第百三話 【悪(お)しの子】(6/7)
8月18日。小雨が降る中、対エペタムズ戦。ペナントレース再開後初めてのホームゲーム……ではあるんだけど。
「ああ、ここで伊達監督がベンチから出てきました……」
「バニーズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、氷室に代わりまして……」
「ピッチャー交代です!氷室、4回途中5失点で降板となります!」
「おお、もう……」
「まぁこうなるとは思ってたわ……」
「向こうが何か打ち損じまくってただけやったしなぁ……」
今日の氷室さんは明らかにまっすぐが走ってなかったし、スプリッターも叩きつけるかすっぽ抜けるばかり。雨は降ってるけど、マウンドがぬかるんだり、ボールが滑るほどでもない、本当にパラパラとした小雨。
……まぁ、原因は火織さんのことだよね?
「6番セカンド、■■。背番号■■」
さっきのスリーランで4点差。ランナーはもういないからこれ以上氷室さんの自責点が増えることはない。中盤でこの点差ならまだ巻き返せる。
「二遊間、セカンド捕って……ああっ!」
「セーフ!」
「投げられません!記録はセカンド相沢のエラー!」
「えぇ……」
「おい相沢!それくらい捌かんかい!」
「何が名手や!?」
(くそっ、やっぱセカンドだと感覚が……)
……相沢さんも、あたしと同じなのかな?火織さんが抜けて、最悪あたしがセカンドに入る覚悟だったけど、伊達さん的には当分はセカンドは有川さんと相沢さん、服部さんで回すつもりみたい。
(ただでさえ相沢くん次第でショートとサードを両方やってもらってる上に攻撃の要でもある月出里くんにこれ以上負担はかけられないからね……相沢くんもセカンドが苦手なのはもちろん知ってるけど、今のチーム内の序列的にはこうした方がまだ良い)
「あーあ、それもこれも全部あのクソ■■チのせいよねぇ……」
「氷室くん炎上させて守備にも穴作って、ほんと使えないわ」
「謹慎中らしいけど、どうせ今もどっかでよろしくやってるんじゃないの?」
「うわ、またよそから種もらってくるの?引くわぁ……」
「あのアバズレならそれくらいやるでしょ」
「バネキ怖いなぁ……とづまりすとこ」
「まぁでも今回は流石になぁ」
「かおりん好きやけど、こればっかりは擁護できんわ」
「ほんま勝ち負けはともかく野球だけは真面目にやってほしいわ……」
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「試合終了、5-1!バニーズ、連勝は2でストップ!ペナントレース再開後、ホームゲーム初戦も落としてしまいました!」
「ほんまつっかえ!」
「ちょうちょ個人軍定期」
「ホームでもこれかよ……」
「このチーム応援するならちょうちょとか一部の奴だけ贔屓にした方が精神衛生上ええで」
「どうせ球団単位で期待するだけ無駄やしな。樹神の頃からの伝統みたいなもんや」
「っていうか一軍の中にもかおりんと寝た奴おるんやろ?」
「そういうのがおるからいつまで経ってもこんな調子なんやろうなぁ」
「「「「「…………」」」」」
ベンチに流れる沈黙。あたしはタイムリーを打てたけど、結局拙攻続きで、氷室さんを負けさせてしまった。
火織さんのあの記事、単純に火織さんを叩くだけじゃなくて、さりげなく球団も批判してあたしを妙に持ち上げてたし、多分あたしの写真の火消し以外にそういう意図もあったんだと思う。『ダメ球団で孤軍奮闘するクッソ可愛い女の子』っていう筋書きを作り上げるためってね。今日の展開はまさにそれを肉付けるような内容になってしまった。
……『チームでも勝ちたい』と思い始めた途端にそういう特別扱いをされるようになったのは何とも皮肉な話。ちくしょう。
「…………」
「氷室さん……」
降板した後も氷室さんは諦めずにベンチから身を乗り出して試合を見届けた。今も球場の悲嘆の声を浴びながら、ずっとグラウンドを見つめ続けてる。
……だからきっと、氷室さんは火織さんのことを許したいんだと思う。そうであると思いたい。でもその姿はどうしても痛々しくて。
あたしは第三者……どころか、火織さん達から見ればむしろ加害者寄りの立場。だから、氷室さんと火織さんがどうなるのかで口を挟む資格はない。全ては氷室さんの胸先三寸。
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******視点:徳田火織******
「ああーっ!ああーっ!」
「よーしよし、みっくんはいつも元気いっぱいだね」
自宅マンションでみっくんのお世話をしながら、あっくんの帰りを待つ。
今は『育児休暇を兼ねた自宅待機』を指示されてるけど、対外的には『自宅謹慎』扱い。アタシに気を遣ってくれただけで、偉い人達の気持ち的にはどっちかと言うと後者の方が正しいと思う。実際、迷惑かけまくってるし。
「きゃっ!きゃっ!」
「かわいいねぇ、みっくん……」
アタシの腕の中で機嫌良くはしゃぐみっくん。こんな立場だけど、この姿を見てるだけで『お母さんの時間が増えた』って前向きに考えられる。ぷにぷにのほっぺたをつついてると、『この子のためなら』って気持ちが無限に湧いてくる。外は少し雨が降ってるから、余計にこの部屋とみっくんに守られてる感覚。
……もしかしたら、もう二度とプロ野球選手には戻れないかもしれない。あっくんをアタシの手で勝たせて、あっくんが頑張ってる姿を特等席で見届けることはもうできないかもしれない。それどころか、あっくんと一緒にいることすら出来なくなるかもしれない。
だけど、アタシにはみっくんがいれば良い。あっくんに許されたいけど、許しを乞えるような立場じゃないってこともわかってるつもりだから。
だから、少なくとも昨日まではあっくんがアタシを愛してくれてたっていう証だけあればそれで良い。"あっくんのお嫁さん"じゃなくなっても、"みっくんのお母さん"でいられれば、もうそれで良い。
……高卒で雇ってくれるところ、他にあるかな?お父さんとお母さんなら最低限は支えてくれるだろうけど、やっぱり"みっくんのお母さん"として、アタシの力でちゃんと育てたい。経験を活かすなら水商売とか風俗とかが一番稼げるだろうけど、これ以上"みっくんのお母さん"として恥ずかしいことはできないよね。
「……?」
玄関の方で何かが落ちる音。
「みっくん、ちょっと待っててね」
みっくんを一旦ベッドに置いて、玄関へ。見た感じ、立てかけてる掃除機が倒れたり、置いてあった物が落ちたようじゃない。というか何か金属っぽい音だったから、もしかして……
「……!」
このマンションは出入り口にオートロックがあるから、郵便物とかは外にある出入り口前のポストに入る。部屋のドアに付いてるポストは回覧板がたまに入る程度。でもこれは明らかに回覧板じゃない。外の方のポストに入れるには少し大きくて、少し分厚めの封筒。
「何これ……?」
一応、封筒には変な膨らみもないし、汚れやシミもない。重さも大したことない。何も書かれてない無地の封筒で、何かの冊子や書類が重なって入ってるだけっぽい。
みっくんのところに戻りながら、そっと中身を取り出す。
「……!!?」
中には離婚と嫡出否認に関する書類と資料。
「まさか……」
慌ててベランダに出て、マンションの出入り口辺りを確認。暗いしこの角度じゃ顔とかは全然わからないけど、ちょうど出入り口から走って出ていく誰かがいた。この雨の中、傘もささずに。
「はぁっ……はぁっ……」
あの記事を見た時と同じ感覚に襲われながら、リビングのテーブルに手を付いて、そこに置いた封筒の中身を見下ろす。濡れないように中まで持ってきてくれたんだろうけど、ベランダに出た時に少しかかった雨粒が滴り落ちてしまった。
昨日の今日で、アタシ達の部屋にピンポイントでこんな物。つまりそういうことだよね……?
「警察……いや、まずオーナーに……!?」
混乱しながらスマホを操作してると、インターホン。あっくんが帰ってきてくれた……?
「!!?」
インターホンの通話ボタンを押してカメラを確認すると、マンションの出入り口にあっくんのお義母さんとお義父さん。
「……はい」
「突然で悪いわね。開けてくれるかしら?」
「はい……」
あっくんの姿はやっぱりない。でも、こんな時に独りじゃいられなくて、迷わず解錠のボタンを押した。
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