第百四十一話 後には戻れない(1/?)
******視点:月出里逢******
「6回の表、バニーズの攻撃。6番ファースト、天野。背番号32」
「ふぅ……」
前の回に打席に立って、その後守備にも就いたから、今の内に一息。
「菫子に良いとこ見せられたわね」
「……ですね」
振旗コーチが隣に座る。
「あんた、もうすっかり球界トップクラスのスラッガーね」
「そんな実感、あんまりないですけどね」
「あら、そうなの?」
「だってまだ低めは全然じゃないですか」
「そうね」
「それに……」
「それに?」
「猪戸くんにまだ勝ってないですし」
「……そうね。アレはね……」
猪戸くんは今年、史上最年少のプロ通算100本塁打に到達。しかも今年は現状ホームラン39本で12球団ぶっちぎりNo.1。
WARだかOPSだかであたしの方が上とか言ってくれる人もいるけど、一番勝ちたい部分で負けてるから全然勝ってる気がしない。
「そのためにも今日は勝っときたいわね」
「そのつもりです」
あたしのいるバニーズと、猪戸くんのいるペンギンズ。お互いに2年連続最下位で、今年は優勝しそうってとこでも共通してる。確か向こうは明日の試合で勝ったら優勝のはずだけど。
このまま上手くいけば帝シリで猪戸くんとまた直接勝負できる。交流戦のリベンジもできる。CSで有利にって意味でも、今日勝って優勝をより確実にしたい。
「ま、現状に満足して浮かれてないならそれで良いわ。あんたはもっと上を目指せる。それこそ私とか猪戸以上をね」
「そのつもりです」
「期待してるわよ?」
そんなちょっと先の話だけじゃなく、今日の試合だってまだやり残してることがあるんだしね。
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「1番サード、月出里。背番号25」
「7回の表、ワンナウトランナーなし。2-0、バニーズのリードが続きます。ここで今日先制ツーランの月出里が4打席目を迎えます。今シーズン29本塁打で現在リーグ1位タイ。打点も95で、リーグ1位と1点差の2位。バニーズOBの樹神樹が1995年に惜しくも逃した、JPB史上初の六冠王。それが26年の時を経て再び現実のものになりつつあります!」
「ここでソロ打ったら単独ホームラン王と打点王だけじゃなく、トリプルスリーもいけますね」
「ちょうちょ!夢見せてくれや!」
「ホームランホームランちょうちょ!」
あたしと同じく29本打ってるグコランはアルバトロスの選手。つまり3試合分、あたしよりも余裕がある状態。あと1本くらいなら打っても全然おかしくない。
ぶっちゃけヒットの数とか盗塁の数とか打点とかは多いに越したことはないってくらいの気持ち。だから六冠がどうとかってのは獲れても獲れなくても別にどっちでも良い。トリプルスリーも、まぁ結局は数字遊びだと思う。
それでも、ホームラン王だけは何としてでも獲りたい。猪戸くんにはもう追いつけないとしても、せめて同じリーグ、同じ現役の中で一番にはなりたい。後には戻れないんだから、今同じ数ってだけで満足して後悔なんてしたくない。
……あとついでに、あの踏み忘れの分の帳尻を合わせたい。
「マウンド上の琴吹、ここまで96球投げて6回1/3で2失点、自責は1。風刃に打線を封じられてる中でしっかりと仕事を果たしております」
「ファール!」
「まずは膝下、速い球で来ました!」
「ちょっと沈んでますね」
琴吹さんとはこれで今日4回目の勝負。おかげで、呼吸と拍子はだいぶ織り込めてる。当てるだけならまず心配ない。でも、右でこうやって低めを丁寧に突いてくるタイプはやっぱり今のあたしには面倒。
(月出里は同じ試合で打席を重ねるほど打てる傾向にある。同じ投手が続くとそれがさらに顕著。だからこそ、やり返すのにちょうど良いわね)
「ストライーク!」
「中途半端なスイングになりましたが振っておりますストライク!」
「カーブですかね?」
「ボール!」
「ここで落としてきました」
……まっすぐは来ないかな?
「ファール!」
「ここもスプリット、少し浮きましたがレフト線切れました!」
でも、低め低めは相変わらず。
(卑怯とは言わないわよね?)
もちろん。そんなので打ち取られたところで、付け込まれるような弱みを持ってるこっちの方が悪い。
というかむしろ大歓迎。あたしも『慣れ』のおかげで打ち方を細かく考える余裕もある。スイングしてる間の感覚とかもクリアに認識できる。ここで低めもホームランにできるようになって、ずっと憧れてたホームラン王にもなれれば、考えられる限り最高の展開……!
「!!!カーブ打って!センター下がって……角度は十分……」
「行け!行け!行け!」
「入れ!入れ!入れ!」
低めいっぱい、でもほんの少し外から真ん中寄りのカーブ。掬い上げることはできたけど……
「アウト!」
「センター乾、フェンスの手前で捕りました!」
「「「「「あああああ……」」」」」
やっぱり、どうしても飛ばない。
コーチに教えてもらった通り、人間の投げる投球はたとえまっすぐでも上から下にある程度は落ちる。その軌道に対して水平にバットを入れようとすれば、自然と地面に対してアッパー気味になる。というか地面に対しても水平にってくらいレベルスイングを強く意識したとしても、低めを打とうとすれば自然とある程度はアッパー気味になる。
最近はフラレボがどうとかでアッパースイングを採り入れる人が増えて、そういう人はむしろ低めの方がホームランにしやすいらしくて、それで投手の方も高めフォーシームを重視してるみたいだけど、あたしにはその感覚がよくわからない。別にホームランを打つためにアッパースイングを強く意識するのが正しいか正しくないかって話じゃなく、単にそうすることでちゃんとホームランが打てるのが理解できないって話。あたしにとっては高めの方が自然とバットをそのままポンと出して打てる。角度もボールのほんの少し下を叩くことができれば十分付けられる。でも、低めはどうしても上手くいかない。
低めを打つ時はまずいったんヘッドを上から下に落とす過程が入って、そこから角度を付けるためにもバットを持ち上げるようにして振るわけだけど、その持ち上げる瞬間に変な重量感がある。そこが高めを打つ時との大きな違い。その違和感のせいで、インパクトの瞬間に合わせてトップハンドに力を込めるのがどうしてもほんの少しタイミングが狂って、打球の伸びが足りなくなる。ヘッドを持ち上げる意識をせずそのままバットをポンと出せば、いつも通り力を込められるけど、もちろんそうしたら角度が足りなくなる。
……多分、その違和感の分を織り込んだ上で力を込めるタイミングを掴めればきっと低めもホームランにできるはずだけど、それがどうしても上手くいかない。プロに入ってから今年に入るまでずっとホームラン自体が打てなかったのと同じように、頭ではわかってるんだけどどうしても身体が付いてこない。
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