めていった。
竜に預けていた体を起こして立ち上がる。
服についた草を払って整えるとお守りを服の下にしまった。隣にある乳白色の鱗をひと撫で。つるりとした感触を楽しむ。
くすぐったそうに身を捩るカルセドニーと軽く小突きあいをしていると、声をかけられた。
「相変わらず仲良しなのな」
「お疲れ様です」
「おう」
痩身の男は見習いの時に教官として色々と教えてくれた先輩だ。その後も正式に竜仕官になった後、仕事を覚えるまでお世話になった。竜仕官になったら、身分的な上下はないけれど竜仕官の先達として教えてもらうことは多い。
彼の奥には緑の鱗を持つ竜がくつろいでいた。カルセドニーよりも一回り大きく、性格は穏やか。快活で活動的な担当竜仕官とは正反対で、庭の隅でゆったりしているところをよく見かける。
竜がちらりとこちらを向いたのを見て、カルセドニーが近寄っていく。邪険にされないのをみると、仲は悪くないようだった。
「自分の竜との関係は良好みたいだな」
「おかげ様でうまくやれています」
「うちのとは全然性格が違ってはたから見てて面白いよ」
「先輩の竜は穏やかですものね。鳴き声も聞いたことがないです」
「俺もほとんど聞かないなぁ。元気ではあるんだけどな。最初はあんまり鳴かないから心配だったけど、もう十年の付き合いだから慣れたもんだ」
先輩は自分の竜をみながら軽く腕組みをする。
「長いですね」
「長いよなぁ。気づけば初めて会ってからそんなにするんだもんな。自分でもびっくりだ」
「最長で六十年の記録がありますよ」
「うわ。俺なんてまだまだひよっこだな」
「先輩がひよっこなら私はまだ生まれたばかりですね」
「ほんとだなぁ」
鳴き声を交わさないで交流する竜を眺める。どうやら日陰に移動して仲良くくつろぐらしい。
男がうーんと腰を伸ばした。
「さてと、俺はこれから執務室に寄るんだがお前はどうする?」
「この後は宝石の選定をしておこうと思います」
「じゃあ別方向だな」
「はい」
「あまり暗くならないうちに帰れよ。聞いたかもしれんが、不審者騒ぎもあったらしいからな」
「ありがとうございます。先輩も気をつけて」
「ああ、ありがとな」
じゃ、と手をあげた男は足取りも軽く去っていった。