第百二十四話 泣きのもう1打席(6/6)
******視点:月出里逢******
6月13日。スティングレイのカード3戦目で、バニーズにとっては今年の交流戦最後の試合。
「2回の裏、バニーズの攻撃。4番サード、月出里。背番号25」
「0-0、打席には昨日猛打賞の月出里。昨日の試合でバニーズは11年ぶり2度目の交流戦優勝となりましたが、連勝も5で継続中。今日も勝って勢いを付けたいところ」
昨日いきなり満塁のチャンスを不意にしたけど、何だかんだで活躍はしたから今日も4番。昨日一昨日は第1打席からランナーありのチャンスだったけど、今日は初回三凡でランナーなしからのスタート。
「ボール!フォアボール!」
「選びました!ノーアウト一塁!」
「ナイセンナイセン!」
「安心安定のお散歩ちょうちょ」
やっぱり最初の打席はこういう状況が一番楽。向こうとしても先頭を出したくないってことで結構気合い入れてくるけど、たとえそれで打ち取られたとしてもある程度粘れば『球数を稼いでくれた』って認めてくれるし、力んでボール先行してくれたらそのまま歩けば良い。『こうしなきゃいけない』ってのが少ないから、後の打席に生かすために球筋を見たり、本番の中での自分の動きを確かめる余裕もできる。
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「4番サード、月出里。背番号25」
「ワンナウト三塁、一打先制のチャンスで月出里が打席に向かいます!この6月は打率5割と大いに当たってます……おっと、■■監督が出てきて……申告敬遠です!」
ありゃりゃ……
「おいィ!勝負せぇや!」
「チッヒ!舐められとるぞ!」
「一発かましたれ!」
「5番ライト、天野。背番号32」
打席に入ることなく大人しく一塁に向かって、投手と打者の勝負を静観する。
『敬遠』。一塁への出塁を引き換えに、強打者との勝負を避ける手段。大体同じ結果になる『危険球』よりはよっぽど潔いし、された打者からしたら一種の名誉だけど、次の打者からしたら不名誉極まりない。守備の関係で一塁を埋めるためにも敬遠はするけど、ここでは明らかに『前の打者よりは見劣りする』って言われてるようなもの。
(逢ちゃんの方がすごいのはぼく自身も認めるところだけど、それでもやっぱり悔しいのは悔しい。もちろん、こうなったからには何がなんでも打ちたいとこ)
でも、その『打ちたい』って気持ちも、一種の『揺らぎ』になり得る。
「一塁牽制!」
「セーフ!」
「もう1回一塁へ!」
「セーフ!」
そして当然、ここじゃマークされるよね。
(月出里さんはチームの方針なのか去年は70盗塁と相当な数を積み重ねましたが、今年は年間およそ30くらいのペース。一昨年までの動向を見る限りでも、基本的に数よりも率を重視するタイプ。盗塁を仕掛ける時も大抵クイックや牽制があまり得意でない投手がマウンドにいる時で、あまりリスクは取りたがらない。故に走者としての月出里さんはしっかりマークしておけば、そこまで脅威にはならない)
こうやって勝負を避けられたのは、一昨日と昨日の功績。味方から4番として使われる以上にきっと名誉なこと。ずっと自動アウトだったあたしにとって、敬遠されるくらい実力が認められたのは嬉しいことだけど、こうやって別リーグの球団の人にも手の内がバレるくらい実績を積んだということでもある。それはそれで面倒。
「引っ張って……」
「アウト!」
「しかしこれはショート正面のライナー!ランナーそれぞれ戻ります!」
「「「「「あああああ……」」」」」
ほんのコンマ数秒、インパクトのタイミングが違ってたら、きっとセンター前かレフト前。もっと言えば、もう数mmバットの上っ面ならきっと長打。あたしへの『敬遠』の意味合いも変わってた。
「ストライク!バッターアウト!」
「落としました!これでスリーアウトチェンジ!バニーズ、この回も得点ならず!」
「うーん、金剛が冷えてきたなぁ」
「結果的にちょうちょ敬遠が正解か……」
(日本の野球で2番を"アウト覚悟の繋ぎ役"として割り切ってでも6番の打力を優先しがちなのは、『4番最強打者だから』というのが理由の1つでしょうね。最強打者の直後にそれに次ぐ強打者を置くのは何番最強打者であってもほぼ共通ですが、野球はスリーアウト取らなきゃ攻撃を止められないのですから、最強打者との勝負を避けて次の打者を打ち取れたとしても、その次の打者にも繋がる可能性は大いにあり得る)
(バニーズは元々強打者の質はともかく量が少ない。その上で2番にオクスプリングのような現代的な打順の組み方をしてるから、6番以降の層が薄くなりがち。絶好調の月出里を今のチーム状況で4番に置いてくれてるのは却ってありがたい……それでも負け続けてるウチの方がチームの状態が深刻なんだがな)
野球は点取りゲーム。点に繋がらなければ、さっき与えられた『敬遠』っていう名誉も無意味。
でも、数は確かに残る。ヒットの数も四球の数も、それだけじゃ勝ちには繋がらないけど、『9人がかりで点を取るスポーツで自分なりの仕事はした』って証拠にはなる。自分なりに勝ちを目指したんだっていう証明にはなる。単純に選手個人の能力を示すものだけには留まらない。4000本以上ヒットを打った樹神さんだって、それだけの数字を積み重ねた以上は"ただのマイペース野郎"にはなり得ない。
……あたしが目指す"史上最強のスラッガー"ってのは、もしかしたら『敬遠』の数が1つの根拠になるのかも?打点とかと同じで、他の打者との兼ね合いも確かにあるけど、打点ほど運には左右されない。極端な話、あたしの後を打つ打者がたとえ世界で2番目にすごい打者でも、あたしが1番すごい打者なら『敬遠』はきっとされる。むしろそれこそが、1番すごい打者だって認められてることの証明。
もちろん、積み重ねるならホームランの数の方が良いけど、敬遠の数もちょっとだけ心の片隅に置いておこうかな?
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試合が終わって、ロッカーで着替え。
結局今日も勝って、バニーズは6連勝で貯金3つ。しかも明日から4連休。あたし自身は敬遠2つ含めていわゆる猛歩賞だったけど、久々にノーヒット。それでもちゃんと勝ったんだから、この後すぐ優輝の部屋に直行して搾り取りまくっても、きっと何の罪悪感も湧かないはず。ケケケケケ……
「よう、逢」
「メスゴリラ師匠」
「……?何か良いことあったのか?えらいニヤニヤして」
「いえ、何でもないです……」
球場を出ようと思ったら、初めて会った日と同じく、ジャージ姿のメスゴリラ師匠。
ガラスの仮面でも被るように、顔を数秒覆って表情を戻す。早く帰って色々楽しみたいのに……
「大丈夫ですか?スティングレイって明日も試合ですよね?」
「ああ。でもその前にどうしても逢と話しておきたくてな。来年からはしばらく日本から離れるつもりだし」
「……ってことはあの噂、本当だったんですね」
「ああ。球団とは去年もう話をつけてるんだけど、今年のオフにポスティングでメジャーに行こうと思ってる」
ネットでは周知の事実みたいな感じだったけど、やっぱり……
「チームを3連覇させてある程度やることはやったし、光忠との勝負をこれ以上後回しにはできねーからな」
「去年あんなんでしたけど、今年すごいですよね、幾重さん」
「あったりめーだ。光忠があの程度で折れるかよ」
去年、幾重さんは打つ方でも投げる方でも散々な成績で、日本でもアメリカでも『やっぱりメジャーで二刀流なんて無謀だったんだ』って雰囲気が流れてたけど、今年は主に2番打ちつつ先発もバリバリこなしてる。ホームランの数なんてこのままいけば五宝さんが持ってる日本人記録を余裕で抜きそうな勢い。"この地球上で一番良い選手"に着実に近づいてる。
「だから今年、こうやって逢と4番同士で勝負できて良かった。逢、お前もいずれメジャー目指すんだろ?」
「まぁ……ぼんやりとは考えてます」
正直、飛行機乗るの超イヤだし、英語覚えるのもクッソめんどくさいから、あたし個人としてはメジャー挑戦なんて全く気乗りしないけど、"史上最強のスラッガー"を目指すんだったら多分メジャーで結果を出すのが最低条件になると思うし、まぁしょうがないよね。
「ならまたいつか勝負できるな」
「今年だってまだチャンスはありますよ。オールスターとかあんなの以外でも」
「……そうだな。最後にテッペンで勝負ってのも悪くねーな」
そう言って、拳をあたしに向ける。
「お前にはもう『追いついてみな』とは言えねーな。今度は『追い越してみな』」
「もちろん」
拳を合わせて、後は無言でお互いに手だけ振って別れた。
チームを優勝させたり、あたし自身も低めの球をホームランにできるようにしたりとか、やるべきことはまだまだ色々残ってるけど、それでもただ遠くから見上げるしかできなかったメスゴリラ師匠と並んでも恥ずかしくないくらいにはなれたと思う。拳に残った感触がきっとその証明。
というわけでやっぱり、帰ったら自分へのご褒美。また昂ってきた闘志みたいなものを一旦鎮めて、しっかり身体を休められるようにね。ケケケケケ……




