第百一話 影はいつまでも落ち続ける(4/5)
******視点:氷室篤斗******
8月8日、天王寺駅近くにある自宅の賃貸マンション。
去年のオフ、火織の妊娠をきっかけに急遽借りたとこで、今年のオフには引っ越す予定。一応球場の近くでセキュリティも最低限はあるが……
「あーっ!あーっ!」
「はいはーい。どうしたのかな、みっくん?」
妻と息子と3人で暮らすにはちょっと手狭だからな。その分家賃は抑えられてるが、俺も火織も今年それなりに結果を出せてるし、これから実里に弟や妹ができるのも見越して、もうちょっと広いところを買いたい。
「あ、スマホ鳴ってるよ」
「すまねぇ、ちょっと外すわ」
火織と一緒に実里の世話をしてたところに着信……またか。リビングを出て、玄関近くで電話に出る。
「もしもし」
「篤斗ちゃん。例のお話、考えてくれたかしら?」
電話の相手は俺のお袋。いい歳こいて息子をちゃん付けで呼ぶ痛いおばさん。
「何度も言ってるだろ。俺らのことは俺らでやる」
「孫ちゃんのことも考えなさい!そんなことじゃ……」
お袋が前々から打診してきてるのは、簡単に言えば同居話。俺も火織も共働きだから、生まれて間もない実里の世話をお袋がやるって話。
「俺は先発だから時間はそれなりに作れるし、俺も火織も試合に出る日は球団から紹介されたベビーシッターに任せる。それで良いだろ?」
「良くありません!他人に孫ちゃんの面倒を見させるなんて……しかも大阪なんて下品なところで、ウサギ小屋みたいな狭い賃貸で……!」
「お袋だってもう家族じゃなくて親族だろ?それに神奈川に住むってなったら、ほぼ毎日試合に出る火織はどうするんだよ?」
「あんな勝手に子供を作るふしだらな女は1人にしとけば良いのよ!」
「悪かったな、無計画で」
「篤斗ちゃんは悪くないわよ!あの女に騙されてるだけよ!孫ちゃんだって本当に篤斗ちゃんの子なんだか……」
「残念だったな。ちゃんと俺の子だって証明済みだよ」
『人工母胎』での出産のついでのDNA鑑定。申し出てきたのは火織の方。それも俺に妊娠を打ち明けたその時に。まぁ俺も以前の火織の奔放っぷりは色々聞いてたし、そういう疑いが全くなかったわけじゃなかった。だかそう言ってきた時点で疑いようなんてもうなかった。
そうやって自分を省みれる火織だから、俺は惚れたんだし、責任も取ったんだよ。
「そういうわけだから。俺も火織も忙しいんだからもうあんまりかけてくるなよ?」
「あ!待ちなさい、篤斗ちゃ……」
どうせダラダラ話を長引かせるのは目に見えてるから、最後まで聞かずに電話を切る。
全く、昔から過保護というか何というか……姉貴達のことは放任気味のくせに、俺にはやたら干渉してきて……
……火織もそう言や『どっちかと言えば男の子が欲しい』って言ってたっけか?お袋みたいな母親にならねぇように気をつけねぇとな。火織の方のお袋さんと親父さんはすげぇ良い人達だから、お互い見習うならあっちだな。
「待たせたな」
リビングに戻って、火織に代わって俺が実里を抱く。
「誰だったの?」
「お袋」
「……そう。やっぱり……」
「悪ぃな、こんな忙しい時に。シメてもシメても全然懲りねぇんだよ」
「ううん、大丈夫。いつも守ってくれてるしね」
まぁあんなお袋だから、火織のことを気に入るはずもなく。火織との結婚も、親父に折れて渋々。というかあのお袋のことだから、仮に他のどんな女を連れてこようが、確実にケチを付けてただろうな。
話があれば絶対に俺を通すように言ってあるし、今日も一応俺の方に電話してきたが、多分俺の預かり知らねぇところで色々言われてるんだろうな……申し訳ない。
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「zzz……」
「おやすみ、みっくん」
「ようやく寝たか……」
ベビーベッド近くのソファーで、2人揃って一息つく。
赤子の世話は想像以上にキツい……五体満足なプロ野球選手が2人もいてこれなんだから、普通に出産したばかりで身体がガタガタな母親が独りでってのはそりゃ嘆きたくもなるよな。そういう意味ではお袋のことも尊敬できるっちゃできるんだが……
「あっくん……」
疲れとかもあるんだろうが、そういうつもりでもたれかかってくる火織。
「いつもありがとな」
あと3日でペナントレースも再開。俺も再開初日から先発。登板前の調整もあるし、こうやって父親やったり、火織とゆっくりできる時間ももうあと少し。
惜しむ気持ちは当然俺にもあるから、互いの身体を触れ合う。もちろん、寝てる息子を起こさない程度で。
「ほら見て、これとかめっちゃ可愛くない?」
「すげぇ撮ったな……ストレージもうパンパンじゃねぇか?」
「今度外付けのHD買おっか」
火織のスマホに入った実里の写真と動画を2人で観返す。
「まだ1ヶ月なのにだいぶ顔付きが変わってるね。毎日ずっと見てたら細かい変化ってのはなかなか気付かないよね」
「まるで髪切る前と後の火織みたいだな」
「もう、黒歴史掘り返しちゃって……今くらいの方が良いんでしょ、あっくんだって」
「まぁな」
「……黒歴史と言えば、あっくん、逢ちゃんのアレ見た?」
「あ……アレか」
ペナントレース中断中も、父親ばっかりやってるわけにはいかなかったからな。エキシビションでちょっとだけ投げたり、ダベッターでファン向けに情報発信したり。その関係で月出里の画像が色々流れてるのをタイムラインで見かけたんだが……
「えらい時代錯誤な格好してたが……合成……とかじゃねぇよな?」
「多分ね……っていうか元ヤンなのはガチだと思うよ。逢ちゃん、入団してすぐくらいの頃、財前さん達に喧嘩売ろうとしてたし」
「マジか。まぁ確かに、たまにとんでもねぇ殺気を感じることがあるが……」
「うん。放っといたら多分半殺しにしてたよ、あの雰囲気だったら」
月出里がヤンチャしてたのが事実だとしても昔のことだし、流石にお咎めとかそういうのはねぇはずだが……
何にせよ、有名になるとプライバシーなんてあったもんじゃねぇな。俺もプロに入る前からそういうのを経験したから実感がある。
「あの時アタシが止めたんだけど……むしろ止めない方が良かったかな?後々の鞠さん達のこと考えたら……」
「桜井さんもいたのか?」
「うん。いつもの4人」
「だったら早乙女さんと相模さんがな……まぁ今更言っても詮無いことだろ」
「まぁね……」
「……財前さんはどうなったんだろうな?」
「実家に帰ってるんじゃないかな?何か大分の結構良いとこのお坊ちゃんだって言ってたし」
「実家が太いんならある意味安心だな」
「だね。財前さんももうすでに相当やらかしてるけど、帰る家があるんならね」
夫婦だけの会話を続けながら、昼食の準備を始める。
「……あ。ラップが切れてる……」
「マジか。まぁラップだけならコンビニですぐ買ってくるわ」
「ありがと。お願いね」
「あーっ!あーっ!」
「ありゃりゃ、みっくん起きちゃったね……」
「すまねぇ。すぐ戻るから」
スマホと鍵と財布を持って玄関を出る。




