第百七話 氷解(5/5)
「だから俺は、前の火織を見ないふりしてた。なのに俺、俺の知らなかった火織を知った途端に怖気付いちまって……」
「…………」
「リリィにも言われた。『夫婦になる覚悟が足りなかった』ってな」
覚悟してたのに、あっくんはアタシをほとんど責めたりしない。それどころか、アタシへの当たりを悔いて……
「……アタシもそうだったんだよ」
「?」
「アタシの望みもあっくんと同じだった。"過去のアタシ"をなかったことにして、"今のアタシ"だけを見ていてほしかった。あっくんと結ばれてから、あっくんに嘘を吐くつもりはなかったけど、アタシにとって都合の悪い本当のことは、聞かれなければ一生教えるつもりがなかった」
「…………」
「あの日、みっくんがあっくんのところに引き取られた後ね、アタシ、タバコ吸おうとしたんだよ。結局火は点けられなかったけど。でもこれだけは確実に言える。アタシもあっくんに"今のアタシ"ばかりを見ていてほしくて、ひたすら"良い女"を取り繕ってたんだって」
「悪い意味でwin-winの関係、だったんだな……」
「お互いうわべだけの関係だって、それすらもアタシ達わかってなかったんだよね」
「俺達は俺達が思ってる以上に似た者同士だったんだな」
「……ふふっ」
「ふっ……ハハハハハ!」
辛い別れ話でしかないと思ってたのに、気が付いたらお互いに笑ってた。だってそうだよね。付き合う前も含めればそれなりに長い付き合いで、『結婚したい』ってお互い思えるくらいには愛し合ってるはずなのに、こんなこともお互い知らなかったんだから。
「……火織」
「ん?」
「俺は火織を、俺が望むところで完結させたかった。そうしていれば、あの騒動さえなけりゃ火織のことを一生失望することはなかったと思う」
「……そうだね。アタシもそう思うし、そうなると信じて疑ってなかった」
「けどきっと、火織をもっと知って、もっと好きになることもできなかったんだよな」
「……!!!」
それって……
「もう子供もできた後にこんなことするのもアレかも知れねぇけど……一からやり直さねぇか?今度は変に取り繕い合うのナシで。お互いの罪とかそういうのに向き合うというよりは、前よりもっとお互い好きになれるように」
アタシの目をまっすぐ見て、アタシの手を取って尋ねてくるあっくん。
きっともうないと思ってた、望んだ可能性。見開いた目から人肌よりも熱いものが溢れ出てくる。
「良いの……?」
「……俺自身、自分が決めたことのケジメをつけたいってのもある。実理が生まれることを望んだ以上、な。それに……」
「!!!」
きっともうないと思ってた、あっくんの体温に包まれる感覚。
「やっぱり俺は火織と一緒にいたい」
「……あっくんの言う通りだね」
「?」
「『お互いにもっとわかり合わないと、もっと好きになることもできない』って」
「…………」
「アタシ、悔しいよ。あっくんの本音を一番最初に聞けたのが、アタシじゃなくリリィちゃんだってこと」
「……すまねぇ」
「ちゃんとわかり合っていれば、こんな時じゃなく、もっと良い雰囲気の時に、『あっくんもずっとアタシに気があった』って知ることもできたのに」
それでもアタシにとっては嬉しいことが聞けて、愛しい気持ちを慎めなくなって、アタシもあっくんに体温を伝える。鼓動にもお互い嘘がないのが実感できる。
「でも、『わかり合う』とかそんな綺麗事を並べたって、アタシが汚れてることに変わりはないよ?それでも、アタシで良いの……?」
「……今はもう、他の男とは遊んじゃいねぇんだよな?」
「できるわけないじゃん、そんなこと」
「ならそれで良い。火織の過去がどうであろうと、"実理の母ちゃん"なのも変わりはないだろ?」
「ファンの人達も、きっと黙っちゃいないよ?」
「何なら今年のオフにでも結婚式やるか?やり直すのにもちょうど良さそうだし」
「……ありがとう。本当に……あ゛っ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!!!!!」
怖かった。あっくんとみっくん、もう一緒にいられないって決まるその瞬間が。でももうその瞬間はないってわかって、1ヶ月ぶりの大号泣。
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しばらくあっくんに包まれたまま泣き続けて、ようやく気持ちが落ち着いた。結局のところ、アタシにとっては良い結果でまとまったんだからね。ほんと我ながら都合のいい女。
「ねぇ、あっくん」
「ん?」
「何で昨日、みっくんの写真撮ってくれたの?」
「……今日のこと切り出すきっかけになればと思ってな。昨日はまだメッセージを送る気分になれなかったから、近況報告も兼ねて……」
「ありがと」
「……おう」
「でもあっくん、写真撮るの下手だよね」
「ああん!?」
「ピント合ってないし、カメラの設定が照明に合ってないし」
「お……俺はそういう細かいことはわからん!」
「ふふふっ……やっぱり撮影係はこれからもアタシだね」
「……ありがとな」
「ん?」
「『もう取り繕わない』ってことだよな?」
「うん。前までは嫌われる可能性のあることは絶対にしなかったよ」
「……俺もそういう心がけでいるわ」
「心配ないよ」
「?」
「アタシがあっくんを嫌いになるなんて絶対にありえないから」
「それも取り繕ってねぇんだよな?」
「もちろん」
名残惜しいけど、折を見てあっくんから離れる。続きはまた今度……あるかな?正直一生レスでも文句を言えないし、それでもあっくんとみっくんと一緒にいたい。
……でも、あっくんとの関係が戻っても、野球はまだそうはいかない。お互い今は二軍で、立場的な意味でもやり直しな立場だし。
「あっくん、今年中にまた投げるんだよね?」
「ああ。ぶっちゃけ来週だ」
「……もしかしてシーズン最終戦?」
「伊達さんも粋というか何というかな……」
「じゃあアタシもそれまでに一軍に戻らなきゃね」
「え……?」
「このまま規定ギリギリでキャリア初の打率3割なんて全然胸を張れないよ。みっくんのミルク代のためにも」
「……なるほど、確かにな」
「何より、あっくんを勝たせなきゃいけないし」
「期待してるぜ?」
「うん」
良い具合のモチベーション。理世ちゃんや相沢さんからは仕事を奪うようで気が引けるけど、それでも今回ばかりは意地を張りたい。




