第九十九話 怪童(7/7)
「6回の裏、日本代表の攻撃。3番センター、友枝。背番号9」
(!?沈んだ……)
「ショート捕った!」
「アウト!」
(ヤベェ。昴のおかげで目立ってねーけど、オレもあんまり打ててねーわ……逢ちゃんみたいに、もうちょっと飲む量考えるべきだったか……?)
「4番ライト、綿津見。背番号51」
(最後の試合くらいきっちり仕事しねーとな……!)
この前の一発が効いたのか、今日の綿津見昴の内容は良い。さっきの打席もヒット。
「フワッと上がってセンターの……前!落ちました!」
「こういう当たりでいいんですよ。良い時はこういうのもヒットになるものですから」
(ちょっと打ち損じちまったが……今なら逆にこれくらいが良いのかもな。逢みたいに良い当たりしてるのが逆に仇になるくらいなら)
「5番ファースト、琴張。背番号3」
2巡目では綿津見と琴張、十握の3人が連続で出たけど……
(これ以上の苦しい展開は……お断りだ!)
「逆方向!これは大きい!!」
「「「「「おおおおおおお!!!!!」」」」」
外野の間、抜けるかしら……?
「落ちました!綿津見、三塁蹴って一気にホームへ!!」
(よし、今度こそ2点目……!)
(なめんなっつってんだろ!)
「ライトからセカンドへ!セカンドからバックホーム!!!」
「「「「「!!?」」」」」
「アウトオオオオオ!!!」
「ホームタッチアウト!またしても追加点ならず!!」
……ワンナウト二三塁で三振の少ない十握で確実に、っていうのも確かにあったでしょうけど、綿津見の脚なら私も間に合うと思ったわ。けどまぁライトもセカンドも揃って良い肩してるわ。
「6番レフト、十握。背番号34」
(ま、それでもまだランナーが二塁にいる。月出里さんばかり活躍したんじゃ、俺の面目が立たないしね。これはあえて俺のチャンスだと思うことにする)
十握もこのオリンピック、シングルばかりではあるけどそれなりに打ってる。似たようなタイプでより実績のある草薙を控えに回せる程度には。
「痛烈!」
(ちょっと詰まった……けどこの当たりなら!)
「しかしサード正面、よく捕った!!」
(な……!?)
「アウト!」
「一塁間に合いません!」
「難しいバウンドでしたが良い反応でしたね。センスのある選手は日本じゃピッチャー、アメリカじゃショートをやりたがると言いますが、その辺の差ですかね?」
「帝国代表、この回も無得点!!」
(へっ、なめるなよ日本人ども)
(守備自慢はパーカーだけじゃねぇぞ)
(あたいらだってやれる。メジャー昇格は独り占めさせないよ……!)
(((((((((…………)))))))))
すっかり呑まれちゃってるわね、『流れ』に。
野球でよく言われる『流れ』とは何なのかというのを言語化するのは難しいところがあるけど、『具体的な事実に基づいて生じた思考の方向性が、境界面を介して可視化されたもの』ってのが私なりの答え。もっと簡単に、『目に見える希望的観測、あるいは強迫観念』って言い換えても良いかもしれないわね。そしてここで言う『具体的な事実』というのは、今回の場合で言えば、『相手の好守備で何点も損してること』、『前に苦戦した相手になかなか点差を付けられないこと』。
今の帝国代表の打者達の頭にあるのは、『相手の好守備を突破するためには、いつも通りのやり方にどういった補正を付ければ、いつも通りか、いつも以上の結果が出せるか』でしょうね。いつもよりも強く振るかとか、逆に欲張らずに脱力するかとか、やり方は人それぞれではあるけど、それでも同じ『具体的な事実』に基づいて、望む結果を出せるように模索してる。そして多くの打者が空回りしてる。
そんなふうに、『実際にプレーしてる選手達が境界面となって、可視化できない何かが存在してるかのように見える』。それが野球における『流れ』ってやつなんだと思う。
……野球を側から観てる時、実力も実績もある選手が不調に陥ってたり、今みたいに打線が明らかに焦ってるのを見ると、『いつも通りにすれば良いのに』なんて考えたりするもの。だけど人間にとって、『いつも通りのことをいつも通りにやる』だけでもどれだけ難しいか。
野球は瞬間を競う競技だから、プレーの動作も必然的に速い。そしてボールも小さいし、バットも細い。マウンドからホームまでが遠いし、ストライクゾーンも小さい。僅かな時間の中で決まった動きを決まった順序で正確にやらないと、パフォーマンスを出しきれない。だから、思い通りのプレーをただ再現し続けるのだって容易ではないし、ちょっとした体調不良や故障だけで自分が投げたつもりのコースから逸れたり、球筋の予測が外れて空振りしたりと、そういう認識と現実の齟齬が発生する。
さらにそこに他の要素も加味しなきゃってなれば、単純にそれだけ計算外になりうる要素が増えるし、焦りから手順の狂いや身体の余計な強張りが生じたりもする。
私が投球練習で、投げる球のコースだけでなく、球速や球質も制御できるように意識するのも、単にそういうことができるって自慢するためじゃない。色々と目的はあるけど、1つは『いつも通りのこと』を本当にそうなるようにするため。どんな状況、どんなプレッシャーの中でもなるべく想定通りの結果を出せるようにするため。
選手達がよくやるルーティンってのも、自己完結できる『いつも通り』だけでもなるべく自動化して、他に脳のリソースを割くことで望む結果を少しでも高い確率で実現できるようにするものと言える。
もちろん、流れはマイナスばかりじゃなくてプラスに働くこともあるし、『具体的な事実』によってどういう思考が生まれるかは人それぞれ。人間関係によっちゃ、仲の悪い味方のミスが逆に自分にとってプラスになることだって考えられる。
ただ、だからと言って、なるべくそういう事実に基づいたことを考えずにプレーすれば悪い流れを無視できるかと言われれば、そうとも言い切れない。だって一方にとっての悪い流れというのは、もう一方にとっての良い流れなんだからね。追い風と向かい風のようなもの。自分1人がどれだけ平常心を保ってマイナスな流れに乗らないように振る舞えたって、相手側は自分達にとってプラスになる流れは乗りに行って当然。相手ありきの勝負なんだから、流れを完全に無視し続けるなんてのはほぼ無理。
野球は団体競技。チームごとの連携の良し悪しや、多少の人間関係の不和があったとしても、同じチームに属していれば、同じ方向にある勝利へ向かうもの。たとえ個人成績に強くこだわっても、そこから生じるプラスはどうあっても自分が属するチームが勝利に向かうための原動力として還元される。
だから、『流れ』は『流れ』という一定方向への運動エネルギーであるかのように見える。
そして『流れ』の源である『具体的な事実』なんてのは、相手より秀でた、あるいは渡り合えるだけの部分がちょっとでもあれば簡単に生じる。今日の試合なんて特にわかりやすい。『メジャーリーガーの卵達による強固な内野守備』。それが総合的な実力差を容易く埋め合わせてる。
だから、短期決戦や一発勝負ってのはそれこそあらゆるスキルでどっちか一方だけが上ってくらい圧倒的な実力差がない限りはジャイアントキリングなんていくらでも起こり得る。
……ただ、こんなふうに今日の試合が実力よりも流れがより戦局を握ってるとすれば、ある意味逢にとってはチャンスでもある。
アマチュア時代から実績アリアリの野球エリート揃いの帝国代表。けどその中でも例外的にアマチュア時代の実績がほとんどなくて、しかも高校野球でさえ『プロへの通過点程度』という考えが強い逢。そんな逢だから、『短期決戦の経験則』よりも、『猪戸への対抗心』とかその辺りの方が、あの子の思考をより大きく占めてるように見える。つまり言ってしまえば、逢はこの大きな流れの中で、ほんの半歩ほどかもしれないけど外にいるような状態。
そして、元より秘めてる大きな力と途方もない才能。そんなあの子なら、この状況を一変させられるかもしれない。『プレーに関わる者達の思考の方向性や要素、その比率が変化するほどの大きな何かが生じること』を、人は『流れが変わった』と捉えるのだから。
ま、気休め程度の期待だけどね。だけど貴女は、私にとっても現実感がないと思った"史上最強のスラッガー"って奴に、限りなく近い存在として現実にいてくれた。だから私は、そんな貴女を信じるわ。




