第九十九話 怪童(2/7)
******視点:山口恵人******
8月5日。サンジョーフィールドのブルペン。
「ンン〜ナイスボールです!でゅふふふ……」
有川さんに限らずキャッチャーは大抵、どんな球でもそうやって持ち上げてくれる。確かにありがたいけど……
「梨木さん、ここまでどんな感じですか?」
「良い感じですよ。フォーシーム、カーブ、スライダー、チェンジアップ。どれもフォームの差分が小さくなってます。球威も安定してますね。ただ、ミットを置いた位置からのブレが前までより若干大きくなってます」
「やっぱり……」
「それでも平均的な身長の打者のストライクゾーンにはそれなりに通せてます。これなら明日の登板もきっと良い結果が出せますよ」
私情や忖度を極力織り交ぜない、機械を通した淡々とした事実。まだ一人前とは言えない今のおれとしてはそっちの方が正直ありがたい。
春先から梨木さんに協力してもらいながらやってるフォーム修正。最初は特にストレートとカーブの違いがバレバレで、そこを修正すると今度は球威が落ちちゃって、さらに修正すると今度はスライダーがうまく曲がらなくなったりで、やっぱりすぐに改善できるものじゃなかった。
だけど、まっすぐとは進めなくても目的地には確実に近づけてると思う。実際、二軍で登板した時の成績も尻上がりに良くなってる。そのおかげで、明日のエキシビションマッチで先発をやらせてもらえることになった。
「山口さん、まだ投げますか?」
「いえ、そろそろ上がろうかなと思ってます。有川さん、梨木さん、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
「……あ、山口先輩!」
「ん?宇井?」
出入り口の方に宇井と伊達さんの姿。そういや宇井も明日スタメンだっけ?月出里さんが代表で出てるし。
「山口さん達、そろそろ上がりっすか?」
「まぁね」
「じゃあここにいる5人でどこか食べに行かないかい?オリンピック観ながら食べれる個室のとこあるからさ。もちろん、僕のおごりだ」
「僕も良いんですか?」
「もちろんだよ梨木くん。君は明日の試合、ベンチメンバーとしてデビューしてもらうからね。そうなるからには君も立派なバニーズの戦力。参加する資格は十分あるよ」
「ありがとうございます!」
梨木さんの実力が認められて嬉しい……というよりも、伊達さんが梨木さんの実力を認めたきっかけがおれなのが嬉しい。『おれの成長』ってのが伊達さんにとってはそれだけ大事なことなんだってわかるから。
……明日は絶対結果を出さなきゃね。
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天王寺駅近くの大型商業施設。その中にある居酒屋っぽいところの個室。
「みんな、飲み物は回ったかな?」
「あれ?梨木さんはお酒じゃないの?」
「有川ァが試合前日で飲まないんですから当然ですよ」
「ま、真守ちゃん……ワタクシメも元々そんなに飲みませんし……」
「居酒屋でプロ野球の集まりなのにビールは伊達さんだけなんすね」
「ははは!しょうがないしょうがない。恵人くんと宇井くんはまだ未成年だしね。来年再来年になったら一緒に飲もう」
糖分をできるだけ摂りたくないから、無難にウーロン茶で乾杯を交わす。登板前日だからあまり多く食べるわけにはいかないけど、それでもなるべく栄養価の高そうなものを取り皿に移す。今からでも身長をなるべく伸ばしたいからね……
「有川さん!明日は二遊間一緒に組みますね!不束者ですが、よろしくお願いするっす!」
「こちらこそぉ……でゅふふ……日本では数少ない大型ショートのプレー、間近で見れるのが楽しみですよぉ」
「あれ?明日も徳田さんがセカンドじゃないんですか?」
「というかここ最近、徳田さん自体全然見かけないですね……確かここまでのエキシビションマッチ4試合も全く出場してなかったような……?」
今年はオリンピックのために試合数を減らしたわけだけど、当然、試合数が減れば球場に観客を呼ぶ機会が減る。つまり、単純に収益が減る。だからその分を補うのと選手達の実戦感覚を鈍らせないために、このオリンピック期間にはエキシビションマッチというリーグ混成の練習試合が開催されてる。
もちろん、この試合の勝敗はペナントレースには関係ないし、どこの球団もオリンピックに主力を何人か出してるから、空いた枠で二軍の選手も自由に試せる、ある意味オープン戦みたいな立ち位置。だからこそおれも登板できるわけだけど……
「あ、うん……徳田くんのことなら心配いらないよ。別に故障とか体調を崩したとかじゃないから……」
「そうなんすか……はっ!?ま、まさか徳田さん……実はもうお子さんがいて、今はママさん業でお忙しいとかなんじゃ……?」
「ぶっ!!!」
「「?」」
「いや、何言ってんだよ。徳田さんって結婚したとかそんな話すら聞いたことがないんだけど……?」
「あ、確かに……」
「また早とちり?」
「す、すみません……」
「ははは……」
……?伊達さんが目を逸らしながら苦笑いしてる……おれはもうだいぶ慣れたけど、宇井のアホっぷりに呆れたのかな……?
(何でこんな時だけ大正解……オーナーから話を聞く前からあの2人の仲は何となく察してたけど、まさかそこまで進んでたとはね。女性ファンだらけの先発の勝ち頭と不動のセカンドレギュラーの組み合わせで、しかももう子持ち……全く、とんでもない爆弾を抱えたものだよ……)
「1回の表、アメリカ代表の攻撃。1番セカンド、■■■■。背番号■■」
「あ、始まりましたね」
大型テレビに中継が映し出される。
決勝の組み合わせは日本代表とアメリカ代表。アメリカ代表とはこれで2戦目だけど、ほとんどがマイナーリーガーだから正直よくわからない。メジャーもそこまで興味ないし。JPB所属の人ならまだわかるんだけどね。
それに対して、日本代表はおれに限らず、普段からプロ野球を観てる人達なら大体知ってるような人ばかり。当然、この決勝戦のマウンドを預けられた人も、球界を代表する一流の先発投手。
串尾香菜さん。長身で、黒髪のおかっぱに黒縁の丸眼鏡をかけてて、一周して今時っぽい見た目の女の人。球界では有名な『88年世代』の人で、去年はノーノーも達成したサラマンダーズのサウスポーエース。
「ストライーク!」
「ストレート!初球から入れてきました145km/h。膝下への力強いまっすぐ」
左の先発としては中の上くらいのスピードだけど、キレがあるし、インコースにもしっかりと投げ込める制球力もある。
「ストライク!バッターアウト!」
「落としました!先頭打者三振でワンナウト!!」
それと、串尾さんはサウスポーではあるけど、決め球はチェンジアップではなくフォーク。制球力があるから低めへの精度も良い。
「引っ掛けた!ショート正面……」
「アウト!」
「神結捌いてツーアウト!」
そして、少し縦気味のツーシームとスライダーも強力な武器。パワーのあるサウスポー……というよりは、右の本格派投手をそのまま左に変えたようなイメージ。
おれとは同じ左でも少しタイプが違うけど、参考になる部分はあるはず。
「アウト!」
「これでスリーアウト!先発の串尾、金メダル獲得に向けて初回は危なげのない立ち上がり!」
「うーん、王道のピッチングですねぇ……」
「流石は今年の沢村賞候補」
初回はこんな感じだけど、こういう大舞台のプレッシャーはお互いにとってどう作用するか。
おれの経験上、こういうゲームはおそらく、お互いにあまり力量差がないのなら、投手戦になるか大きく荒れるかの二択だと思う。要はプレッシャーが攻める時と守る時、どっちにより大きく影響を与えるかの問題。




