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868回敬遠された月出里逢  作者: 夜半野椿
第三章 オーバーダイブ
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第百十話 清算(6/7)

******視点:月出里逢(すだちあい)******


 9月30日。サンジョーフィールドの室内練習場。


「とりあえずいつも通り、右から適当に投げてって」

「オッケー!」


 シーズンオフを口実にした取材やテレビ出演の依頼。球団のメンツとか、オリンピックで目立ちまくったことを考えると、流石に全部は断れない。今日も午前中とっ捕まっちゃったけど、お昼からは優輝(ゆうき)と一緒にバッティング練習。

 あたしだって人間だから、いつもいつも野球がしたいわけじゃない。練習がしんどいとか気乗りしないとか思うことは当然ある。でも、期末テストの勉強期間に部活のモチベーションが上がったりするみたいに、人間一番面倒なことが目の前にあると二番目以降に面倒なことがむしろ楽しく思えてしまうもの。今やってる練習も、取材とかを断る口実だと思えばいつも以上に打ち込める。そういう意味ではありがたいと言えなくもない。


「しっ!」

「おおっ……」


 会心の一振り。当たりも角度も文句なしの打球が天井に直撃。外のグラウンドと比べたら断然狭いとこだけど、それでも今のは外でも間違いなくスタンドインしたと断言できる。


「ようやく一発が出るようになったね」

「……うん」


 優輝が相手なら、ね。

 優輝の球は素人基準なら普通に速い球だけど、何だかんだで『打たせる』のが前提。だからあたしも勝負を気にせず、『どう打てばホームランになるか』だけを考えていられる。

 でもどんな投手も試合中は『打たせない』のが前提。そのために相手も工夫してくるから、100%自分の思い通りになんかならない。『どう打てばホームランに』以前に、『まず打てるか』をクリアしなきゃならない。

 打者と投手の勝負なんて刹那の繰り返し。ゴチャゴチャと考えてる余裕もない。150、下手したら160にも達するような球を打ち返そうと思ったら、どうしても過去の経験とか本能とかにも頼らなきゃいけない。でもそうやって"あたしの中のあたし"に頼ると、芯では捉えられても角度は付けられない。

 それで結局、今年もホームラン0本。首位打者争いで十握(とつか)さんに負けたのが全く悔しくないわけじゃないけど、それでも打率なんてもう十分だし、前にも思った通りむしろ角度を付けて相手の守備に関係のない一発も打てるようにならなきゃ、これ以上の打率なんて出せやしない。十握さんに負けたのだって、きっとそういうとこ。


「もうちょっと続けても良い?今度は左で」

「うん、大丈夫」


 だからせめて、身体に馴染ませる。この一発の打ち方を。試合でもできるよう、"あたしの中のあたし"にも教え込む。


「……?」


 出入り口の方からゆっくりとした拍手が聞こえて、あたしも優輝も手を止めてそっちに目をやる。


「随分調子が良さそうね」


 そこにはすみちゃんの姿。


「すみちゃん、卒業研究で忙しかったんじゃないの?」

「もう片付けたわ。単位も十分だし、来年に向けて色々やることがあるから、しばらくこっちにいるわ」

「そうなんだ……」

「ところで(あい)、この後時間ある?」

「うん、大丈夫だけど……どうしたの?」

「急になって申し訳ないけど、契約更改の事前交渉がしたくてね」

「事前交渉……?」


 こんな早くから……?


「正式な契約更改はいつも通り11月以降。でも貴女(あなた)、今年相当活躍したでしょ?いくら最下位と言っても、球団を超えて帝国代表として活躍した選手を冷遇したんじゃ球団のイメージにも関わる。けど年俸を大幅に増額するとなると、他の選手の契約にも影響が出てくる。だからある程度のことは先に決めておこうと思ってね」

「なるほど……」


 何だか大物になった気分。でもそれだけ言うからには、金額にはかなり期待できそうだね。


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「失礼します」


 約束の時間通り、球団の事務所の一室に入る。


「あら、ちゃんとした服装で来たのね。事前交渉だから普段着でも良かったのに」

「まぁ形から入るってことで」

「なるほど。それはちょうど良いわね」

「……?『ちょうど良い』?」

「何でもないわ」


 そう言えば、事前交渉とは言え契約更改ですみちゃんと顔を合わせるのはこれが初めて。もちろん、嬉しいっちゃ嬉しい。


「じゃあ早速、本題に入るわね。今年の貴女の主な功績は2年連続盗塁王と、それから最高出塁率。球団の成績とは直接関わりがないけどオリンピックの最優秀選手で、打率もリーグ2位。三塁打の数もリーグ記録を更新したわね。公式な記録じゃないけど、守備走塁に関する指標も優秀。フル出場でサードとショート両方を守ったユーティリティ性も評価すべきね。その辺りを考慮して、来季の年俸は今季の3倍、9000万円を提示させてもらうわ」


 ……うん。まぁそのくらいは出してくれると思った。でも……


「もう一声、いけないかな?」


 こう言うつもりでもあった。そういう意味じゃ、今年も交渉は吉備(きび)さん相手が良かった。いくら最終的にお金を出すのは三条財閥って言っても、すみちゃんに直接言うのはなかなかに抵抗がある。『すみちゃんの利益に貢献する』っていう信念に反することでもあるし。

 それでも今のあたしはたった1人でも誰かを雇ってる身。ましてやそれは実質身寄りのない恋人。『プロ野球選手は個人事業主』ってすみちゃん自身が言ってたことだし、この辺で妥協はできないよね。


「……何か評価項目が抜けてたかしら?」

「オリンピックのことで……」

「その辺はさっきも言った通り評価に加えたわよ?」

「ううん。プレーでの数字じゃなくて、もっと別のとこ」

「?」


 カバンの中から雑誌を1冊取り出す。


「広告費……って言えば良いのかな?」

「……!」


 ページを開いて、あたしのインタビューが載ってるところを指差す。球団名で極力正式名称を使ったり、オリンピック期間以降の取材はなるべく三条財閥の名前を出すようにした。


「それと、あたしは経済のことはよく知らないけど、少なくとも株価ってやつが上がると会社的に良いんでしょ?オリンピックの前と後で三条財閥系列の会社の株価見てみたけど、どこも上がってるよね?球団自体も、オリンピックの後は球場の入りが良くなったはずだし、その辺でも利益は出てるよね?」

「…………」


 すみちゃんはしばらくあたしの目を見つめて、やがてフッと笑った。


「……学校の成績は芳しくなかったみたいだけど、やっぱり頭が使えるわね貴女」

「どうも」

「それを持ち出されちゃしょうがないわね。わかったわ。キリよく1億。これでどうかしら?」

「……うん。ありがと」


 増額の幅は1000。総額で見たらそこまで増えてるように見えにくいけど、年で1000も稼げたら世間じゃ普通に高給取り。貧乏だった頃のその辺の感覚はこれからも忘れないようにしたい。


「ただ、貴女が広告塔としての役割を主張するなら、こちらからも条件を出させてもらっても良いかしら?」

「条件……?」

「簡単に言えば仕事の依頼」

「テレビの仕事とかじゃないよね?」

「マスコミを呼ぶから実質テレビの仕事になっちゃうけど、別にバラエティで笑いものになってこいとか、そんなのじゃないわ。ちゃんと球団に関わることだから」


 何だろ?すみちゃんの利益に繋がるのならそれで良いんだけど……


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