第百二十五話 これも1つの戦い(3/8)
******視点:塩津晃[逢の父の同僚]******
この職場に入ってまぁ色々あったし、俺自身も日頃から黒田さん絡みで腹立たしい出来事はあったけど、今日みたいなことは流石に初めて。確かに山内さんに対する愚痴は散々聞いたから予兆があったといえばあったが。
まぁ正直、俺も他人事じゃないな。山内さんとはここに入った時期も派遣元の会社も同じで、しかも俺もここの仕事が特別できるわけでもないし、果たして陰でどんなことを言われてるか……
というかスキルアップにならないし黒田さんのアレコレもあって営業と相談して勤め先代えてもらおうかすら検討中。『ほぼ間違いなく』ではあるけど、ここはあの月出里逢の父親と同じ勤め先。そこから離れるのは、月出里逢本人と縁ができるわずかな可能性を捨てるようで少し惜しいけど……
「んじゃ、俺もそろそろ上がりまーす」
「ん、お疲れー」
黒田さんが荷物をカバンにまとめて部屋を出る……前に何故か俺の席の近くで立ち止まる。
「なーなー塩津さん。ちょっと聞きたいんだけどさぁ……」
「は、はい……」
聞く限り確実に俺より年下っぽい黒田さんだけど、俺への口調はこんな感じ。流石に田中さんとか主任とか、立場的にも上な人には普通に喋るけど。
実際、ここでの経験とかだけじゃなく、社会人としてもキャリアは俺の方が短いはずだが……
「俺ってさぁ、ちょっと発言とか口調がキツいかなぁ?」
「え……?」
「いや最近パワハラとかそういうのうるさいじゃん?でも俺、別にそんなつもりじゃないんだよなぁ。思ってること喋ってるだけだし。雑魚が雑魚なのは変わらねーし」
「い、いや……そんなことはないと思いますけど……」
向こうは工場からの業務を直接下請けしてるとこの正社員。そして俺は下請けの下請けの派遣社員。そう答える以外に何があると言うのか。
「ならいーや。んじゃ、頑張ってな。お疲れっ」
「はぁ……お疲れ様でした」
さっきまでの残業の苛立ちを払拭するためなのか、逆に明るく振る舞う黒田さん。
……口数の多い黒田さんだから、これまでの経歴も色々と窺い知れる。
最初は帝都で就職して、同じIT系で今よりもう少し上流の仕事をしてたっぽいけど、結局転職して地元の深谷市に戻ったって話。比較的仕事ができるのも多分その辺りが理由。帝都で夢破れた鬱憤を晴らしてるのか、実力は通用してたけど実家の都合で帰郷を余儀なくされた苛立ちなのか、今時の無双系のコンテンツみたいにぬるま湯の環境で自分の力をひけらかしたいのか、単にああいう性格なのか、行動の背景に関しては推測の域を出ない。
ただ、これだけははっきりと言える。人と人との優劣の差は何かしらの軋轢を生む。優れてる方と劣ってる方、常にどっちが悪いというのはなく、お互いがお互いに対して何かしら腹に一物も二物も抱えてる。プロ野球とかそんな華やかな環境に限らず、こんな平凡な職場でも同じ。
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通常勤務の人達がとっくに帰った夜。勤務時間が勤務時間だから、まとまった休憩時間が昼時以外にもう1回ある。工場の規模も大きいから、休憩所にはいつも他部署の人とかが誰かしらいる。
「どれにしよっかなぁ……」
妙に充実した自販機の数々。休憩中に何を飲むかを選ぶのが、毎回の楽しみになってる。逆に言えばそんなことにも楽しみを見出さなきゃならないくらいに退屈ってことでもある。
休憩時間は基本的に1人。俺自身の性格ってのもあるけど、大体の時間で2人か3人しかいないサービスデスクで揃って全員いなくなるわけにもいかない。時間をずらして1人ずつ休憩を取るのは当然のこと。
そしてそういう退屈なとこだから、休憩時間でもやることは限られてる。意識の高い人は資格の勉強をしてることもあるけど、俺を含めて大抵の人はスマホをポチポチ。俺もたまに勉強をやるけど、最近はそういう気分じゃない。というかやることが少なくても12時間以上拘束はやっぱりキツい。勉強のスイッチもそうそう入らない。鬱々と、何となくネットを巡る以外の選択肢はほぼない。
「『バニーズ交流戦優勝でAクラス浮上!優勝の鍵を握るのは高卒4年目の若き4番』……」
チームが連勝中なのもあって、ここ最近は月出里逢を中心にバニーズの選手に関する記事をよく見かける。今年、彼女が急にホームランを打つようになったのも、きっとより話題性を生んでるのだろう。
やっぱり俺の見立ては正しかった。あれだけの身体能力にセンス。ちょっとしたきっかけがあれば、あれだけ打てる素質は確かにあった。ホームランが全く打てないからってパワーを『F』なんかにして。某ゲームの公式が今度のアプデの査定でどんなふうに手のひらを返すのかが楽しみだ。
……なんて、一銭にもならない自己満足に浸ってみたり。
月出里逢。容姿にも野球の才能にも大いに恵まれた彼女は、間違いなく"選ばれた人間"。すでに今の時点でも年に億を稼ぐ成功者。少なくとも今はこうやって燻ってる俺と違って、世の中にとって代えのきかない存在。
人間には生まれつき優劣があるけど、優劣もまた尊重されるべき人の個性。たとえ恵まれて生まれたとしても、恵まれたなりの苦労というのも必ずあるはず。そしてたとえ恵まれずに生まれたとしても、そういう優劣を前向きに捉えれば、努力する上での原動力にもなり得る。生まれつきのそれを、生まれてからのそれで補おうと必死になれる。今まで気付けなった自分の持ち味に気付くきっかけにもなる。少し違う土俵で戦うという工夫も生まれる。人類はそうすることで進歩してきたんだと思う。そうやって競いはすれど争いはしないのが、きっと人類にとって本当に目指すべき世の中。
帝大とか良い大学出てすぐ働き出して出世してる同年代くらいの奴らより稼げるようになりたい。何度も受けては落ちた面接で、履歴書1つで俺のことを鼻で笑った奴らに、『Fラン大出身とか働いてない期間なんて、お前らを追い抜かす上では大したハンデにならなかった』と言えるようになりたい。月出里逢本人でなくとも、それに準ずるくらいの良い女を手に入れたい。そんな思いで、引きこもりニートを卒業した。そんな俺だから、彼女の存在を否定することなんてできやしない。
それと今日あったことも考えると、たとえ成功しても黒田さんはともかく山内さんみたいな人を嗤わない人間になりたい。より良い世の中の一部に、誰よりも先になりたい。
……ま、そんなこと考えてても、俺自身も含めて世の中の人間の大部分はそんな高尚じゃない。遅ればせながら社会に出てそれをよく実感した。
ネットの上だけじゃなく、リアルでも、どうしても人はないものをねだって、それを持つ者を妬む。自分の力でそういうものを手に入れようとする前から。どうしたって人間は楽に流されてしまう。憲法を尊んで平和平和と唱える人間ですらも、ないものねだりの争いは喜んでやる。遠巻きに自分の首を絞めることになるとしても、多数派の政治家や金持ちの足を嬉々として引っ張りたがる。自分と同じ国の優秀な人間を落とすためなら、思想とかそんなものに関係なく、外国にとって利益になるようなことも躊躇わない。
そして逆に自分が何かを持つことになったら、その経緯に関係なく、途端に持たない者を嘲笑う。その『持ってること』を実感するために。高い立場を手に入れるまでに素晴らしい志を抱いていたとしても、やがては腐っていく。私利私欲に走って今の不景気な世の中を作った政治家と官僚を国の名の下に叩く人々も、おそらく同じ立場になれば大体が同じようになびく。自分自身がそうならなくても、自然と優遇することになる血縁者は時代を経てどこかで堕ちる。個人の資質の問題とか以上に、『人の世の中』というのはそういうシステム。近所の国が自分達の古い王朝を打倒して新しい王朝を作って、やがて政治が腐敗して、また新しい王朝を作り直すのを何千年も繰り返してるのと同じ。
色恋をする暇もなく練習に明け暮れてテレビの中のヒーローになったプロ野球選手が、その稼ぎに擦り寄ってきた見た目の良い異性を囲い込むのなんて、そういうのと比べたら可愛いもの。略奪とかでもない限りはむしろ当然の権利。月出里逢にそういう異性が本当にいるとしたら流石に凹むけど、それは単なる個人の価値観。
そんな世の中で、そんな人間だらけなのに、『優劣はイコール不平等じゃない』ってのを前提に『人はみな平等』という建前をどうにか保ち続けるためには、俺のような弱い方の人間と、月出里逢のような強い方の人間はお互いにどうしていけば良いのか……
今のこんな世の中が人間の世の中の完成形なんかであってほしくない。人類はもっと進化できるはず。人類は『人殺しは善くない』が共通認識になるまでに途方も無い時間を要したけど、それでも逆に言えば時間をかければちゃんと進化はできる。『既存の人の世の中はおかしい』が共通認識になる未来が生まれてもおかしくない。
人それぞれが自分達なりに『世の中の進歩』という人類の進化を目指すこと。そして誰よりも先に、その進歩した世の中の一部になるのを目指すこと。これも1つの戦いだと思いたい。
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