第百三十八話 ラストピース(8/?)
「…………」
「!?ど、どうしたのまるちゃん!!?」
珍しく生徒会の仕事以外で用事のなかった放課後。まるちゃんがまだ残ってたら一緒に帰ろうと思って教室に入ると、涙を流して窓の外の夕日を見つめるまるちゃんの姿。
「……山根、いるじゃん?」
「う、うん……」
クラスでよくまるちゃんと一緒に話してる男子。サッカー部のエースとか何とかで、顔立ちも整ってて結構モテるって話。
「告白したんだけど、フられた」
「え……?」
「最初からアンタが狙いで私に話しかけてたんだってさ。『最初からお前みたいなブスなんて眼中にない』って……」
「…………」
「……何でアンタばっかりなんだよ?私だって勉強して、小学校からクラス委員もやって頑張ってるのに、生徒会長もアンタになって……いっつもいっつも!いっつもいっつもアンタばっかり!!」
「!?お、落ち着いて、まるちゃん……」
「うっせぇんだよ!アンタに私の何がわかるってんだよ!?」
「ッ……!」
「ずっと気に入らなかったんだよ、その態度。良い子ちゃんぶって、勉強も野球もできますよアピールして、モテることを鼻にかけて。私を引き立て役にしてさぞ楽しかったんでしょうねぇ?」
「そ、そんなつもりは……」
「ハッ……そんなつもりがあろうがなかろうが関係ねぇんだよ。アンタ、今まで私以外に女友達ロクに作れなかったの、気にしてなかったの?」
「……!」
「みんな考えてることは同じなんだよ。アンタが何しようが、何考えてようが。アンタは同じ女にとって、いるだけで害なんだよ。良い子ちゃんでいればいるほど、私らにとっちゃ迷惑なんだよ」
「…………」
「アンタ、そういや転校する前に万引きとかやってたんだよね?前に死んだお父さんと血が繋がってないんだよね?」
「……だから何?」
あんまり話したくないことではあったけど、まるちゃんを信じて一度だけ確かに教えた。抱えきれない辛い思いを、友達にも共感して欲しくて。
「チクっちゃおうか?」
「勝手にすれば?」
「……そういうとこが気に入らねぇんだよ」
「どうも」
下校時間のベルが鳴る。
「暗くならない内に帰りなさいよ?」
「…………」
まるちゃんと話したのは、それっきり。
「お、おい聞いたかあの話……」
「赤猫が昔、万引きやってたって……」
「何か母親が不倫して托卵してできた子とか……」
「うわ、そういうのガチでいるんだな……」
「まぁ実際調べたら世の中の2割くらいがそうらしいぜ?」
「マジで?俺とかももしかしてそうなのか?」
「女って怖ぇ……」
「ケッ……ハイスペ男の遺伝子で人生イージーモードってか?」
「それで高嶺の花気取ってるのかよ。マジムカつくんですけど」
「しかも血の繋がってない父親の遺産を食い潰しながら毎日ぬくぬくと生きてるんだってね」
「この不景気な世の中で良いご身分ですこと。ウチは両親共働き、制服だって親戚のお下がりだっつーの」
「あんなのが親なし扱いで税金使われてるとかマジ金の無駄でしょ」
「泥棒やっても少年法がどうとかでチャラなんでしょ?理不尽すぎじゃない?」
「存在自体が女の面汚しだわ。死ねよ寄生虫が」
「…………」
まぁ避けられるようになって、言い寄られることが減ったのはむしろ好都合。全然自覚がなかったけど、元々女子には嫌われてたっぽいし。
「はい、もしもし」
「あ、夜分遅くにすみません。私、夕日丘高校の鈴木と申しますが……赤猫閑さんでしょうか?」
「はい、あたしです」
「大変申し訳ございません。先日の内定の件ですが……」
「…………」
……せっかく生徒会やら校外活動やらで志望校の内定もらってたのに潰されたけど……
『アンタ、アタシに似てるからねぇ。きっとアンタ、アタシみたいな女になるよ?でも気に病むこたねぇよ。女ってのはアタシらみたいに綺麗なら、そうやって生きられる生き物なんだからなぁ?むしろそうやって汚く生きなきゃ、どんどん損するばっかり。中途半端に正しく生きようとしても、絶対に痛い目に遭うだけ。よぉく覚えておきな?アタシからアンタへ母親として、同類の女の先輩としての、最後の忠告だからよぉ?』
一番悔しいのは、あのクソ女の言ったことがまるっきり当たったってこと。
だからあたしはこれから先もう一切恋愛もせず、お母さんにもならないって決めた。これ以上あのクソ女に似る可能性を少しでも排除したくて。あたしから新しく命が生まれるのならあたしと同じようにするのだけは絶対に嫌だけど、こうなった以上はそうできる自信がもうないから。
「うっ、うう……」
もう泣きたくなかった。今までで一番悲しかったのは『お父さんが死んだこと』。それが揺るぎない事実だと示して、お父さんに少しでも殉じたかったから。あたし個人のことで悲しむつもりなんてなかったのに……
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ……!!!」
あたしはただ、生きたいだけなのに。大好きなお父さんとおばあちゃんのために頑張りたいだけなのに。友達にも裏切られて。いつまでも過去が付いて回って。あのクソ女と同じようになるしかなくて。ただそこにいるだけで、誰かの迷惑になってしまって。
「閑!?どうしたんじゃ!!?」
「おばあちゃん……!」
もうなるべく迷惑をかけたくなかったけど、おばあちゃんに縋り付いて泣き続ける。
「あ……あたし、何のために生きてるの……?何のために生まれてきたの……?」
「…………」
「何をやっても悪く言われて……誰にも嫌われて……あたし、そのために生まれてきたの……?あとどれだけ頑張ったら、あたしは許してもらえるの……?どうやったら、あのクソ女みたいにならなくなるの……?」
「……わかんね」
「…………」
「人が抱えてる苦しみや幸せになる方法なんて人それぞれじゃ。わしはお前じゃにゃーで、お前の苦しみを全部わかることなんてできんし、『お前の気持ちはわかる』なんて、そんなこと気安く言うなんてできん」
『うっせぇんだよ!アンタに私の何がわかるってんだよ!?』
……確かにそう。まるちゃんも言ってた通り。ずっと一緒にいたのに、その苦しみに全く気づくことができなかった。
「なのにわしは、清に勉強をさせた」
「……?」
「赤猫の家は死んだじいさんも、そのまた上のじいさんも、揃いも揃って良い大学を出て、良いとこで働いとった。そんな家の一員になったから、嫁として跡取りの清にもそうさせなあかんと思って、ひたすら勉強をさせた。それが清を幸せにする一番の方法じゃと信じて疑わんかった。悪いことを教えそうな友達と縁を切らせたこともあるし、思春期でおなごに興味を持ち始めた頃に叱り飛ばしたこともある。お前は清を不幸にした思っとるかもしれんけど、元を辿ればわしも同じじゃ。清にそういう道を歩ませたんは、他ならぬわしじゃ」
「…………」
「人は人と関わらんと生きていけんし、人と関われば自然とその人の道に関わることにもなる。別に居直るつもりじゃにゃーけど、そうである以上は、その人をできるだけ大事にして、不幸な方に転ばんように祈るしかにゃー。そこから先は自己責任。閑も同じだぎゃ」
「あたしも……?」
「閑を幸せにするか不幸にするか、最後に決めるのは閑以外ににゃー。だからわしは閑が自分のやりたいことをできると信じて、毎日米を炊いて飯を作っとる」
「あ……」
おばあちゃんの目線の先を見ると、いつもと変わらない光景。炊きたてのご飯に、湯気の立つ味噌汁、焼き魚、煮物に漬物。
「辛いことはな、飯食って腹一杯になったら大体のことは忘れられる。辛いことを引きずって辛いままでいるのは損だで。わしは清のためにも、同じ間違いは繰り返さん。閑は清やわしに負い目があるんかもしれんけど、気にせんでええ。清とわしが大切にしてきた閑が笑って過ごせること、閑が閑なりの道の中で幸せになることこそが、何よりの報いじゃ」
「ッ……!」
その言葉に応えるように、箸を進める。
「それでええ、それでええ。閑は小さいからのう。どんどん食わんと、プロ野球選手になれんぞ?」
それからあたしは、生まれたことを嘆くのをやめた。それが一番お父さんとおばあちゃんのためになるとわかったから。
絶対に負けない。諦めない。あのクソ女のせいで背負わされた生まれながらの宿命を何が何でも否定し続けてやる。




