第百五十話 ひねくれ者の意思を継ぐのは(2/?)
******視点:赤猫閑******
11月5日。天王寺の病院。
お見舞いは伊達さんだけじゃなく、金剛くんや朱美ちゃんなんかも、忙しい中で時間を見つけて来てくれた。特に佳子ちゃんは昨日に続いて今日も。正直ありがたい。気遣いが、と言うより、もっと個人的な事情。
首をまともに動かせない、そもそも身体を十分に動かせないと、見れる景色が随分と限られてくる。ただでさえ殺風景な病室。見えるのは主に真っ白な天井だけ。あたし1人だと、外の鳥の鳴き声とか、そんなのですら新鮮に思えるほど退屈な時間が続くばかり。これだけの時間を過ごしても、そもそも最低限回復できるかの保証さえないんだから、どうしても億劫に感じてしまう。
そんな退屈を頭が嫌がって、昔のことをふと思い出してしまう。でももちろん、あたしにとってはプロになるまでは基本的に嫌なことばかり。だから必死に、お父さんやおばあちゃんと過ごした時間に焦点を当てるんだけど、そればかりじゃ飽きるとあたしの頭がブー垂れて、あのクソ女の元にいた頃まで思い出してしまう。あたしって自覚がなかったけどマゾなのかしらね?
そうなってくると、逃げる方法はただ1つ。なるべく眠るだけ。もちろん、夢という形で追いかけてもくるけど、退屈を感じないだけ辛うじてマシ。目を瞑るとただでさえ足りない外の情報が余計に足りなくなって昔を思い出すトリガーになってしまうけど、羊を数えたり他のことを考えたり、そんな古典的な手段で免れる。
……伊達さんにも言った通り、あたしは現役を続ける。リハビリを考えたら来年の開幕に間に合わせるどころか、来年のシーズン中に復帰できるかも怪しいとこだけど、時間がかかるなんて何てことない。確かに時間の流れもあたしの身体をどんどん衰えさせていくけど、人一倍練習すれば補える。だからそんなのは最初からどうだって良い。
一生車椅子、下手したら命も……ってのもね。再発する確率がどのくらいであろうが、『かもしれない』程度の話で戦うことを止めるなんて、お父さんに示しがつかない。お父さんだって命を賭けてあたしを優先してくれたんだから。
今更になって授けてくれた力。野球の神様もきっとこう言いたいんだと思う。『死ぬまでやれ』って。実に望むところだわ。力の代償がこの悲劇だと言うのなら、実に安いものだわ。
怖くない。怖くなんかない。お父さんとおばあちゃんへの罪悪感で、『死にたい』なんて今まで何度も考えてきたこと。あたしの命の価値は、そうでもしなきゃ示せない。
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******視点:卯花優輝******
11月5日。
「ただいま」
「おかえり」
普段はまだおれ1人で住んでる部屋。だけど『ただいま』と言って逢が入ってくれて、離れ離れで過ごす時間もいつか報われるという実感が湧く。
「お疲れ様。試合が終わった後も大変だったね」
「あたしは正式に契約してるの球団と優輝のとこだけだから多分その辺は楽なんだろうけど、やっぱりどこ行っても記者の人がね……」
「逢はもうすっかりスターだからね」
「負けちゃったけどね」
「…………」
少し沈黙が続いた後、逢が荷物を放り出しておれに抱きつく。
「ダメだよね、あたし」
「負けたのは逢だけのせいじゃないよ」
「それだけじゃないよ」
「?」
「こうやって空いた時間があるんだから閑さんのとこにも行かなきゃなのに……」
逢がおれの下腹部をまさぐる。そういうことを要求する時のサイン。
「こんなこと優先しちゃって」
「……逢だって今まで大変だったんだから、ちょっとぐらいはしょうがないよ」
「そうだよね。ちょっとくらいなら……」
そうやって逢の罪悪感をほぐすけど、正直に言えばおれ自身の都合もそこには含まれてる。
逢と正式に付き合うまではそういうのはどうにか抑えられてたのに。でもいざ実際に結ばれると、誰よりも近くで見られる逢の綺麗な顔、白く暖かい肌に甘い香り、あとその……締まり。そういうのが手を伸ばせば届くところにあるとわかってしまったから、こうなってくるとどうしても欲してしまう。
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「……やっぱこういうのがなきゃ、こんなストレスだらけの仕事やってられないよね」
ひとしきり終えて満足した逢が、逢の上に乗るおれの頭を撫でる。
逢としてると、"逢にとって都合の良い捌け口"みたいな感じで見下されてるような気が時々するけど、それ以上に気持ち良さとかが勝って、してる最中はどうでも良くなる。それに今も。
「ほんと好きだよね。全然おっきくもないのに」
逢の胸に、頬で直に触れる。
確かに逢の言う通り大きくはない。逢の身体は見た目じゃあんまりわからないけど、実際に触れてみるとものすごい筋肉質な身体で、力を抜いてる間はつきたての餅みたいに柔らかいけど、逆に力を込めてるとひたすら硬い。少ない体脂肪率はほとんどこことか限られたとこに集中してる。そう考えると、逢のプレースタイルと同じで、無駄がないと言うかやたら効率的と言うか……
ただ、そういう感触的なとこばかりに惹かれてるわけじゃない。
「何て言うか、逢の心のあったかさを実感できると言うか……」
「あたし、そういう奴じゃないよ?」
「逢は"ヒーロー"だよ」
「……ほんとにそう思ってるの?」
「うん」
「…………」
逢は世間じゃ『冷淡』とか『塩対応』とかよく言われるし、普段は他人とあえて距離を取ってるとこがあるのは否定しない。
でもすみちゃんや家族のために誰よりも真剣に野球に取り組んで、柳監督が危篤の時にも誰よりも心を痛めて、そしておれのこともたとえ欲求とか込みだろうと身体を張って救ってくれた。本当は誰よりも他人のために頑張れる。誰よりも義理堅く、筋を通す。その心はまさに"ヒーロー"のそれ。自分のことは散々めんどくさがるのに。おれとか山口さんとかみたいな感じの男を自分のものにして都合良く扱いたいとかって気持ちも、『人間なんだからそういう一面もある』で片付く話。
そんな逢は見た目や心だけじゃなく、今やちゃんと実力も伴ってる本物の"スター"。生まれつき見た目がちょっと良いくらいのおれなんかは本当は釣り合っちゃいない。実家のことだって、逢の稼ぎを考えたらマイナスばかり。ここ最近は逢もどんどん実力を上げていって、打撃投手としてのおれの必要性はこれからも先どんどん薄れていくような気がする。正直、今は"捌け口"みたいに扱われるのもしょうがないと思ってる。
だからおれは、逢の役に立てることはなるべく増やすし、おれだけで片付けられることはおれだけでやる。男の好み的に多分どっちかと言うと年下の方に惹かれやすいであろう逢だけど、逢の性格的にそういうのでおれを切り捨てるようなことはしないと思う。でも、そんなのに甘えるつもりはない。"捌け口"としての価値が上がるだけだとしても、見た目にもちゃんと気を遣う。どのみちおれだって、逢を誰にも奪われたくなんかない。
……おれだって男だし。おれだってそれなりに苦労してきたんだから、『人生イージーモード』とか、そんなこと軽々しく言われたり、ネットで書かれたくないし。
「「ん?」」
逢のスマホに着信。
「はい」
「ありがと」
たまたま手の届くところにいたおれが逢に手渡す。
「もしもし……あ、伊達さん」
仕事の話と察して、手で『ゴメン』ってジェスチャー。空気を読んで、おれだけ寝室から出る。
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