第百十七話(第三章最終話) オーバーダイブ(5/7)
******視点:月出里逢******
ゲームもずいぶん進んで、もう7回の裏。ツーアウト二三塁。
おそらくこれが、今日の試合で鹿籠さんに勝つ最後のチャンス。しかも一打同点、一発で逆転という最高に熱い……はずの場面。
「ちょうちょ!こうなったら思いっきり振れや!」
「キャッチャーがビビってガバったらまだ1点はある!」
「自慢の俊足で振り逃げや!」
けど、こんなのでもまだ期待されてる方。そりゃそうだよね。一発なんてプロに入って1本こっきりも打ったことがないし、それどころか鹿籠さんから一打すら打ったことがないんだから。
『君の長所を認めてるだけまだマシだよね♪』
……また視えてしまった。また囁いてきた。小学生くらいの頃のあたしっぽい、クッソ可愛い何か。ケラケラと嗤いながら、あたしにもたれかかる。
一昨年、交流戦であの変態……妃房さんと勝負して以来、たまにこういうことがある。今みたいに悪魔の姿だったり天使の姿だったり。どっちにしても、この子が視えてる時はいつも時間が異様にゆっくりと感じる。今もいつものルーティンをしつつネクストから打席に向かってるはずなのに、一向に辿り着かない。別に政治家よろしく牛歩戦術なんてしてるつもりもないのに。
『怖いんでしょ?打席に入るの』
ッ……!
『だぁいじょうぶでしょ?お客さんからだって「空振りで良い」って言質取ってるんだから。ただの三振で終わっても、ちゃあんと「チームのことを考えてやったんだ」って擁護してくれるって♪』
…………
『それともぉ、いつも通りあたしに頼る?とりあえず当てるくらいまではできると思うしぃ、アリバイ作りにはなるんじゃなぁい?』
……やっぱり君って、そうなんだね。"あたしの中のあたし"。
『そう。あたしは君が言うところのそれ。君が生まれ持った、君の力そのもの』
何で今になって教えてくれたの?
『あたしが教えたんじゃないよ。あたしは君なんだから。君が気付けただけ。何でだと思う?』
……あたしが君を理解できるようになってきたから?
『正解。「ほんのちょっとだけ」だけどねぇ♪』
そんなにクッソ可愛い姿してるのも?
『君にとって、一番可愛かったと思う時期を再現してみましたぁ♪イェーイ♪』
あたしがいつまで経ってもホームランを打てないのも?
『はぁい♪あたしのせいでーっす♪』
こんにゃろう……
『……そんなあたしを裏返したくて、積み重ねてきたんでしょ?好みの男といっぱい練習して、時々……っていうか逢える日はほぼ毎日エッチなこともして』
そうだよ。
『やれるもんならやってみればぁ?』
ほんとウザいね、君。ああ言えばこう言う。
『そりゃあたし、君なんだし』
ならわかるでしょ?
『?』
あたしがンなこと言われて、芋引くのかと思ってンのかよ?ああ?
『…………』
すっこんでろや小娘。あのうすらデカい陰キャは、あたしだけで打ってやらなきゃ気がすまねぇんだよ……!
『その意気その意気。まぁ、せいぜい頑張ってねぇ♪ケケケケケ……♪』
……あたし、そんなゲスい笑い方しないし。
「あ……」
"あたしの中のあたし"が視えなくなると、ちょうど打席の一歩手前くらい。割と話し込んでたつもりだったのに……いや、人間の頭の回転って、それくらいものすごく速いものなのかもね。あたしみたいな"赤点ギリギリ女"でも。
あたし自身は会話をしてたつもりだけど、実際はほとんどあたしの妄想劇場みたいなもの。本当に言葉を発して意思疎通してたわけじゃないから、次の言葉が頭に浮かんだ時点で相手にも伝わる。たとえどんな長ったらしい発言であっても。
逆に頭の中で組み立てたつもりの文章をいざ文字にすべく紙とかに書こうとすると、思いの外書ききれなくてめんどくさくなったりするし、そういうものなのかもね。
「プレイ!」
……なーんて、こんな時に試合とは関係ないことまで考えちゃって。
でも逆に言えば、不思議とそれくらい頭の中に余裕がある。ずっと全く打ててない相手に、よりによってこんな大事な場面。本当は心臓が飛び上がりそうなくらい緊張してるのに、まるで壁越しの騒音くらいの感覚で、他人事のように思える。
「ボール!」
「まずは外まっすぐ!148km/h出ましたが外れてボール!」
(ちょっと力んじゃったかな……?)
(それはともかく、何かえらく余裕で見送ったな……打者目線では外の浮きながら逃げていくような軌道に見えるまっすぐ、月出里にとっちゃ特に苦手なはずなんだが……まぁ良い。さっきはボール球だろうと強引に変化球狙ってきたからな。それだけまっすぐを打てる自信がない証拠。下手に冒険せずにあとワンナウト取ってくぞ!)
(ひゃ、ひゃい!)
……視える。
「「!!?」」
「ライト線……」
「「「「「!!!??」」」」」
「ファール!」
「ああっ、切れましたファール!147km/hストレート、ファーストスイングでしっかり捉えてきました!」
「惜しいですねぇ……あと10センチ……」
まだほんのちょっとずれてるけど……
(あ、危ねぇ……)
(わたしのストレートが……)
「え?マジで……?」
「あのちょうちょが葵姉貴のまっすぐを……」
「まぐれとちゃうんか……?」
やっぱり手放しじゃ喜んでくれないよね。それもまた、あたしの積み重ね。
だけど……!
「ファール!」
「もう1球、今度は高め!バックネット方向ファール!」
積み重ねたのは、みじめな負けばかりじゃない。あたしに勝つために残すしかなかったまっすぐの残像も、確かにあたしの中に積み重なってる。いつもと違って、思わず釣られてしまいそうな邪魔なイメージも湧いてこない。あるのは今日も積んだ経験値と、優輝と練習して作り上げた打ち方だけ。
(……やっぱまぐれじゃねぇな)
「ボール!」
「低め!チェンジアップ外れました!」
「やりゃできるやんけちょうちょ!」
「いや、三振前の何とやらやろ……(震え声)」
「ワイはまだ信じへんで(頑な)」
さっきまでかすかにくらいは聞こえてた嫌な言葉。今は全然耳に入らない。それどころか、球場にいること自体も忘れてしまう。
ラインとかベースとかフェンスとか、必要最低限の物だけが配置されてる簡素な空間で、鹿籠さんの姿だけがはっきりと、他の人達はぼんやりとだけ視えてるような感覚。目の前に広がる空間は暗くはないけど真っ黒で、まるで古いテレビゲームの画面。そのおかげか、白いラインとベース、それと……
(スイングはしなかったけど、一応反応はあった。変化球の目は捨ててない。なら、今度こそまっすぐで……!)
(よし、外いっぱい!これなら……)
「ファール!」
「「……!!?」」
白いボールが、いつもよりくっきりと視える。いつもの気分転換みたいに、アレコレ考えることなく目の前の勝負に集中できてちょうど良い。
それだけじゃない。1年目の夏くらいにあった時と同じような感覚。辺り一面何もかもにあたしの神経が張り巡らされて、色んな角度から投球が視えるような、そんな感覚。浮き上がるカットボールっぽい変な軌道に踊らされてたのが嘘のように捉えられる。
「ここは粘りますファール!」
「外低めいっぱい、完璧なコースだったんですけどねぇ……」
……やれる。これならやれる。鹿籠さんに勝てる……!




