第九十八話 上書き(6/9)
******視点:三条菫子******
良いバッティングね。私と勝負した時のような迫力。明らかに身体のキレが一昨日までと違う。
プロ野球の歴史はある意味人間の欲望の縮図とも言える。大きなお金が動く場所だからこそ、大きな欲も多く集まる。その分、スポーツ方面で才能のある人間が集まりやすくなって競技レベルの向上に貢献してるという一面もあるけど、いきすぎた欲望が犯罪に繋がることも珍しくないこの業界。ジェネラルズのV9でプロ野球選手の社会的地位が劇的に向上し、高収入の職業の代表格になってからは特にそういうのが顕著だけど、戦前戦後まもない時代だって、去年亡くなった柳監督のように、才能はあったけど欲に流されて大成できなかった選手が少なからずいた。
だけどそれは仕方のないことでもある。プロは強い向上心がなきゃ大成はなかなかできないものだけど、大抵の人間にとって向上心は欲望の強さと表裏一体。向上は欲望を叶えるための手段でもあるんだしね。"史上最強"とかそういう綺麗事のためだけに上を目指せる例外なんて、いるとしてもほんの一握り。妃房蜜溜とかその辺くらい。
私が知る限り"史上最強のスラッガー"に一番なりうる逢ですら、どうも異性には並々ならぬ欲を抱えてるみたいだし、仮に私があのまま壊れずにプロになれてたとしても、食欲とかに勝ててたとは自信を持って言えない。今もこうやって乾き物を漁りながらジョッキを傾けてるんだし。
ただ、表裏一体であるということは、しっかり自己管理できるのであれば、欲望の強さは向上心を奮い立たせるための最大の原動力になりうる。『女子アナと結婚したい』とか、『高級車を乗り回したい』とかそういう目標であっても、プロ野球選手としてきちんと結果を出せるのであれば大変結構なこと。
それに、『お酒』や『タバコ』、『ギャンブル』なんかは基本的にそれそのものはほぼ害しかないけど、それを嗜むことによる人間への恩恵はまた別。ストレスの緩和とか、そういうパフォーマンスに対する恩恵が害を上回る程度に自己管理できるのであれば、百害あって一利なしということもない。『食』はスポーツ選手にとっては言うまでもなく大事な要素だし、生物である以上は『性』も必要なもの。
というかおそらく、今日の逢が好調である最大の要因は『男女の営み』によるものだと思う。『女性は性行為をするほど女性ホルモンの分泌が促されて肌質も改善される』とかその辺の話は眉唾なところがあるけど、『性的刺激により脳内ホルモンの分泌を促すことで、多幸感によるストレスの緩和、睡眠の質の向上、頭痛の改善』など、特に脳の方に良い作用が働くのは事実と思われる。肌質の改善も、女性ホルモン云々に関係なく睡眠の質が向上すればそこに結びつくのは当然の帰結。
あの子の打撃の才能は『学習データを正確に蓄積し、参照することで、あらゆる投球に対して打つ方法を算出し、実現する』というもの。つまり、『とてつもない身体能力』というハードウェアよりも、実はソフトウェア……脳の構造に由来するもの。そこが好不調の肝になりやすいということでもある。
まぁ逢に限らず、他の選手だって、脳のコンディション管理にはもっと注力しても良いと思うけどね。その手段として一番簡単なのは『十分に睡眠を取る』ことだけど、『瞑想』なんかも効果的。脳の処理をシングルタスクに集中させられれば、マルチタスクの時よりも遥かに良いパフォーマンスを発揮できるようになるからね。
野球は『瞬間』を争う競技。投球と打撃だけじゃなく、守備走塁なんかも一瞬の動作が肝になる。インパクト時のたった数mmのズレが凡フライとホームランを分つんだからね。脳内でその一瞬の動作を上手く処理して想定通りに身体を動かせるかが、成功と失敗を大きく左右する。
昔から『野球は頭を使う』ってよく言われるけど、私が思うに、『頭を使う』っていうのは『エンドランとかセーフティとかの策を弄することができるか』ってこと以上に、『メタ的な視点で脳を上手く管理して、いかにして質の高いプレーを再現し続けられるか』ってことだと思うのよね。
「ふぅ……」
逢の一打が良い肴になってくれたし、ぬるいのも嫌だから、ジョッキ一杯分のビールなんてもう飲み切ってしまった。でも今日はここまで。私が逢を"史上最強のスラッガー"に仕立て上げたいのは、単に自分の先見の明に酔いしれるためだけじゃないんだからね。
・
・
・
・
・
・
******視点:月出里逢******
3回の裏の得点はあたしの先制打だけ。あたしの後もチャンスだったけど、後続は凡退。
まぁ今日は真木さんだし、このまま逃げ切れるっていう展開もあるかなと思ってたけど……
「これもセンター前!」
「セーフ!」
「三塁ランナーホームイン!2-1!韓国、この回4本目のヒットで逆転!!」
「「「「「アッサー!!!」」」」」
「ホルホル……」
「これがKBF仕込みの強打ニダ!」
「まだランナー2人ニダ!」
「「「ファイティーンコリア!」」」
4回の表、まさかすぐにひっくり返されちゃうとはね……せっかく目立ちまくったのに……
(やっちゃった〜……)
(ただでさえ今日制球がそこまで良くない上に、2回に死球を出したのが響いてるな……内角の攻めが甘くなりがちで、向こうのバッティングのツボに入ってしまってる)
「タイム!」
久保さんがタイムをかけて、久保さんだけじゃなく、あたし達内野もマウンドに一旦集まる。
「お菊、甘く入るのは別に良い。けどしっかり腕振れや。そんなんじゃせっかくのフォークも振ってくれねぇぞ?」
「は、はい……!」
神結さんの冷静な指摘。まぁプロ中のプロが集まってるだけあって、この程度の状況で焦るような人なんていない。
そして、あたし自身も。ひっくり返されたのなら、それはそれで結構。まだまだ暴れ足りないしね。
・
・
・
・
・
・




