第百十四話 最低条件(7/8)
******視点:伊達郁雄******
試合後の監督室。ビジターではあるけど、残ってやることも色々ある。球団から支給されてるノートパソコンを開いて、球団管理アプリを起動し、メールとかを確認。
『お疲れ様です。本日の試合で取得したデータをアップロードしましたので、URLを共有いたします』
『ありがとうございます。後ほど確認させて頂きます』
とりあえずスコアラーからのメールに返信。データの確認はホテルに戻ってからで良い。
昔は多分こういうのは監督室を行き来してビデオテープやスコアブックを渡したり、ちょっと前ならフラッシュメモリを手渡したりとかしてたんだろうけど、今は大体のことが球団管理アプリごし。
そこまで古い人間のつもりはないけど、どことなく軽薄さを覚えてしまう。いつものメールにはいつも返事をコピペしてる僕が言うことでもないけど。僕も昔会社勤めでパソコンを触ることもたまにあったけど、もう20年くらい昔のことだし、今でもブラインドタッチはできないんだからしょうがないよね。
「……ん?」
そんなこんなで来客なんてないはずなんだけど、ドアをノックする音。
「どうぞ」
「し、失礼します……」
申し訳なさげにゆっくりとドアを開けて入ってきたのは宇井くん。
「あの、お忙しいところ申し訳ないっす。今ちょっと相談良いっすか……?」
「良いよ。どうしたんだい?」
相談を持ちかけてきたのに、なかなか切り出せずに目を泳がせる。まぁ高卒2年目の子なんだから、監督に直に何か言うのはためらわれるよね。
それでも相談に来たってことは、よっぽど話したいことがあるってことなんだろう。黙って次の言葉を待つ。
「あの……昨日も今日も申し訳ないっす……」
「何がだい?」
「守備のこと……せっかく開幕からスタメンに選んでくださったのに。監督の顔に泥を塗って、氷室さんにも百々(どど)さんにも迷惑をかけて……」
「……まぁ、色々言われてるよね。僕に対しては気にすることはないけど……」
「でも、言われてることは大体ほんとのことで。『自分なんかよりも相沢さんをショートで使った方が良い』とか……」
「…………」
「自分は高校出て2年目なのに、春のキャンプで良い経験させてもらったり、開幕一軍どころかスタメンにも選んでもらいましたけど、自分は月出里さんや風刃さんとかみたいにすごくなんかないっす。自分も確かに試合に出たい気持ちはありますけど、今年のバニーズは優勝しなきゃいけないのに自分がいたら、どうしても迷惑になっちゃうんじゃないかって。お荷物なんじゃないかって……」
……なるほど、ね。
「そう言えば宇井くんと僕って、入れ替わりだよね?」
「え……?」
「僕が引退した次の年から宇井くんが入って、僕が監督になって。宇井くんは僕の現役の頃って観たことあるかな?」
「あ……えっと、すみません。バニーズ戦はあんまり観たことなくて……」
「それは残念。けど、キャッチャーやってたことくらいは知ってるよね?」
「それは、はい。恵人……山口さんからも現役の頃の監督の話はよく聞くので」
「……僕が若い頃はそうでもなかったんだけどね、最近はキャッチャーを併用するのが当たり前になってきてる。僕も現役の最後の方は腰の爆弾持ちだったから尚更で、冬島くんや有川くんなんかと併用されてた。今年のバニーズも、現状は冬島くん主体だけど、他のキャッチャーも併用するつもりだ」
「…………」
「ピッチャーの平均球速が上がって、それに対応するためにバッターも筋肉を付けると自然に怪我もしやすくなって、受けるキャッチャーへのダメージも大きくなって、守備の負担とかそういうのが重く見られるようになったってことだね」
特にキャッチャーの場合、正捕手への属人化が強くなりすぎると、正捕手が故障した時にチームがガタガタになる危険性があるから、その辺のリスク管理も兼ねてってのもあると思うけど、まぁ今はそこは別に良い。
「そして、キャッチャーの次に負担が大きいとされるショートも、フル出場を続けると衰えが早くなるとよく言われるようになった」
「じゃあ自分も……?」
「うん。これから先の展開次第なところはあるけど、少なくとも宇井くんを1年間ずっとショートで出し続けるつもりはない。適度に休みを挟んで、相沢くんや月出里くんにも入ってもらうこともあると思う。宇井くんをサードで起用ってのもあるかもね。けど……」
「けど?」
「ショートは打球が飛んでくる確率が高い上に一塁までが比較的遠いから単純な身体能力が求められるだけではなく、他のポジションとの連携も重要なポジション。ショート個人の負担も考慮は必要だけど、他のポジションの選手への負担も考えれば、たとえ併用前提でも軸になる選手は必要」
「……それを、自分が……?」
「相沢くんはコンディションの都合でどのみち無理だし、月出里くんと徳田くんも一応ショートもできるけど、彼女らはどちらかと言うと今やってるポジションの方が適性が高いし、何よりどちらも打線の要。そうなってくると、一番やれそうなのは君だ」
「で、でも自分には根本的に実力が……」
「そこはわかってる。だからこそ、今は完璧は求めちゃいない。そして今は完璧じゃないから、君の伸び代に期待できる。元々ショートが課題な現状、むしろ君の成長こそが、バニーズの優勝の『最低条件』くらいに思ってる」
「……!」
「だから僕は、君をお荷物とかそんなふうには全く思っちゃいない。相沢くんや月出里くんで騙し騙しショートの穴を埋めても、去年みたいに結局打線とか他のところに穴ができて優勝に届かない可能性が大いにあるんだから、絶対に優勝を目指す以上は賭けも必要。優勝かどん底かの両極端だったとしてもね」
「…………」
「宇井くん。重荷だと思うし、周りからも色々言われて辛いかもしれないけど、僕に優勝の夢を見させてくれないか?」
「自分が、監督に……?」
「そうだ。君を使うかどうかを選んだのは僕だけど、チームが勝つか負けるかどうかを決められるのは君だ」
勝負するのは監督じゃなくて、選手なんだからね。
「……もう少しだけ」
「?」
「もう少しだけ、頑張ってみるっす」
「うん、ありがとう。こんなこと言われて逸る気持ちはあるかもしれないけど、今日はもう遅い。ゆっくり休んで、明日の試合に備えてくれ」
「……『明日もスタメン』、ってことっすよね?」
「当然」
「自分、明日はやってみせるっす」
「うん、期待してるよ」
「それじゃ、自分はこれで」
「お疲れ様」
「お疲れっす」
……同じプロの選手の中には、彼女の考えが甘いって思う子もいるだろう。だいぶ恵まれた立場にいるのに、遠慮して自分からチャンスを手放そうとして。自分の出場機会を求めるために競争相手に危害を加えて警察に捕まった子も割と最近までこの球団にもいたくらいなのにね。
僕自身も元は選手だから、そう思う気持ちも少しはある。それでも、宇井くんのああいうところは好感が持てる。選手から監督になって、個人の名誉よりもチームの勝利をより強く意識しなきゃいけない立場になったのを抜きにしても。
『チームの勝利を重視できる視野の広さと協調性』。そこが宇井くんの良いところで、連携を求められるショートにとって重要な能力。
最近の月出里くんもチームを勝たせようっていう気概を感じるけど、彼女は基本的に樹神さんと同類。"恵まれた実力と才能によって個人としての偉業を果たして、結果的にチームの勝利に貢献するタイプ"。チーム単位ではなく、選手個人単位で応援する分にはうってつけの存在。
それに、月出里くんは入団間もない頃の紅白戦の件もあって、土壇場で個人の名誉やプライドを優先しそうな危うさがある。そういう意味でも、彼女を軸にはしても依存しすぎないくらいの塩梅でチームを構築する必要がある。
……投手陣に関しては、成長真っ盛りの子やちょうど復帰してきた子が多くて、しかもオーナーの大盤振る舞いでメジャーの大物まで確保できたから、使い方さえ間違えなければ問題はないはず。あとは野手陣だけ。
宇井くん自身にも言った通り、宇井くんの大抜擢は正直賭けな部分が大きい。去年の宇井くんの二軍成績なんかを見ても、宇井くんの言う通り、月出里くんや風刃くんと比べて目を見張るものはない。結果だけでは見えない潜在能力に期待しすぎてるってのは否定できない。
それでも、『賭けに勝ちさえすれば優勝できる可能性がある』ってだけ、僕が現役の頃よりずっと恵まれてる。今年こそ、今度こそ、僕は勝ってみせる。
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