第百十九話 リバース(5/6)
「5回の裏1-1の同点、ワンナウト一塁で打席には月出里。今シーズンは打率1割台と低迷していますが、今日は2打数1安打」
「ちょうちょ!とりあえずゲッツーだけは勘弁な!」
「まぁ最近のちょうちょの数少ない良いとこはゲッツー減ったことやしな」
「そら(月にシングル1本しか打たないくらいフラレボだと)そう(ゴロなんてほとんどない)よ」
(南雲、甘いとこに抜けさえしなければコイツは安牌だ。今日2の2で当たってる徳田とは極力ランナーを溜めずに勝負したい。ゲッツーとか欲張らずに、確実にアウト取るぞ)
(うっす)
残念ながら、今のあたしはゲッツーを打ちまくってた頃のあたしに近い。そうなるように調整したからね。
「ボール!」
「ストライーク!」
「カットボール、見送ってストライク!」
(よしよし、それで良い。外の広さがあるんだから、ボールが多少嵩んでも良い。ムービング系の球に早めに手を出してくれればそれはそれで儲け物)
だから、球を選ぶのも慎重に。
伊達さんから休みをもらって一番最初にやったのは、『前の打ち方に戻すこと』。また欲張らないようにっていう断捨離みたいな意味合いもあるけど、何より今のあたしはまだまだ"あたしの中のあたし"に頼らなきゃなかなか打てないからね。特に瀬長くんみたいな純粋に良い投手とか。
……プロに入ってからきちんと打てるようになって2年以上経って、あたしもあたし自身の性質みたいなものがどんなものなのか、何となく肌で理解できるようになってきた。打席に立ってると見えてくる雑コラみたいなイメージも、多分"あたしの中のあたし"が色んな記憶を辿って繋ぎ合わせたもの。本能が導き出した、あたしなりの打ち方の答え。
あの変態とか瀬長くん相手の時はイメージが鮮明だったり、鹿籠さん相手の時はイメージが視えるけど見当違いだったり、相手投手によって個人差はあるけど、それでも少しずつ、イメージの精度とか、あたし自身がそのイメージをより正確になぞれるようになって、成績も伸びていった。そのせいで打球の方向が偏ったりしたけど、メスゴリラ師匠に言われたこととか一昨年のオフの練習で、あたしの望む方向に打球が飛ぶように、視えるイメージをある程度こっちから要求できるようになった。
それでも、ホームランは全く打てなかったけどね。振旗コーチが言うには、ホームランを打つために芯からあえて少し外すのを、"あたしの中のあたし"が『打ち損じ』と勘違いしてるから。
「ボール!」
(フォークを振らせたかったがバッティングカウント……次の1球、勝負どこだぞ!)
(うっす!)
「!!!」
「ファール!」
「151km/hまっすぐ!バックネットに当たりました!これでツーボールツーストライク!」
((よし……!))
向こうの南雲さんも良い投手。きっと金曜までのあたしだったら手も足も出なかった。今のまっすぐだって、視えたイメージよりももっと伸びてきたから、甘く入ったのに仕留められなかった。まだ1年目だけど、このままいけばリーグきってのエースになれると思う。
(コイツで決める……!)
「ファール!」
「!!?」
「スライダー、当てました!」
「ファールボールにご注意ください」
それくらいすごいから、あたしも、"あたしの中のあたし"も、今日のこのスライダーを打てるイメージがはっきり視えるようになるまで3打席かかった。
(どうにかこうにかってとこか……)
(心配いらん。南雲の真骨頂はスライダーの使い分け。そうそう的を絞ることは……)
「ファール!」
((な……!?))
球種を見極めたり、打つタイミングやミートポイントを判断したりする要素は、何も球筋そのものだけじゃない。投手の『呼吸と拍子』。それにリリースポイントとか色々。投球は投手の動き全部の足し算だからこそ、どの動きからでも読み解けるものはある。
(ならもう1回、全力まっすぐ……!)
「!!!ライト方向……」
「ファール!」
「切れましたファール!」
「惜っしい……!」
(くっ……!こうなったらコイツしかねぇか)
(今日全然投げてねーけど、しゃーねぇな。今度こそ……!)
「ファール!」
((……!?マジかよ……))
「カーブ!今日初めてですかね?」
「ええ。しかし今の、よく合わせましたねぇ。踏み込みが早かったのにギリギリまでヘッドを残して……」
「ええぞええぞちょうちょ!」
「やっぱこれがちょうちょや!」
「"バニで一番頼れる女"が戻ってきたわ!」
投手の投球を点じゃなくて線でちゃんと視れていれば、多少の軌道やタイミングの違いとか、ロジンの付けすぎで大袈裟に舞う粉にも煙に巻かれることはない。初見の球種だって最低限逃げることはできる。
(ただコース自体は良かったし、タイミングも外せてた。もう1球、続けられるか?)
(何とか……!?)
「ああっと後逸!」
「セーフ!」
「一塁ランナー二塁へ!記録はワイルドピッチ!!」
「カーブ続けましたけど、思いっきり外に外れてしまいましたねぇ……」
(すまん、止められずに……!)
(いえ、俺も不甲斐ないっす……)
「よっしゃあ!デカイでこれ!」
「得点圏得点圏!冬島とあけみん入れ替わったのが生きたで!」
「ちょうちょ!わかってるやんな!?」
「いつものシングルでええで!勝ち越し勝ち越し!」
「チョコンと当てるだけでええんやで!」
そうだよね。こうなってくると、みんなが求めるのはそれだよね。もちろん、あたしも今日からはチームの勝ち優先。最低でもそうなるようにする。金曜日までみたいに、どんな時でも引っ張ってホームラン狙うようなバカな真似はもうしない。
……だけどその上で、あたしはもうちょっとだけ欲張る。あたし自身のためだけじゃなく、その『チームの勝ち』ってのをより現実的にするために。
(やっぱすげぇな、月出里逢。1つ年下だが、"天才"って呼ばれてるのも頷ける。試合が始まる前までは『楽勝』なんて思ってて悪かったな)
(南雲。どうせ歩かせても結果はそう変わらん。思いっきり投げ込んでこい!)
(小細工が通用しない以上、投げるんならやっぱり一番自信のある球……!)
南雲さんが投球動作に入ってリリースしようっていう瞬間から、また時間がゆっくり流れてるような感覚。喧嘩でパンチがくるとわかっていたら対処しやすいのと同じように、投球動作に合わせたバッティングの始動や球種の読みがドンピシャだと、こういう感覚になりやすい。
思ったとおり、外へのスライダー。球審がストライク取ってくれるだろうっていう見込みで、ホームベースの端をかすめ取れるか取れないかってとこ。だけどさっきの暴投の残像があるのか、高さは真ん中かそれより高め。
((……!))
もちろん、球種を想定してたってことは、読みが当たった場合にどう打つべきかも視えてたってこと。引き付けて、無理なく逆方向に打ち返す。"あたしの中のあたし"にはその方法を考えてもらって、あたしはそれをなぞる。
だけど、馬鹿正直に全部なぞるわけじゃない。あたしなりの工夫も織り交ぜる。スイングの軌道を、気持ちボールの少し下を潜らせるように。そしてバットでボールを掴むような感覚で、インパクトの瞬間にヘッドを走らせる……
「「「「「!!?」」」」」
「ライト大きい!!!」
この1ヶ月の間にホームランを狙いすぎて積み重ねてしまった負け。そしてそのための練習。そういうのも無駄じゃなかったんだって証明するためにも……!
「入ったあああああ!11号!!ツーランホームラン!!!」
「「「「「よっしゃあああああああ!!!!!」」」」」
「「「「「ちょうちょ!ちょうちょ!ちょうちょ!ちょうちょ!」」」」」
「ようやったわ"いけすかないバタフライ野郎"!」
「これで氷室くんが勝つる!」
思ったよりも大きく曲がって少し先っぽの方になった分、ギリギリのスタンドイン。でも入るのかヤキモキしてた分、堰き止められた歓声がどっと湧き上がる。あたしも飛び跳ねたくなるほど嬉しいけど、それでもできるだけ落ち着いてダイヤモンドを回る。相手投手への敬意とかそんな高尚なものじゃなく、単にもう踏み忘れたくないのと、また調子に乗らないようにっていう自分への戒め。
……プロ入ってすぐの紅白戦で天野さんが打ったような逆方向への一発。あの時はあれが羨ましくて妬ましくて、最後の打席で意地を張って、勝てる勝負を逃してしまった。
そしてついこの前までのあたしも、全く同じようなことをしてしまってた。『あたしにだって打てる』って強がってた。でもそのくせ、『あたしは所詮こんなもの』って、自分で自分を見くびってもいた。
だけど違った。今のあたしはこうやって打てる。ただ引っ張るだけじゃなく、こういうふうにも打てるようになってた。あたしもこうやって、チームを勝たせられるようになってた……!
「今ホームイン!3-1!バニーズ、ついに勝ち越し!」
「見事な一発でしたね。外の浮いたスライダー、欲張らずに払うようにスタンドまで……」
「ナイバッチ!」
「すごいよ逢ちゃん!」
「サンキュー月出里!」
「氷室さん、今日こそ勝ち投手にしますから」
「おう、頼むぜ!」
久しぶりにどうでも良いとこ以外で打てたからか、ベンチ前での迎えも熱量が違う。
あのホームランを打つまでの刹那を振り返りながら、ベンチに座って一息。
「変わったね、月出里くん」
「伊達さん……ありがとうございます。あたしを信じてくれて」
「君も、僕の期待に応えてくれてありがとう」
伊達さんと拳を合わせる。呼び方だけじゃなく、こういうとこも選手同士の頃と変わらない。でもその分、あたしのことをきちんと理解した上で信頼してくれてる。だから昨日までの時間もくれた。
「2番セカンド、徳田。背番号36」
(ナイスだよ逢ちゃん。でも欲を言えば、アタシのバットで勝ち越したかったなぁ。あっくんのために)
「ボール!」
……この一発でこの1ヶ月のマイナスが全部チャラなんて、そんなこともちろん思っちゃいない。右にも打てたんだから、今度はセンターにも打てるようになる。もっといっぱい打てるようになって、すみちゃんや伊達さんがあたしを信じたことが正しかったんだって証明してみせる。
「ボール!フォアボール!」
「選びました!再びワンナウト一塁!」
(だからせめて、試合全体では一番あっくんの勝ちに役立ちたいとこだよね)
「エペタムズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、南雲に代わりまして……」
「ああーっ、ここで南雲は降板です……」
途端にストライクを取れなくなった南雲さん。あの時、天野さんに打たれた後のカリウスもそうだった。やっぱりホームランの力はすごい。あたしもようやく、こんなふうに……
「月出里」
「コーチ……」
振旗コーチが隣に座って、耳元に顔を寄せる。
「逆方向の一発、最初から狙ってたでしょ?」
「ええ、まぁ……」
「ほんと、根に持つタイプねぇ」
「……誰にも言わないでくださいね?」
「はいはい。あの時みたいにね」
コーチにはお見通し。『チームを勝たせる』のが一番の目的だったとしても、天野さんへの積年の対抗意識がまだ心の中に燻ってたのは否定できない。この人にはやっぱり隠し事ができない……




