第百四十五話 ホームランへの誠意(4/?)
「2回の表、ツーアウト一塁二塁。バニーズ、この回もチャンスを作りました。ここで打席に立つのはラストバッターの風刃。リプのピッチャーのため、シーズン中に打席に立ったのは通算でも交流戦での3打席のみ。2打数無安打1犠打となっております。中学の途中までは内野手一本だったとのことですが……」
確かに投手相手に投げるのはリコじゃ日常茶飯事。そしてそのおかげでリコ内ならどの投手が打てるかもある程度はわかる。
でもリプの投手はなかなか読めない。プロであってもバッティングが大得意っていうピッチャーもいないわけじゃないし、そういう奴は大して練習してなくても下手な野手より飛ばしたりもする。日本は投手信仰が強くて、野手としてのセンスの方があっても投手にしがみつく奴も珍しくないし、極端な例を挙げれば幾重さんみたいな人もいるからね。この金髪野郎もあれだけセンスがあるんなら打てても全然おかしくない。
「ストライーク!」
「外!まっすぐ見送ってストライク!」
投手相手のセオリーは『とりあえず外』。ぶつけたら大ひんしゅくは避けられないし、何よりカホのプライドが許せない。報復がどうこう以前に。投手の投げ合いで、ケチがつく形の勝ちなんていらない。
そして、遅い変化球も基本的にいらない。『遅い球』はそれ即ち『狙えば打てる球』。たとえ普段バットを振ってなくてスイングスピードが遅い投手であっても。複雑な駆け引きより、まずまっすぐをちゃんとストライクゾーンに入れる。その方がよっぽど大事。
そう考えると、投手相手ってのは打者との勝負と言うより、投手としての基本を問われる自分との勝負と言えるかもしれないわね。宇井にまた打たれて動揺した結果がこの状況だから、自分のピッチングを見直すのにちょうどいいのかもしれない。
「ストライーク!」
「空振り!ここもまっすぐ!」
「風刃くーん!頑張ってー!」
「えいりーん!1、2の3でええんや!」
「まっすぐだけならタイミングだけ合わせたらええねん!」
(そうは言っても……)
野球ゲームじゃあるまいし、それだけでプロのまっすぐを木製バットで打てたら苦労しないわよ。ちゃんと芯で捉えないと手に負担がかかってピッチングに影響が出るかもしれないし、ヘッドを走らせなきゃ捉えたところで大して飛ばない。何より一口に『まっすぐ』と言っても、人それぞれその軌道には微妙な違いがある。打つのに不慣れな投手がアジャストするなんてなかなかできることじゃない。そういう意味でも、投手が相手の時は力のあるまっすぐをきちんとゾーンに入れるのが大事。
そして向こうのバットに振られてる感じのスイング。ピッチングだとかなり変わったフォームではあるけど、あれだけの出力なのに投げ終わった後の体勢の崩れがほとんどなくて、ものすごく身体を上手く使えてる感じがするのに、バッティングだと明らかに振り込めてないのがわかる。
もちろん、猫をかぶってる可能性も捨てられないけど、カウントは完全にこちらが有利。それに野球は確率のスポーツ。策を練って思った通りの展開になったとしても、最後まで常にミスの可能性は付きまとう。もちろんそれは投げる側のこっちも同じ。
大事なのは自分を信じること。『ちゃんと投げられれば絶対に打ち取れる』と信じ抜くこと。ピッチャーは自信満々でいればいるほど良い。
「ストライク!バッターアウト!!」
「三振ッ!148km/h、最後もまっすぐ!!」
まさにカホにピッタリのポジションよね。
「流石のえいりーんでも弱点の1つくらいはあるか……」
「一応最後チップはしたんやけどなぁ」
(だっておれリプの投手だし……それにこれでも先発ローテ1年目なんだよ。バッティング練習の優先度なんてそりゃ下げるよ)
「これでスリーアウトチェンジ!バニーズ、この回もチャンスを活かせず!」
小池さんが言うように、『下位打線が必死にチャンスを作っても、どうせ投手のところで攻撃が途切れる』ってのは、リコじゃよくありすぎる話。いくらお決まりの流れと言っても、特にネットの野球ファンがリコのDHなしを批判する気持ちもわかる。カホだって投手の打順というボーナスステージを利用してピンチを乗り切るなんて正直不本意。それに……
(冬島には最低限の仕事をされてしまったな。9番投手が当たり前のDHなしルールじゃ、8番はとにかくその回のラストバッターにならないのが大事。実際に野球をやる俺達にとっても、統計屋にとっても、『先頭を出すのが得点の基本』というのは意見が一致するところ。逆に守る側としては投手を先頭打者にできれば、その回をかなり安全に乗り切れる。チャンスを切るために投手の打席を利用するのはその時点では楽ができるが、次の回が必然的に1番からの打順になって結局失点リスクが付きまとう。単に問題を先送りにしただけみたいなものだな)
次の回からもう二巡目。しかもまた赤猫さんから。全く気が抜けないわね。
「2回の裏、ペンギンズの攻撃。4番サード、猪戸。背番号55」
「「「「「猪戸!猪戸!ホームランホームラン猪戸!」」」」」
「大歓声の中、左打席に入ります。この回の先頭打者はプロ4年目、21歳の若き主砲、"怪童"猪戸士道。ルーキーイヤーのプロ初打席初本塁打を皮切りに、2年目には36本塁打、3年目には4番に定着し初の打率3割とリーグ最高OPS、そして今シーズンは12球団最多本塁打。今シーズンのペンギンズの大躍進は、猪戸なしには成し得なかったことでしょう」
まさにその通り。あの人こそ紛れもなく本物の"スター"。あの歌舞伎役者みたいな出で立ち通りの"千両役者"。悔しいけど、カホ以上にこのチームにとっての"主役"。
「ストライーク!」
「空振り!初球はカットボールから入ってきました、マウンド上の風刃。ルーキーイヤーはスライダーを武器にファームで脅威的な成績を叩き出し、昨シーズンはこのカットボールを武器にセットアッパーとして50試合以上を投げ、今年の飛躍に繋げました。今シーズンは特にスプリットを評価する声が多く、毎年のように進化を重ねております」
「ファール!」
「よしよし!合ってる合ってる!」
「場外までぶっ飛ばせシドー!」
「ボール!」
「ここは低め、おそらく落ちる球ですがワンバウンド!」
(うーん、ちょっとミスった……)
(バッティングの影響はないやんな?)
(もちろんっすよ。どんなピッチャーでも常にベストピッチを再現し続けられるわけじゃない。ただそれだけのことっす)
そして悔しいけど、ピッチャーとしての力量も今は向こうのあの金髪野郎の方が多分上。
ピッチャーは『自信満々』でいるべきだけど、『自信過剰』でいるべきじゃない。表面張力でコップのフチからギリギリこぼれないくらいが丁度良い。高2からずっと嚆矢園商売に付き合ってきた中で学んだこと。
「ストライク!バッターアウト!!」
「今度は振らせました空振り三振ッ!風刃、この回も先頭打者を三振に斬って取りました!」
「ナイピーえいりーん!」
「にしてもアレがちょうちょと同格ってなぁ……」
「猪戸がちょうちょに勝ってるのなんてホームランと打点くらいやろ」
「ホームランなんて球場の広さで差が付くし、打点やって結局は前で打ってる奴次第やしなぁ」
「『三振も結局はアウト1つ』って言っても、ちょうちょは60くらいで向こうはその倍以上。流石に差がありすぎやわ」
「…………」
三振という、理論上では一番よろしくない打撃結果であっても、ただ黙ってベンチに戻ってきた猪戸さん。
……外野は好きなように言えば良いわ。つまらない数字遊びで向こうのチビ女の方が勝ってようが、カホ達の中じゃ猪戸さんこそが"最高のスラッガー"。猪戸さんは単に"ホームランを打つのが一番上手いバッター"ってだけじゃない。あんな"出塁乞食"なんかとは比べ物にならないくらいの『覚悟』を持ってる。
「ストライク!バッターアウト!!」
「んんー、スイングアウトの三振ッ!アウトコースまっすぐ!」
「ストライク!バッターアウト!!」
「外、これもまっすぐ155km/h見逃しの三振ッ!風刃、何とこの回は三者連続奪三振ッ!!」
「最高や"ウルトラエース"!」
「バッティングなんてできんでも十分や!」
「「「「「風刃くぅぅぅん!!!」」」」」
だから、あんな化け物じみたピッチャーが相手でも腐らず投げれる。
「3回の表、バニーズの攻撃。1番センター、赤猫。背番号53」
猪戸さんならあんなのでも絶対に打ってくれる。絶対にカホを勝たせてくれる。
「これは打ち上げた!レフト西村、落下点に入って……」
「アウト!」
「捕りました!好調の赤猫との二度目の対決は浅井に軍配が上がりました!」
「先ほどの打席では甘いまっすぐを簡単に打ち返されましたが、ここは良いコースに力のあるまっすぐをしっかり投げ込めましたね」
「ストライク!バッターアウト!!」
「スライダー!外に入ってくる球でしたが空振り!これでツーアウト!」
「「「「「カホたそー!!!」」」」」
「サクサク返し良いぞ!」
「兎の1・2番なんて一捻りや!」
前哨戦なんて勝って当然。
「3番サード、月出里。背番号25」
向こうの"千両役者"も抑え切ってこそ、猪戸さんの一発を立てられるってもの。




