第百七話 氷解(2/5)
******視点:宇井朱美******
『朱美、プロ初出場初安打おめでとう』
『いきなりヒーローだな、朱美!』
『あけちゃん、おめでと!』
『帰ったらお祝いだね。いつ静岡に戻れる?』
『今度ちょうちょのサインももらってきてよ(笑)』
「〜♪」
9月15日、試合後。記念すべき自分の一軍デビュー日にして初お立ち台の日。着替えてスマホを確認すると、お父さんお母さん、地元の友達から大量のメッセージ。ますます嬉しくなって、思わず鼻歌も混じるっすね。
……でも、ちょっとお腹が減ってきたっすね。今日のご褒美で伊達監督には明日もスタメンを約束してもらったからドカ食いはNGっすけど、何か食べに行きたいっすね。せっかくだし、同じくお立ち台の山口先輩も誘ってお祝いも兼ねて……
「……はっ!?」
これはひょっとして、デートのお誘いになるのでは……?ついこの前、氷室さんと徳田さんがスッパ抜かれたから、そういうのでお咎めがあるかも……?
……いやいや、そもそもそんなつもりはないですし、お互い未成年でお酒は飲まないからそういう間違いもないはず。まぁ確かに山口先輩やけに可愛いっすけど、自分のタイプじゃないっすからね。小学生の頃から男子に散々"デカ女"とかって揶揄われてたから、将来のお相手はできれば年上で大人っぽくて自分より大きい人希望ですし、自分よりよっぽど女の子らしい見た目の山口先輩ってのは……
……何かこんなこと深く考えてたら、顔が熱くなるっすね。何でこんな早とちりしちゃったんだか……別に下心はないんですし、普通に誘えばいいっすよね?今年一緒に二軍で頑張って、一軍でようやく結果を出した者同士ってことで。
「ん……?」
男子用のロッカールームの前、山口先輩が扉にもたれかかってスマホを操作して、耳に当てる。お電話みたいっすね。しかも珍しく機嫌が良さそう。可愛い顔なのに、いつもやけにツンツンした表情してる山口先輩が……
固定電話でもないのに、指でコードをクルクルするような仕草をしながら応答を待ってる。『女の子と間違われるのはそういうとこやぞ』と思わず突っ込みたくなる状況っすけど、ちょっと距離を取って、電話が終わるのを待つ。
「あ、もしもしお父さん?」
「恵人か」
「あの……今日の試合、観てくれた……?」
「ああ、もちろんだ」
「えっと、一応プロ初勝利なんだけど……」
「みたいだな。だが順位に関わらないのだから勝ち負けはどちらでも良い。それよりも最後の5回、無駄な四球が嵩んだな。せっかく球威は保ててたのに。味方のミスによる失点だが、あれはそもそもお前が蒔いた種だ」
「……うん」
「いいか恵人?お前には俺以上の才能がある。お前は日本球界で……ひいてはメジャーでもナンバーワンを目指せるんだ。『勝利投手』の箔など、平凡な投手であろうと投球の内容に関わらず偶然でも得られる。お前がその程度のもので満足していいわけがないだろう?」
「うん……」
「お前は他の選手よりも早くプロのレベルに触れられたんだ。環境への適応はもう十分なはずだ。来年は最低でも開幕で先発ローテには入ってみせろ」
「うん……何とかやってみる……」
「だが無理はするな。今日は一軍じゃ初めての中6日だろう?しっかり肩肘のケアをしてから休めよ?」
「うん、ありがとう……それじゃ、おやすみ……」
通話を始めてすぐの頃まではニコニコしてたのに、だんだん表情が曇っていって、やがて通話を切った。山口先輩はその表情のまま俯いて、スマホの画面を見つめてる。
「……山口先輩!」
「!?宇井……?どうしてここに……?」
事情はよくわかんないっすけど、今日みたいな記念すべき日をそんな表情で終わるなんて勿体無いっすからね。わざと明るめに呼びかける。
「一緒にお祝いでどこかに食べに行こうって誘うつもりだったんすけど……誰かとお電話してたんすか?」
「……うん。お父さんとね」
「お父さん、っすか……」
何でお父さんと話しててそんなことに……?
「元気ないっすね。もしかしてお父さんに何かあったんすか?」
「別に何も。今日のおれのピッチング、不甲斐なかったから色々言われただけ」
「『不甲斐ない』って……先輩、めっちゃ良いピッチングしてたじゃないっすか?」
「……野球のことで、お父さんがおれを褒めてくれたことなんて片手で数えられるくらいだからね。小学生の頃に初めてパーフェクトやった時とか、ドラフトで指名された時とか……」
「…………」
「まぁ、良いんだよ。そういうお父さんのおかげで中学上がりたてでもプロから声をかけられたんだし」
(足りない分は伊達さんが褒めてくれるし……)
「でも、そんなの……」
「それだけお父さんはおれのこと期待してくれてるんだよ。今さっきだって、『自分より才能がある』って言ってくれたし、そういう期待があるから昔から厳しいんだってのはわかってるし……」
……山口先輩は先輩だけど同い年。中学の頃にどれだけすごかったのかは最近ではあるけど色々聞いたっす。それだけ厳しくされたんなら、色々納得はできるっす。
でも……
「ッ……!」
「!!?ちょっ……」
思わず山口先輩のスマホを強引に奪い取る。電話アプリが立ち上がってて、スリープ画面にはなってない。通話履歴の一番上の番号をタップする。
「……どうした、恵人?」
気だるそうな男の人の声。この人が……
「宇井!何やってるんだよ!?返せよ!!」
ちょっと意地悪っすけど、駄々をこねる子供を制するように、身長差と腕力を駆使して山口先輩がスマホを奪い返すのを阻止しながら耳に当て続ける。
「あの、どうして山口先輩を褒めてあげないんすか……?」
「!!?」
「……?誰だ君は?」
「宇井朱美っす」
「……ああ。今日ショートで出てた……で、その君がなぜそんなことを俺に聞く?」
「先輩、今日頑張ったじゃないっすか?自分と同じで今日のヒーローなんすよ?『おめでとう』とか『よくやった』で良いじゃないっすか?先輩のこと、『自分よりすごい』とか言って『期待』してるみたいっすけど、そんなこと言えば褒めなくて良いとか、悪かったとこばっかり指摘しても良いとでも思ってるんすか?」
「「……!」」
「知ってるんすか?先輩が今年、梨木さん……スタッフの人と一緒にフォームを修正したり、怪我明けの有川さんがずっと先輩の球を受けてくれたこと。旋頭コーチも遅くまで付き合ってアドバイスを送り続けたこと。そういうのを積み重ねてきたから、先輩は今日結果を出せたんすよ?『山口恵人がすごい』って証明できたのだって、そういう積み重ねを監督が認めて今日の舞台を用意したからっす。そういうのが『期待』じゃないんすか?」
「「…………」」
自分が許せなかったのは、単に褒めなかったとかじゃなく、そういうとこ。山口先輩が今日までやってきたことを本当はよく知らないのに、『自分よりすごい』とかそんな薄っぺらい言葉だけで、頑張ってきたこと全部を片付けようとしたこと。
そんなの、『期待』でも何でもないっす。一緒に頑張ってきた自分とか、手伝ってくれた人達、お膳立てをしてくれた人達のことも馬鹿にしてるようなもんっす。
「……恵人は近くにいるか?」
「はい」
「代わってくれ」
「……先輩」
さっきまで強引に抑えてたのに、いつの間にか棒立ちになってた山口先輩にスマホを返す。
「……もしもし」
「恵人か?」
「うん」
「……すまなかった」
「!!!」
「それと、今更だが……プロ初勝利、おめでとう。よくやったな」
「ありがと……」
「……それだけだ」
「あっ……」
耳に当ててたスマホの画面を見つめてる。どうやら急に通話が切れたみたいっすね。
「……宇井」
「はい」
「ありがと」
「いえいえ」
目を逸らしながら、顔を赤らめる山口先輩。ほんと、自分なんかよりよっぽど女の子みたいっすね。
「でもさ……二軍でやってたこと、お父さんにもう伝えてたとか考えなかったの?」
「……はっ!?す、すみません……!頭に血が昇って、つい……」
「全く……ほんと考えなしなんだから……」
「すみません……」
ほんと、こういうそそっかしいところは何とかしなきゃっすよね……よくよく考えたら他人のスマホ奪ってこんなことするなんて非常識だし失礼だし……
「……でも、おれもごめん」
「え……?」
「お父さんのこと。おれには謝ったけど、それよりも宇井に謝るべきだったよね……」
「!いえいえそんな、気にしなくて良いんすよ!」
ちゃんと目的は果たせたんすからね。
「宇井」
「はい!」
「お祝い、誘うつもりだったんだよね?行こっか」
「……はい!」
電話をかける前の、ご機嫌そうな山口先輩に戻ってくれた。うんうん、やっぱり嬉しい日は笑ってなきゃ損っすよね。
「宇井」
「はい」
「もう"先輩"とか言わなくて良いから」
「え……?」
「同い年なのにまどろっこしい」
(宇井とは上とか下とかもうないと思うし)
「わ、わかったっす。えっと……恵人?」
「……いきなり距離詰めてきたね」
「ご、ごめん……」
「まぁ良いけど……んじゃ、おれも朱美って呼ぶから」
「え……?」
「こういうの、合わせた方がいいだろ?何となく」
「そ、そうっすね……」
うーん、確かにまどろっこしくはないっすけど、何かこそばゆいっすね……
(……朱美は馬鹿だけどすごいな。おれなんてお父さんにロクに口答え出来ないのに……それに、朱美が怒ってるとこなんて初めて見たけど、おれや伊達さん達のために……こういうとこ、おれも見習わないとね)
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