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868回敬遠された月出里逢  作者: 夜半野椿
第四章 黄金時代
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第百四十一話 後には戻れない(4/?)

「お疲れ様でしたー」

「お疲れ様でした」


 夜の食堂の仕事を終えて、自室に戻る。

 住み込みで家賃実質0のその部屋は、電気コンロ1つと水道、ベッドにクローゼット1つという、本当に最低限の間取り。トイレや冷蔵庫、洗濯機、それから大きめの台所は部屋の外にある共用のもの。お風呂も共用の小さいものか、客用の大浴場を営業時間外に利用するかのどちらか。

 後でまかないができたら呼ばれるから、それまでに電気コンロでお湯を沸かしつつ、スマホでプロ野球の情報をチェック。

 別に私自身は特段プロ野球のファンというわけではない。"東京もん"らしく幼少期は父に付き合ってジェネラルズ戦、そして福岡に移ってからはあの人と義父に付き合ってヴァルチャーズ戦をたまに観てた程度。野球のルールやプロ野球の仕組みは何となくわかるってくらいの知識。そんな私がこうやって毎日のように情報収集してる理由はただ1つ。一人息子の活躍を期待してるがため。


「……!」


 スポーツ速報アプリのニュースページであの子の記事が一面に。

 あの子が所属する球団、バニーズ。ヴァルチャーズ戦を観てたから本当に有名どころの選手なら知ってるって程度の知識だったけど、今はあの子を追ってる内に一番詳しくなった。あの子を勝たせてくれた打者やあの子の危機を救ってくれたバックに感謝したり、逆に足を引っ張った選手をちょっと恨んだりしてる内にね。

 もちろん、今年は優勝の可能性があることも、今日がペナントレースの最終戦であることも知ってる。その試合で、あの子は最終回に登板して奪三振1のパーフェクトピッチング、リーグ2位の30セーブに到達。シーズン通して一軍にいたのは今年で初めてだけど、しっかり勤めを果たしたわね。


「ツーアウトランナーなし、打席には鳴海(なるみ)……」

「ストライーク!」

「まずは空振り!158km/hが出ました!」


 記事のリンクを踏むと、あの子が最後の打者と対戦してるとこの切り抜き動画。

 野球に詳しくなくても、あの子のまっすぐがプロの中でも速いのはちゃんと理解してる。一人息子の自慢すべきところなんて知ってて当然。今年は風刃(かざと)っていう子が話題だけど、まっすぐならその子にだって負けてない。


「ストライク!バッターアウト!」

「空振り!最後は縦のスライダー!!」


 最後の1球は編集されてて、あの子が投げる瞬間から打者が空振りするまでの間を色んなアングルで繰り返し再生。

 でもやっぱり私にとって一番観たかったのはその後。勝利を確信した瞬間に喜ぶ姿。高校の頃はいつも試合中勝っても負けてもずっと面白くなさそうだったけど、今のあの子の姿は小学校中学校の頃の、マウンドの上でも打席でも楽しそうにプレーしてた姿そのまま。

 私と違って、貴方は良い場所に恵まれたのね。バニーズの強い弱いよりも、そのことの方が私にとっては嬉しいわ。


「……!」


 動画の再生中に着信。しかもその動画の主役張本人から。


「もしもし、母さん?」

司記(しき)、30セーブおめでとう」

「あ、ありがとう……観てくれたんだね」

「試合中は仕事だったから、ハイライトだけだけどね。今日勝ってもう優勝だったっけ?」

「いや、2位のチームがあと3試合あるから……でも今日向こうは負けたから、向こうが3連勝しない限りは優勝」

「なら安心ね」

「うん……」


 生まれも育ちもこっちだから、あの人が義父に似たように、司記もあの人に似ると思ってたけど……どんなに周りから色々言われようが私と同じ"東京もん"の喋り方を貫くような子に育って。

 別に私に似たから嬉しいって話じゃない。小さい頃からずっと夢見てたことを貫き通せるような子に育ってくれたのが嬉しいって話。


「ところで母さん、その……やっぱり、こっちに来ないかい?」

「またその話?」

「今のボクなら母さん1人くらい余裕で養える。というか、母さんはもっと贅沢しなきゃいけないよ。せっかく帝大を出たのに、いびりババァの元で20年も家事ばかりやらされて……今だって、もっと別の働き先だってあったはずなのに……」


 ……ほんと、優しい子に育ってくれたわ。でも……


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私、今の暮らしはそんなに悪いものじゃないと思ってるわよ?少なくとも自分で自分を養えてるんだし。それに今資格の勉強もしてるし、そう遠くない内に別のところで働くつもりよ」

「……なら東京に戻れば良いのに」

「…………」

「まだ期待してるの?父さんのこと」

「そうね……」


 ほんと、賢い子に育ってくれたわ。

 大地主の跡取りであるはずの司記のプロ入りを後押ししたことがきっかけで、義母からは余計に嫌われて、あの人とも話すことが少なくなって、2年前から別居生活。最初はあの人のお金で養われてたけど、立派な学歴のくせに職歴なしの私を(あわ)れまれてるような気がしたのと、お金だけで夫婦関係をどうにか繋ぎ止めようとするあの人の姿勢に嫌気が差して、今年からはこの生活。

 少なくとも、後には戻れない。あの家に戻ることは絶対にない。それでも……


(とつ)いですぐに貴方を産む程度にはあの人を信じてたし、今もね……」


 あの人が何もかもを捨てて迎えに来てくれるなら、あの人のことだけはもう一度だけ信じたい。


「…………」

「息子に将来の面倒を全部投げるのも気が引けるし、それに、変な話だけど……私の人生の選択を間違いだと自分で認めるのは……ってね」


 本当にただの意地だけの話。


「わかった。でも、気が変わったらいつでも言ってね?ボクは迷惑だなんて全く思わないから」

「ありがと。お母さんも頑張るから、司記もポストシーズン頑張ってね」

「うん」

「それと……できれば生きてる間に孫の顔も見せてね?」

「う、うん……」

「良い人いる?」

「えっと、まだそういうのは……」

「もし見つけたら、私以上に大事にしてあげてね?」

「……わかった」


 せっかくあの人に似てハンサムに育ってくれたんだしね。


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