第百七話 氷解(3/5)
******視点:リリィ・オクスプリング******
9月16日、サンジョーフィールドのミーティングルーム。広い部屋に今は篤斗と2人。今日はナイターである程度時間に余裕があるけど、ウチが試合前の練習に間に合うよう、篤斗は大急ぎで大阪に来たらしい。
「…………」
せやけど、なかなか話を切り出さへん。まぁ用件が用件やからな。壁にもたれかかって腕組みする篤斗の第一声を、席に座って頬杖をついてただ待つ。
「……火織は最近どんな感じだ?」
「あれからずっと塞ぎ込んどる。罪悪感はあるみたいで、二軍の練習は毎日早出と居残りしてるみたいやけど、なかなか調子が上がらんって話や」
「飯は食ってるか?」
「野球やるためにも無理やりかき込んでる感じやな」
「そうか……」
心配しとるってことは、心底嫌になったわけやないんやろうな。それが分かっただけでも救い。
「……俺って、女子のファンが多いだろ?」
「何や急に?自慢か?」
「いや……そういうつもりはねぇ。ただ、事実としてずっとそうだった。特に高校で結果を出し始めてからは、とにかく周りの女子の熱量がエグかった。俺を取り合うドロドロとした女の争いも直に見たりしてな……姉貴達からも『女はそういうもの』って聞いてて、実際その通りで……ぶっちゃけ、血が流れるレベルのこともあった。純粋に野球で応援してくれる分にはありがたいと思ってるんだが、そういうことをされるのはな……」
「…………」
「俺だって男だ。高校の頃だって、女に興味がなかったわけじゃねぇ。けど、そういうのが逆に良いきっかけになった。『今は野球に集中して、女とかそういうのはプロになってからにしよう』って、そう決意できた。女の怖さにビビったのを誤魔化すにゃ良い口実だった」
「それで"嚆矢園優勝投手"にまで上り詰めたんか」
「そういうことだな」
「人それぞれ、何がきっかけになるかわからんもんやな」
「全くだ。そのおかげで『プロになる』って目的も無事に果たせたが……リリィも知っての通り、俺はプロに入ってすぐの頃は鳴かず飛ばずでな。高校の頃はなるべく試合で投げれるように練習は控えめだったから、むしろプロに入ってからの方が女とかそんなことにかまけてられなかった」
「…………」
「プロになって2年目の夏だったか……その頃も全然結果が出なくて、独り居残りでキッツイ練習をやってた。夏の暑さとかもすっかり忘れてな」
「大丈夫やったんか?」
「全然。普通にブッ倒れた。しかも独りだったしスマホも手元になかったから、あのまま死ぬかと思った。今こうしてピンシャンしてるのは火織のおかげだ」
「……!」
「あの頃の火織はまぁ……時間があれば早乙女さん達と遊び歩いてるような奴だった。客引きのためにある程度一軍にも顔を出してた俺と違ってずっと二軍だったのに、危機感もなく全体練習もダラけてたくらいのどうしようもない奴だった……それに、アイツとは同い年で入団も同期だからな。だからその……火織の男関係のこと、全く知らねぇわけじゃなかったんだ。あの頃寮にいれば、そういう話は自然と耳に入ってきた。具体的な内容まではわからなかったけどな」
「…………」
「それに、アイツの方も俺のことをやたら嫌ってたっぽいからな。俺自身も色々近寄りがたくて、あの時までほとんど接点がなかった。そんなんだから、まさかアイツに助けられるとは思わなかった。時間的にもいつも外で遊び回ってた頃だったから、何でまだ球場にいるのかもわからなかったが、水分持ってきたり身体を冷やしたり、とにかく俺のことを必死で助けてくれた」
「その辺は、ウチもよく知ってる火織やな」
「ああ。『"野球選手"や"女"としてはともかく、"人間"としては悪い奴じゃねぇ』って、ちょっとだけ印象が変わった。だからその時球場にいたのも、実はちゃんと練習してるからなのかもって思ってな。それで一緒に居残るようになって、いつの間にか今の火織になってた」
「……いつからなんや?」
「?」
「火織に惚れたん。お前も結婚までしたんやったら、何かきっかけがあったんやろ?」
「……強いて言えば、最初から気にはなってた。こんなこと言っちゃ何だが、女にあそこまで嫌われてたのは初めてだったし、『今まで会った女とは全く違う』って点では最初からそうだった。それでだんだん良い方に印象が変わって……まぁアイツの好意みたいなのは何となく気付いてたし、それに流された部分もなくはないが、俺自身も女はアイツ以外には考えられなくなってた。その……イメチェンした後の火織の見た目が単純に好みってのもあるし」
「今もそうなんか?」
「……そうだな。今でもそう思いたい」
「?」
「それだけ火織に惹かれたからこそ、"俺が惚れた火織"をそこで完結させたかったんだよ。臭いものには蓋をして、見ないふりして。子供までできちまったから、なおさらそうし続けたかった。"過去の火織"をなるべく知らずに、火織の良い部分だけを見ていたかった。『火織は他の女とは違う』って信じていたかった」
「…………」
「だけど、知っちまった。どれだけ男に飢えてたのかだけじゃなく、どういう理由でどこまで嫌われたたのかまで。そうなっちまって、火織のやることなすこと、俺を追っかけてる女と同じように含みがあるんじゃねぇかと思うようになって。実理のDNA鑑定とかも、今も他の男とつるんでるのを隠すためじゃねぇかとか……」
「……自分勝手やな。お互いに」
「そうだな……」
「『どっちが悪い』って聞かれたら、どう考えても火織の方が悪いけど、篤斗やって『そういう火織もあるかもしれない』ってわかった上で火織を選んだんやろ?子供ができる前から、そういう火織に惚れてたんやろ?」
「ああ……」
「ならせめて、この場でウチに吐いたことくらい火織にも言わなアカンやろ?『何が嬉しい』とか『何が悲しい』とか、そういうのを分かり合えんかったら、どっちみち何のために夫婦になったんやって話やん?」
「……!」
「ひょっとしたらお互いがもっと嫌になるかも知れへんけど、このままズルズル終わっていくよりは、お互いに腹割って納得のいく終わり方にせんと、篤斗も火織も引きずるばっかやろ?お互いに夫婦になる覚悟が足りんかった分、今からでも覚悟せんと、周りにも迷惑かけるばっかやで?」
「……『覚悟が足りなかった』か。全くその通りだな」
壁から離れて、扉の方へ向かっていく。
「ありがとな、リリィ」
「ん、頑張りや」
篤斗も案外ヘタレなとこあるんやな……ま、あんまり他人のこと言えんけど。
ま……どう転ぶかはわからへんけど、火織がちょっとでも救われる形でまとまってほしいもんや。
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