第百三十八話 ラストピース(7/?)
「まるちゃん、おはよ!」
「おはよ、しずちゃん!」
中学に上がって自転車通学になっても、行きはまるちゃんと一緒だった。
「ショート!」
「アウト!」
「オッケー!」
部活とシニア、両方で野球をやってるから、帰りは遅く。
「お疲れ、閑」
「ありがと。お父さんも、今日もお疲れ様」
普段は仕事帰りのお父さんの車。日を跨ぐくらい遅くなる時はおばあちゃんの車。自転車も簡単に載せられるくらい大きな車にわざわざ買い替えて。
「別に良いんだよ?自転車帰りでも。運動になるし」
「バカを言うな。閑みたいな可愛い子がこんな遅い時間に……」
「……お父さん」
「ん?」
「久しぶりに背中流してあげようか?」
「ぶぇっ!?い、いや、閑はもう中学生だろ?そういうのはな……」
「ふふっ……」
『女はそれくらいの年頃だと父親を自然と煙たがるもの』って聞くけど、あたしにはその感覚が全く理解できなかった。『本当の父親じゃないから』って言われたらそれまでだけど、お父さんがあたしにとって最高のお父さんなのは相変わらずで。
「あの……おれ、赤猫のことが好きだ!」
「……ごめん。あたし、そういうのまだあんまりわからなくて……」
「うっ……」
「…………」
言い寄られることも相変わらずで。
……別にあたしだって恋愛に全く興味がないわけじゃない。でも、勉強と野球に専念したいし……
「お父さん、今度の土日空いてる?」
「ん、そうだな……うん、何とかなりそうだ」
「じゃあデートね」
「……おいおい、せっかく部活もシニアも休みなんだろ?友達と遊ばなくて良いのか?」
「次逃したらお父さん、いつ休みになるかわからないでしょ?」
「ま、まぁな……」
お父さんはあたしと離れてる間、少しでもあたしに良い暮らしをして欲しいからって、以前にも増して仕事を頑張ったって話。まぁそのお金の大半はあのクソ女に使われてたみたいだけど。それに、そのおかげと言うべきかそのせいと言うべきか、その仕事ぶりを評価されて出世して、一緒に過ごせる時間がなかなか作れなくなった。
予定を合わせるためにも、時間を作るためにも、恋愛なんて二の次って割り切ってた。ここまでしてあたしを守ってくれるお父さんに心配かけたくなかったし。
「……?」
けど、別れは突然だった。中学のテスト期間、まるちゃんと一緒にウチで勉強してた時に、家の電話に着信。
「どうしたの、しずちゃん?」
「知らない番号……もしもし。はい、赤猫です……え?」
「し、しずちゃん!?どうしたの!!?」
手から受話器を思わずこぼして、呆然とする。
「お父さん!」
「お、おう……」
急いで向かった病院。仕事中に倒れたって話だったけど、その時は意識があった。
「う……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!!お父さん!お父さん!!」
「閑……」
でもその夜、息を引き取った。過労に加えて、健康診断で促されてた再検査をその多忙で無視してきた結果。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
自然と溢れた言葉は、『ありがとう』とかじゃなくてそれだった。
あのクソ女に騙されて、あたしの父親役を押し付けられて。あたしのためにいっぱい働いて、あたしとの時間を作るためにお医者さんにかかるのも二の次にして。
「こんなの、あたしがお父さんを……」
「閑!!!」
「ッ……!」
「それ以上言うな」
「うっ、うう……」
おばあちゃんに諭されて、口を閉ざす。
「閑。清はな、お前といて間違いなく幸せじゃった。お前が生まれてからはずっとお前のことばっかり話して、またお前と暮らせるって決まった時は泣いて喜んどった。わしは清の母親だぎゃ。それは保証する」
「おばあちゃん……」
……きっとおばあちゃんも、本当は強がってたと思う。大事な一人息子がそんな境遇に追いやられて、きっとあたしを恨む気持ちもひとかけらくらいはあったはず。
「生徒会長に立候補した赤猫閑です!どうか清き一票をよろしくお願いします!」
だからあたしは、ますます必死になった。勉強と野球だけじゃなく、高校進学で有利になりそうなことは何でもやった。
一流企業で役職付きのお父さんの生命保険と遺族年金。大学まで進むのにも野球を続けるのにも十分な額だったけど、1円たりとも無駄にしたくなかった。少しでも多く残して、少しでも多く稼いで、おばあちゃんに恩を返して、罪滅ぼしもしたくて。
おばあちゃんも持て余すくらいなら、あたしと同じような境遇の子供のために使いたい。そうやってあたしが少しでも立派な人間になることで、お父さんが生きた意味を作りたい。
「あの……おれ、赤猫のことが……」
「無理」
「うっ……」
余計に言い寄られることが増えたけど、もう相手に気を遣ってる時間も惜しくなって。




