第百三十八話 ラストピース(3/?)
今から30年くらい前。まだ小学校にも上がってなかった頃。
「さっさと食べな。いらないんだったらアタシが持ってくから」
「う、うん……」
母親……とは認めたくもないあのクソ女がこっちを見ることもなく化粧しながら話す中、あたしはテーブルに雑に置かれた菓子パンに手を伸ばし、封を開ける。
「今日も遅くなるけど、勝手に外出ないでよ?あと、今日出かけるのパパに言わないでね?言ったら叩くから」
「うん……」
クソ女が出す食事はいつも無骨に包装されてて、平日に手料理なんてほとんど食べたことがなかった。
「こんにちは!」
「あら閑ちゃん、こんにちは。パパとお出かけ?」
「うん!デパートでお買い物!新しいぬいぐるみ買ってもらうの!」
「あら〜、良いわねぇ〜」
あの頃からあのクソ女は自分のことに夢中で、あたしのことなんてお構いなし。休みの日にお父さんと手を繋いで外へ出かけるのが、あたしの何よりの楽しみだった。
「よーし!パパ今日は焼飯作っちゃうぞー!サラダも切っちゃうぞー!」
「やったー!」
そして、休みの日はお父さんの手料理も食べられた。お父さんは稼ぎがかなりあって、そういう立場だから平日はずっと忙しかったみたいだけど、休みの日はずっとあたしの相手をしてくれた。
「あ、あの……来月、叔父さんの三回忌があるんだけど……」
「は?パスに決まってんじゃん?何?『もっと婚家に尽くせ』とか言いたいわけ?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……君ここ最近、こっちの方に顔出してないからさ……」
「そんなの、アンタに心配されるようなことじゃないっしょ?親戚だろうがよそはよそ。アンタの両親ももう家族じゃなくて親族。結婚して家庭持った自覚あんの?」
「ご、ごめん……」
「パパ!あたし、パパと行く!」
「!あ、ああ。ありがとう、閑……」
「フン……」
でもお父さんは何かと優しすぎる人だった。あのクソ女にもいつも言い負かされて。
「パパ、いつもママに負けてるね」
「ははは……ママは冴えない僕なんかと結婚してくれたしね。いつもちょっとイライラしてるけど、ママは本当はとっても優しい人だからね?昔もほんと、周りに気を遣える素敵な人だったんだよ」
「う、うん……」
お父さんは生涯一度たりとも、あたしの前であのクソ女のことを悪く言わなかった。2人きりの車中でも。あのクソ女に似たあたしを傷つけるって、きっとわかってたから。
「着いたぞ」
「パパ、抱っこ!」
「はいはい、しょうがないなぁ。玄関に着いたら降りような?」
「うん!」
「あら、久しぶりねぇ」
「どうも、ご無沙汰してます。ほら閑、ご挨拶できるかな?」
「お、お久しぶりです……」
「あらまぁ閑ちゃん、大きくなったわねぇ。それに、ママみたいに美人さんになって」
「えへへ……」
だから、親戚の家に行くのも大抵はお父さんとだけ。そして、そういうとこに行くたびにあのクソ女由来の容姿を褒められた。あたしだって一応女の子だったし、あの頃はあのクソ女のクソたる所以を知らなかったから、ただ照れ笑うばかりで。
「そうなんですよぉ。いやぁほんと女の子だから、僕に似ないで良かったですよぉ」
「お前、苦労した甲斐があったなぁ。美人の嫁さんもらって、こんな可愛い女の子も授かって」
「ハハハ!羨ましいぞ!」
お父さんは正直言って、イケメンとかハンサムとか、そういう言葉とは無縁の人だった。科学的に当然だけど、あたしには全く似てなかった。小さい頃から恋愛や遊びの代わりにずっと塾通いして勉強に励んで、地元の愛知で一番良い大学を出て、地元が誇る世界的にも有名な企業に勤めて。
あたしがそんなふうに褒められるのは、暗にお父さんが貶されてるようなものなのに、お父さんはあたしが褒められるのをいつも自分のことのように喜んでくれて。
「ゴール!」
「すげぇ閑!」
「マジ速ぇ!」
「よくやったな閑!今日は回らないお寿司でお祝いだ!」
「やったー!」
「はぁ、日差しキッツ。早く終わんないの?」
「「…………」」
幼稚園の運動会。徒競走で1番になっても、褒めてくれたのはお父さんの方だけ。
「パパ!肩たたきしてあげる!」
「ありがとう。ほんと優しいなぁ閑は」
「えへへ……ねぇ、パパ」
「ん?」
「大好き!」
「……!ああ、ありがとう。パパも閑が大好きだよ」
だからもちろん、あのクソ女の所業を知る前からお父さんの方を慕ってた。
「あのさ、これ……どういうことなんだ?」
「……はぁ、ダル。アイツがチクったの?」
「閑は関係ない。地元の知り合いから聞いたんだよ。それで調べさせてもらった」
あのクソ女の唯一の取り柄である容姿を生かしての男遊び。あたしを黙らせたところで、バレるのなんてあっという間だった。
「すまん、すまん閑……!」
「パパ、どうしたの……?」
あたしを抱きしめて咽び泣くお父さん。それが一時の別れを意味するなんて、当然あたしは知らなかった。
「はーい、そろそろお時間ですよー」
「痛ッ……!」
「お、おい!そんな乱暴に……!」
「はぁ?もうアタシら赤の他人っしょ?命令してんじゃねぇよ」
「ッ……!それもこれも、お前が……!!」
「はいはーい、アタシが悪いですー。でも親権はアタシのもんだから。母親優先の帝国万歳ってカンジ?wwwwwwwwというわけで、来月からこの子のためにも振込よろしくねーwwwwwwww」
「ぐ……ッ!」
「パパ……」
後から聞いた話だけど、お父さんは勉強も仕事もできる人だったから、何でも1人で抱え込もうとしてたところがあったって。あのクソ女はあたしの世話をほったらかしてたし、お父さんも実家に戻ればあたしのことをどうにか養えたから、親権も取れなくはなかったみたい。でも当時は離婚の敷居が高かったし、あのクソ女の言うように調停員も終始母親寄りだったみたいだし、ネットもあんまり普及してなかったからそういう情報もなかなか手に入らなかったみたいで。そうできていれば、あんなことを知ることもなかったはずなのに。
俯くお父さんに手を差し伸べようとしたけど、あのクソ女に強く手を引かれて。向かった先は、それまで住んでた大きめのマンションとは違って、ところどころ錆びて朽ちてるボロアパートだった。
 




