第百三十六話 頂点を知る者(5/5)
そして人間、自分の経験や失敗を次に確実に活かせてたら何にも苦労しねぇ。そんな良い経験ができたってのに、今の今まで忘れてた。正確には頭の中に『そういうことがあった』っていう情報が記憶には残ってたが、身体がその時の感覚を思い出せなかった。自転車に乗れてたはずなのに、いつの間に乗れなくなってたような、そんな感じ。
優勝できるかどうかが目の前に迫ったこの時期。まさにあの夏と同じような状況になって、ようやく思い出せた。
「4回の裏、エペタムズの攻撃。1番センター、小太刀。背番号26」
(この回もしっかり腕振ってけ。打たれたらオレのせいや)
キャッチャーがピッチャーによく言う『腕を振れ』、『打たれたらキャッチャーのせい』。単なる根性論とか気休めとか綺麗事にも聞こえるが、実は案外真理なんだよな。
「ファール!」
「真ん中!まっすぐ146km/h!!」
(不覚……せっかくいきなり甘いところだったのに……)
どんなに良いピッチャーでも、コーナーに常に投げ続けるのなんてそうそうできることじゃねぇ。常に変化する自分のコンディションに釣られて、多少浮かせたりひっかけたりもする。
けど、腕の振りは基本的に嘘をつかねぇ。球の威力は大体腕の振りの強さに比例する。その分だけ速くなるし、その分だけキレも良くなるから、ゾーンの中で勝負してあんなふうに打ち損じさせることもできる。
(打者一巡とは言えほぼ完璧な内容。ちょっと工夫が必要でござるな……)
「セーフティバント!サードボテボテ……」
(これは内野安打ある……早めに処理しなきゃ……!?)
「ああっと!サードお手玉!」
「セーフ!」
「一塁送球間に合いません!記録はサード月出里のエラー!!」
「ちょうちょまでミスった……」
「もう終わりだよこの球団」
「どこぞの球団みたいに38年くらい待たんといかんのか……」
「ちょっと!何やってんのよゲッツー女!」
「肝心な時にばっかりミスって!」
「す、すみません!」
「気にすんな!いつもありがとな!」
「……!」
あの月出里でさえミスをする。それを表立って責めたりしたって、大して得られるもんなんてねぇ。こうやって振る舞ってる方が勝ちに繋がるし、勝てなくても周りがそれだけは褒めてくれる。
今のチーム状況は逆に今の俺にとってすこぶる都合が良い。内心誰かのせいにしやすいし、仮にこのまま勝てば、単に勝利以外でも得られるものが多い。負けたとしても少なくとも俺だけのせいにはまずならねぇ。
「2番指名打者、騒速。背番号7」
もちろん、パーフェクトゲームなんてそんな滅多にないことなんて最初から狙っちゃいねぇ。そんな余裕、今の俺にあるわけがねぇ。
「ボール!」
「ファール!」
「高め!バックネットへ!」
ピッチャーの平均球速とかがどんどん上がってる今の時代についていくのにも必死で、今日のピッチングだって常に綱渡り。まっすぐとスプリットが大体良いとこに行ってるからこその結果。そんなとこで自惚れるつもりはねぇ。
「ストライク!バッターアウト!!」
「三振ッ!ここも落としました!!」
「「「「「良いぞ良いぞ氷室!!!」」」」」
「氷室くぅぅぅん!!!」
「氷室くんマジエース!」
(セットポジションになればあるいは、って思ってたんだけどォ、やっぱり甘くないわよねェ。ほんと、大したものだわ……ここはもうひと工夫必要ねェ)
(篤斗、油断するなや。あのエペタムズならもうひと工夫やる)
わかってるさ。
「一塁ランナースタート!」
「……!」
「ボール!」
「二塁送球!」
「アウトォォォォォ!!!」
「タッチアウト!刺しました!!」
「バッチリのタイミングで高めウエスト。しっかり読んでましたねぇ」
「流石や正捕手!」
「これが"コウキャノン"や!」
こんだけやってくれるのが『普通』なんだから、尚更ミスったら『幸貴のせい』にできる。全く、頼りになるぜ。
「セカンド捕って、一塁送球!」
「アウト!」
「これでスリーアウトチェンジ!氷室、この回も結果的に打者3人で切って取りました!ここまで無安打無四死球の完璧なピッチング!」
「味方のミスがあってもペースを崩しませんでしたね。連敗中のチームにとってほんとに心強いピッチングですよ」
「やっぱりパンダがエースじゃないか(恍惚)」
「何が"連勝ストッパー"や!ワイは信じとったで!(テノヒラクルー)」
「「「「「氷室くん最高!!!」」」」」
……プロの投手ってのは、高校とかのそれとは違ってローテが前提。言い方は悪いが『消耗品』みたいなとこがあって、責任もそこまで大きくはねぇ。それでも、"エース"って呼ばれる連中は必要以上に期待されちまうもんだが。
今年、こうやって優勝争いの年に"エース"じゃなくなっちまったのは逆に良かったかもしれねぇな。『自責と他責の天秤』が上手く釣り合ったと言うか……
だが、もちろん風刃や山口に負けっぱなしでいるつもりはねぇ。
「あっくんナイピー!」
「おう!」
こんな俺を信じてくれてる火織のためにも。それと、実理が将来、親父の自慢ができるようになるためにも。




