第百二十話 転機(2/9)
******視点:妃房蜜溜******
5月23日、選手寮のトレーニングルーム。
去年肘の手術をして、今は実戦復帰に向けて二軍でリハビリ中。『たまに復帰できないこともある手術だ』って聞いてたけど、幸い術後の経過はすこぶる順調。流石に今年中は無理っぽいけど、このままいけば来年にはまた勝負できるようになる。
「……ん?蜜溜さん、まだやっとるんですか?」
「ああ、うん。もう少しで部屋に戻るから」
ロードバイクを漕ぎつつ、タブレットをテーブルに置いて動画アプリで月出里逢の動向をチェック。先月は何だかつまんない打者になっちゃってたけど、先々週くらいからまた一皮剥けたね。キミがいるから、また勝負したいって気持ちでリハビリにも熱が入る。
……とは言え、アタシも単に元通りになるだけじゃダメだろうね。こうしてる間にもどんどん成長を続ける月出里逢に勝つためってのもあるけど、そもそももうこんなふうに怪我はしたくないし。今まで勝負を続けた結果こうなったことと、痛い思いをしたことに関しては気にしちゃいないけど、勝負ができないのはどうにももどかしい。手抜きは嫌いだけど、それでも『壊れないような投げ方』っていうのも考えなきゃね。
「さてと……」
別の動画を検索。アタシと同じ左投手のプレー動画。
アタシは基本他の投手のやり方なんか興味がなかったけど、月出里逢が前に何かの番組で『高校時代から毎日メジャーや日本球界のスラッガーのプレー動画を観てる』って言ってたからね。今のアタシもできることがだいぶ限られてるし、最近こういう練習も採り入れるようになった。
けど……
「うーん……」
同じ左投手の投げ方はどうにもしっくり来ない。そりゃそうだよね。アタシの身体って『鏡写し』なんだから。
「ん……?」
タブレットの横に置いてるスマホに、スポーツ速報アプリからの通知。明後日からの交流戦、各球団の一戦目の先発の予想に関するニュース。
シャークスの初戦の相手はバニーズ。確か一昨年もそうだったよね?ちょうど大型連敗を脱出してすぐくらいの時期で色々と印象に残ってる。ウチの先発は■■で、バニーズの方は……風刃鋭利。最近テレビでバニーズの特集をやってると、月出里逢の次くらいによく聞く名前。
「どれどれ……」
気になる打者のことは毎日のように検索したりして調べてるけど、投手について調べるのは久しぶり。
「うわ、やるね……」
風刃鋭利。アタシの2つ下の子。今シーズンすでに5勝0敗、防御率1.32、47回投げて56奪三振。騒がれてるだけのことはある。
山口恵人っていう左の子も最近バニーズで活躍してるみたいだけど、アタシにとってはむしろ右の風刃くんの方が参考になりそう。プレー動画での見学も込みで、もうちょっと詳しく調べてみようかな?
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******視点:斉藤エイル [横須賀EEGgシャークス 投手]******
5月25日、選手寮の食堂。
今日は実に良い日じゃ。二軍戦で先発で出て結果も上々。しかも……
「エイル、今日何食べるの?」
「蜜溜さんと同じので!」
憧れの蜜溜さんが初めてわしの登板を最初から最後まで見届けてくれて、夕飯も一緒。しかもこのまま食堂のテレビで、今日から始まる一軍の交流戦も一緒に観る約束。
「はぁ……良いご身分だよなぁ」
「ほんとあの"給料泥棒"は……」
「む……」
「気にしなくていいよ、エイル」
一昨年、一軍が18連敗しとる時に一悶着あったせいで、蜜溜さんは今でも一部の先輩選手からヘイトを向けられとる。そういう連中がここぞとばかりに、今シーズンいっぱいは二軍の試合にも出られんであろう蜜溜さんに陰で色々言っとるんじゃが、わしに言わして貰やあ蜜溜さんの言い分がどう考えても正しいわ。わざわざプロになって道化を目指す馬鹿たれがどこにおるっちゅー話じゃ。
……それに、一軍の現状を考えてもな。
一昨年、蜜溜さんの檄をきっかけに最下位から2位にまで上り詰めた我がシャークス。去年も蜜溜さんがおった頃まではAクラスに陣取っとったが、その後は結局4位まで転げ落ちた。
そして完全に蜜溜さん抜きで挑む今年。開幕からおかしなほど負けまくって、今やぶっちぎりの最下位。首位パンサーズとのゲーム差は何と既に17。蜜溜さんの言葉に奮起し、目の前で胴上げされて悔し泣きした一昨年からあっという間に腑抜けてしもうた。全く情けない限りじゃ。
わしは二軍でもうちいと実績を挙げられりゃあ一軍に上げてもらえるって話じゃけん、もし叶うたら今度はわしが蜜溜さんの代わりに一軍の情けない連中をシゴウしたるわ。
「あ、蜜溜さんにエイルちゃん。お疲れ様です」
「ちーっす。ウチらもご一緒してよろしおす?」
「いいよ」
「…………」
「……?どないしたんやエイル?ははーん、ひょっとしてウチの美しさにようやく気付いたんか?」
「わたし、麗文ちゃんが可愛いの知ってるよ」
「あははは!観星はほんま素直でええ子やなぁ!」
ちょうど4人掛けのテーブル。わしと蜜溜さんで向かい合わせじゃったが、わしの隣に観星、蜜溜さんの隣に麗文が座る。
せっかく2人きりじゃったのに……お前もキャッチャーじゃったらピッチャーの考えてること察しろや麗文……!
「1回の表、バニーズの攻撃。1番セカンド、徳田。背番号36」
「あ、始まったな」
夕食がそこそこ進んだところでゲームスタート。今日はシャークスのホームゲームじゃけんバニーズが先攻。しかし今日は月出里が1番じゃないんじゃのぉ。
「ショート深いとこ!一塁は……」
「セーフ!」
「セーフ!内野安打!」
「おおっ、速い速い」
確かに徳田さんは俊足じゃが、ここも地味に今のシャークスの象徴じゃな。不動のショートレギュラーである艶さんの低迷。去年から明らかに動きが鈍っとる。UZRとやらにも出とるようじゃし。
投手をドラフト上位で補充しても補充しても絶妙に足りず、その鈍った艶さんに代わるショートすら用意できんのが、今のシャークスの窮状を物語っとるな。
「2番サード、月出里。背番号25」
出たのう、わしら世代のツートップ。
「あ、わたしはもうごちそうさまで……」
「ん?もうええんか?」
「うん、ちょっと今日疲れてて……」
あの大喰らいの観星が珍しく、誰よりも先に食卓を離れる。
……ま、理由は大方察しが付くがのう。同い年のわしらなら。




