缶コーヒーの甘さに慣れた頃
冷たい朝日が鋭く照らす商店街を、青年は重い足取りで駅へと向かっていた。
ふと目にカシッと光を感じ、そこで理髪店のおじいさんに気付く。入口近くのソファへ身を沈め、しみじみと缶コーヒーを傾けふわりと笑っている。
疲れ切ってる青年は、自分と対照的なその光景に目を奪われた。
「羨ましいな…」
悠然とした時間を過ごすおじいさんに、嫉妬に似た憧れを抱く。
_____
「よっこらせ」
おじいさんは床屋の開店準備を終え、待ちスペースのソファにゆっくり腰を下ろす。窓越しの陽の光は冬でも暖かい。
新聞を広げ缶コーヒーのプルタブを開ける。
苦味と甘味、両方の香りが立ち上る。
一口飲み、壁の琥珀色の染みを眺めながら独りごちる。
「おはよう昴子。俺は今日も元気だ。」
自販機のコーヒーが温かくなると思い出すなぁ。
商店会の忘年会から帰ったら、「浮気なんでしょ!」って怒ったあの夜。
ヤキモチを妬いてくれるなんて意外で、照れくさくて。で、ついニヤけちまったのは失敗だった。「何で笑えるのよ!」って飲みかけの缶コーヒーを投げ付けてなぁ…
___ゴッ。という音と壁に広がるコーヒーの染みと香り。
この頃は何かと記憶がかすかすになるが、あの日のその光景は心に色濃く残る。
お前は泣きそうな顔で外に飛び出して…
車の急ブレーキの音は聞こえてねぇと思うがどうだったかな。何だか現実が分からなくてな。でも喫茶店のママがえらい剣幕で入ってきたのは覚えてんだ。気付いたら俺は病院の暗い床を見つめてたな。
今だって、何ですぐに追わなかった…って後悔しかねぇさ。
その後は荒れたなぁ…。
お前がいねぇなら全部どうでも良くてな。
色んな人に迷惑掛けた。
商店会の皆には本当に頭があがらねぇ。
コーヒーを一口飲む。
そうだ、喫茶店のママがしてくれた話。
お前、俺がモテると頑なに譲らなかったそうじゃねぇか。馬鹿だな。みんな大笑いだったぞ。恥ずかしいったらありゃしねぇ。
ま、つまりそういう事だ。
とは言え誤解はすぐ解けるだろ、って思った俺が一番馬鹿なんだよな。
また一口。
あれから40年か。早いもんだな。
遺影より壁の染みの方がお前に話してる気がしてな。ふふ。怒るなよ。俺だけじゃねぇぞ。だからついこのままだ。
しかしこの缶コーヒーも変わらねぇな。
缶を持ち上げくるりと眺める。
それが朝日を跳ね返す。
鼻から大きく息を吸い、静かに吐き、そして笑顔を貼り付け壁を見つめる。
参るよなぁ…
まだ会いてぇんだもんなぁ…
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