第三話 だからあたしは、今はまだ『未知』であり続ける(1/6)
所々で一時停止とスロー再生が繰り返される、月出里逢の打席だけに編集された動画。
私はもう穴が開くほど観たから、リモコンの操作は一緒に動画を観てる人に任せてる。
月出里逢の情報は今も要所は秘匿にしてる。キャンプに関しても流石にメニュー自体に口出しすることはできないけど、記者の取材については例えば体力テストとか、月出里逢の長所が見えてくるような内容の練習にはNGを出してる。この動画を観れる権限があるのも、私と、この連れ合いの人と、アイツだけ。
普段の凡打だらけの打席が粗方洗い直されて、いよいよあの打席。あらゆる意味で私を変えたあの打席。見直すまでもなく、配球の一球一球まで鮮明に覚えてる。
2ストライクまで追い込んだけど、得意球のワンシームとサークルチェンジとカットボール、時々使うスライダーやカーブを織り交ぜても簡単に合わせられてしまう。どうやっても全く崩れない。ライン際の危ないファールや釣り球も重なってフルカウント。外の変化球中心で攻めたから、最後に実は一番得意のインハイストレート。これで決まるはずだった。最高球速付近まで出せて、寸分のコントロールミスもしなかった。最悪でも外野フライ程度で収まるはずだった。だけど結果は言うまでもなく。
でも、今回の主旨はあの時のことを思い出すんじゃない。あの時の心情は二の次で、そこに至るまでの過程を分析するのが第一。
「ふぅん、なるほどね……確かにこの子は化け物だわ」
連れ合いの人が理解したらしい。一時停止とスロー再生の箇所から見ても、要点を把握してるのはわかる。流石は元球界最強打者。
「それで、私に育てさせてくれるってわけね?」
「はい。と言っても、おそらくそこまで特別なことを教える必要はないと思います」
「でしょうね。基礎の部分以外教えると台無しになりかねないわね」
「大叔母様にとってはつまらないでしょうが……」
「良いのよ。私が欲しいのは箔だけ。任せときなさい菫子」
そう、この人は私の大叔母様にあたる人。元パンサーズの4番サード振旗八縞。今はバニーズの二軍打撃コーチを任せてる。
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二軍キャンプ用のグラウンドに全員集合し、コーチ陣の中で真ん中に立つ人に神楽ちゃんと佳子ちゃんが注目してた。この人は二軍の監督だけど、その立場以上に選手としての功績の方が遥かに有名だから。プロ野球ファンならおそらく誰もが知ってるレベルのスーパースターだから。
「それではこれより二軍キャンプを開始する。……けど、その前に一言。ルーキー達も知ってると思うけど、一軍と二軍は目指すところが違うわ。二軍でも試合はやるし、順位も争うけど、一番の目的は『一軍戦力を育てること』。私も一応監督の権限をもらってるけど本業は投手コーチ。監督としても、投手陣だけでなく野手陣にもそれぞれ適切に成長機会を設けられるような采配を重視する」
淡々と真顔で語り続ける。残念ながら現役の頃のスリムなクールビューティじゃなくなって横幅が大きくなっちゃったけど、鋭い目つきと冷徹そうな印象は変わってない。
「そして、貴方達にも二軍の試合での活躍を望むけど、あくまでそれは手段であって、目的は『一軍戦力になること』。そのために貴方達には最低限、私達の指示の下の練習をこなしてもらうけど、何よりも貴方達にはその中で自分がどういう選手なのかを理解してほしい。本当に良い選手というのはみんな、自分を理解してる。だから適切な練習量を自分で測れるし、自分の弱点を補う工夫もできる。普遍的なものでなくとも構わないから、少なくとも自分だけには通用する論理や信条をしっかり持つこと。選手の頃の私にその大切さを教えてくれたのは、他でもない柳監督」
自分……確かに、あたしって本当のところどういう選手なんだろう?あたし自身は若王子さんみたいにホームランを打ちたいけど、実際はホームランは今までもそんなに打ててないし、一番得意なのは多分守備。
でもそれを理解するということは、自分が目指してきたものを諦めなきゃいけないってことなのかな?それとも、高校の頃からの打席での違和感とかそういうのが理解できたら、もしかしたら……
「あまり喜ばしいことじゃないけど、バニーズは一軍に定着するだけなら他の球団と比べて楽だと思う。だけど『一軍の選手』と『一流の選手』は決してイコールにはならない。自分だけ一軍で生き残り続けるんじゃなく、チームも勝たせて柳監督を胴上げして、誰も文句のつけようのない『超一流の選手』が貴方達の中から出てきてくれたら、指導者として私も誇らしく思う。……では早速ウォーミングアップから始めていくから、各自準備していきなさい」
「あー緊張した……」
「あの旋頭真希が目の前にいるんだからなぁ……」
野手と比べて投手にはあんまり詳しくないあたしでもよく知ってる。"トルネード投法"の旋頭真希。ドラフトでは8球団から1位指名を受けて、プロ入りからあっという間に球界最強のエースとして君臨。そしてメジャーでも最多奪三振とノーヒットノーランを2回ずつ達成した、日本人メジャーリーガーのパイオニア。バニーズに限らず、無名の二軍選手から見れば、まさに雲の上の存在。
「神楽ちゃん、ピッチャーだから旋頭さんに教えてもらえるんだよね?羨ましいなぁ」
「んや、あっしは左でタイプも合わないから別の人が担当だってさ。一応アドバイスとかはもらえるかもだけど」
二軍のコーチは各部門に1人ずつじゃなく、選手のタイプに合わせられるように何人かずついる。同じ野手で同じ右打ちの佳子ちゃんも、あたしとは別の打撃コーチが担当で付くみたい。
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