第百一話 影はいつまでも落ち続ける(5/5)
******視点:???******
コンビニバイトだけじゃ食い繋げねぇし、しかもシフトが不安定だからと始めた派遣バイト。だが、割の良い仕事は早めに応募しなきゃ他の奴に取られる。そうなってくると他に選択肢に挙がるのは夜勤の類や、手取りが多めで案件の多い引っ越し系。
今回は夜勤系もロクなのがねぇから、仕方なく大阪のとあるマンションで引越しの手伝い。だがまぁ、他のと比べて時給ベースで2割3割多く稼げるにもかかわらず簡単に応募できるのは、それだけキツいってこと。しかも荷物に傷が付けば弁償になることもある。
「ふぃーっ……」
何人かで運ぶ白物家電ならともかく、1人で運べる段ボールの運搬なら、隙をついて一息つける。運んだ量に比例してボーナスがつくわけじゃねぇからな。幸か不幸か、このマンションのエレベーターは狭い。『順番待ち』という言い訳が通用する範囲で適度にサボる。
……体力落ちたな。プロだった頃からパンツのゴムで贅肉が少しはみ出ちゃいたが、筋肉もそれなりにあった。それが今じゃこうやって座ると明らかに腹の肉が余る。
今の時代は貧乏人ほど米とかの炭水化物で空腹を補って太るって言われてるが、まさにその通り。こうやって無駄に体力だけ使う仕事ばかりだと、米炊いたりパスタ茹でたりが精一杯。ほとんど寮のメシか外食で済ませてたからそもそも手の込んだものを作ったりもできねぇ。
クソッタレが。クソッタレが……!
「……ん?」
そろそろエレベーターに……と思ってたところで扉が開く音。同じフロアの住人が出てきたようだが……
「……!?」
そこから出てきたのは、私服姿の氷室。アイツ、ここに住んでたのか……
「あっくん、ちょっと待って」
「ん?」
「……!!?」
氷室に続いて出てきたのは、徳田……それも、赤ん坊を抱えて……
思わず陰に隠れて、スマホを取り出す。
「……!か、火織……?」
徳田は振り返った氷室に近づいて、背伸びして唇を重ねた。
「こういうの、憧れてたんだよね」
「『こういうの』……?」
「『パパのお見送り』。これから先、多分一緒に球場に行くか、アタシだけが球場に行くかがほとんどでしょ?」
「……そうか。ありがとな」
「いってらっしゃい」
「おう!」
抱いてる赤ん坊の手を取って、氷室に向かって手を振らせる。
いきなりだったからキスの瞬間は撮れなかったが、向かい合う姿は撮れた。もちろん、赤ん坊の姿も。こっちに向かってくる氷室と鉢合わせないよう、急いでエレベーターに乗り込んで先に降りる。
「……ふっ、はははは……」
壁にもたれかかりながら、撮れた写真の確認。思わず笑いが込み上げるが、どっちかと言うと怒りの成分が勝ってる。
許せねぇよなぁ、氷室。テメェだけ二軍から這い上がっただけじゃなく、オレのものにするはずだった徳田まで独り占めしてガキまでこさえて。
ついでに写真アプリのアルバムを遡る。3年以上前、まだ髪を伸ばしてた頃の徳田の写真が何枚か残ってた。
テメェも許さねぇぞ、徳田。尻軽のくせにオレには抱かせなくて、今更良い母ちゃんにでもなるつもりかよ?
「財前さん、遅いですよ!」
「すんません、今行きます!」
エレベーターから降りて、急いで残った段ボールを運ぶ。
こんな仕事、さっさと終わらせねぇとな。せっかくもっと割の良い稼ぎ方ができるんだからな。
・
・
・
・
・
・
******視点:月出里逢******
8月9日。明後日からペナントレース再開。今日から練習再開……の前に。
「……ねぇ、逢。あの写真のことだけど……」
「すみちゃんも見ちゃった?」
「まぁ……あれだけ出回ってたらね……」
すみちゃんとの何でもないいつもの電話の中で、突然切り出された話題。昨日、中学の頃のあたしの写真がネットに流されてた件。すみちゃんも立場はあるけどあんまり触れるべきではないと察してくれてるからか、ちょっと申し訳なさげ。
「……念のため確認だけど、今はその……そういう類の人間との付き合いはないのよね?」
「一応、一緒につるんでた先輩達と家族ぐるみでの付き合いが今でもあるけど、その人達も足を洗って真面目に働いてるよ」
「そう……」
「間違ってもあのドブス……桜井鞠みたいなことはしてないから安心してね」
「それなら良いわ」
「……それ以上は聞かないんだね?」
「今の貴女とは関係ないことでしょ?」
「うん……ありがと」
そう言ってもらえると助かる。すみちゃんにはこれからも、あくまで"野球をしてるあたし"だけを買っていてほしい。
「でも……すみちゃんが気を利かせてくれても、テレビの人達はめんどくさいことになりそうだね」
「……私が思うに、多分逆に触れてこないと思うわよ」
「その心は?」
「オリンピックで散々貴女を持ち上げて、ヒーローとして仕立て上げるのに成功したんだから」
「……なるほど」
「マスコミには『報道しない自由』がつきものよ」
「確かに。都合の良い話だね。あたしにとっても」
「とは言え、『ネットの世界での雑音』で片付けられるほどの規模でもないからね……マスコミは自分達にとって都合の悪いことがあれば、何か他の話題を大きく取り上げて誤魔化すことが多いけど……」
「そんな話題、ウチの球団にはもうないよね?去年散々あったんだからもう売切だよね?」
「……そうね」
ちょっと間を置いての返答。
まぁ偉い人達の間には色々あるんだろうけど、あたしとしてはオリンピックでめんどくさいながらも球団の宣伝を頑張ったんだから、変なことが起こらないよう祈るばかりだね。




