第九十七話 ハッピーバースデー(9/9)
「ふぅ……」
「お疲れ様」
練習を終えたところに、優輝が水とタオルを持ってきてくれる。2週間以上こういうのがなかったものだから懐かしささえ覚える。
「どう?バッティング、いけそう?」
「うん、多分大丈夫」
技術的な部分はね。自分の認識とフォームの微妙なズレは見つけられて、修正もできたと思う。でも問題はそれを本番でもちゃんとできるか。練習じゃやっぱり本番の緊張ばかりは再現できない。
「優輝もごめんね。だいぶ長く付き合わせちゃって……」
「大丈夫だよ。ずっと肩を休めてこれたからこれくらいは。明日も球場に入れるんなら付き合うよ」
「うん、ありがと」
それでも優輝は最善を尽くしてくれた。"打撃投手"としてはね。
「ところで今日どこで泊まるの?」
「……あ。まだ決めてなかった」
「そんなにあたしが心配だったの?」
「うん……」
「ありがと。じゃあここなんてどう?」
タブレットの地図アプリを開いて、優輝に見せる。
「……うぇっ!?」
「ここなら多分簡単に部屋が取れるし、ちょーっとあたしも色々溜まってるし……ね?」
「えっと……逢は大丈夫なの?予定とか……」
「ちゃんと今日中に帰るよ。っていうか……」
また耳元で囁く。
「正直、期待してたでしょ?」
「……はい」
やっぱりね。
「あたしはこの後ミーティングとか準備とかあるからちょっと遅れるけど、先に行って予約とか色々準備しててね?シャワーとか……ケケケケケ……」
確かに今日、優輝は"打撃投手"としては良い仕事をしてくれたよ?でも、久々に逢った"恋人"としては味気ないよね?
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全体ミーティングが終わって、一旦ホテルに戻る。
朝にス■バに入った時よりもさらに野暮ったい姿になって、ちょっと寄り道をしてから優輝の宿泊先へ向かう。施設に入る前に、念のために周りを見渡してから。
「お待たせ」
「う、うん……いらっしゃい……」
「へぇ、やっぱりベッド大きいんだね。あ、冷蔵庫もある」
帽子とかサングラスとか、暑苦しいものを外しながら部屋の中へ。
優輝に勧めた宿泊先っていうのは……まぁつまりそういうとこ。無駄に外装が豪華で、1人で泊まるにはあまりにベッドもお風呂も大きくて、その割には宿泊費もそんなに高くないとこ。一部屋丸ごと借りるから、あたしみたいなのが来ても文句は言われない。
「……!?」
「逢……!」
手荷物を冷蔵庫の中に入れたりしてると、後ろから優輝が抱きついてきた。こういうのはいつもあたしからなのに、珍しい。
「なぁに?そんなに溜まってたの?ケケケケケ……」
「あのさ、その……ネットで色々言われてたけど……」
「何の話?」
「えっと、逢が実績の割にスタメンで固定されてるっていうの……」
「……もしかして、あたしが誰かに奪られちゃったって思ったの?」
「うん……」
「それでわざわざ横須賀まですっ飛んできたの?」
「ッ……!」
そのままベッドに押し倒されて、上に乗られて、全身をくまなく貪られる。唇も、首筋も、胸も、わざと跡を残すように。体重をかけて密着してくるから、あたしも、あたしの体温も逃げ場がないし、逃げる気も起こらなくなる。
「大丈夫、あたしは優輝だけのだよ。そんなに軽い女に見える?」
「……恵人くんにベタベタしてたくせに」
「それ言われたら返す言葉もないね……ごめん、心配かけて」
顔を埋められるほど大きくないのに、胸元に縋る優輝の頭を撫でると、やっと大人しくなった。ほんと、思いの外嫉妬深い。
でも、こんな良い男がこれだけあたしに盛ってくるのは愉快なことこの上ない。地球上に限られた量しかない幸せを誰よりも抱え込んでる心地。
「ここはまだまだ大人しくなってないね?」
「……ごめん」
脚に絶え間なく押し当てられてる固い感触。あたしを穿たくて、あたしに自分を残したくて、そこに命を必死に寄せ集めてる。あたしも脚を軽く動かしてやり返すと、何枚かの生地越しでも熱量も伝わってくる。
「優輝、ちょっといったん座って」
「うん……」
「シャワー浴びた?」
「ここ来てすぐに」
「じゃあご褒美」
「……!!!」
枕にもたれかかる形でベッドの上に座ってる優輝。あたしはそんな優輝に跪いて頭を垂れるような姿勢。
寄せ集めた命を剥き出しにして、両手を添えて口づけを繰り返す。
「あ、逢……」
綺麗な顔を蕩けさせながら、あたしの頭を両手で掴んで、さらに命を寄せ集めて体積を増やす。この感触を手放したくないからって自分勝手な理由だとしても、あたしにとっては名誉なこと。
きっと全部は収まらないけど、あたしは大きく口を開けて……
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優輝が身を震わせるのと合わせるように喉を鳴らした。
「えっと、逢……」
「ん?」
「飲んじゃったの?」
「うん」
今まででも気分が乗ってる時は優輝を直に味わってあげたけど、ここまでするのは今日が初めて。今日は特別だからね。少し溢れた分も指ですくって口に運ぶ。えらく喉に残るけど、お酒の味よりはこっちの方がまだ良いかもしれない。
「あたしの中を泳がせてる気分はどう?」
「……めちゃくちゃ嬉しい」
「へぇ〜、男の人ってやっぱりそうなんだ〜?ふぅ〜ん……」
「…………」
からかうあたしから目を逸らす優輝だけど、変わらずあたしが優輝に跪いて見上げるような姿勢だから、その表情はよく見える。それがまさに、あたしが望んだ通りの反応。
男は欲しい女に自分を植え付けたがる生き物だけど、女は欲しい男からその一部を奪いたがる生き物。
優輝が種を残す代償としてあたしが削らせた命。命なんだから栄養もある。しかもおあつらえ向きに美容に良いものばかり。あたしだけが、女の誰しもが欲しがりそうな男から奪ったもので自分の明日の可愛さを得られる。あたしという女がどれほどのものかを推し量るには、これ以上のない指標。野球でどれだけ良い成績を残そうが、高いお肉をどれだけ食べようが、この優越感はきっと他では味わえない。こういうのがあるから、このクソめんどくさくてクソつまらない世の中を生きようと思える。
優輝もきっと心の中では綺麗事とか抜きで、同じような自己満足に浸ってるんだと思う。あたしというクッソ可愛い女の子を独り占めして、利用して。こうやって見下ろすことで得られるものもあると思う。
でも、それで良い。『自分勝手を押し付け合って、満足し合うための究極の打算』。『愛』ってものを綺麗事一切抜きで説明するなら、きっとそれが一番の正解。男が女と交わるのを『喰う』とかそんな表現をするけど、実際はこんな感じで、女が喰う方。そんなふうにお互いが『相手の手綱を握ってる』って思い上がれるから、男と女という別の生き物同士が『愛』ってもので繋がれるんだと思う。
「優輝」
「ん?」
「ハッピーバースデー」
「こんな時に言うの……?」
「こんな時に言うのがあたしだよ」
「もしかして、こういうことしてくれたのも……」
「あたしらしいお祝いでしょ?」
「……そうだね。うん……」
恋人になって初めての優輝の誕生日。仕事だから仕方ないって割り切ってたけど、やっぱり直接祝いたかったからね。
「安心して。ちゃんとケーキも買ってきてるから」
「あ、さっき冷蔵庫に入れてたの……」
「うん。プレゼントは元々こういう日程だから後で渡すつもりだったけど、せっかくだからケーキだけでも一緒に食べようね」
「ありがと……誕生日のことも実は今の今まで忘れてたよ」
「そんなに必死だったんだ?」
「……うん」
「さっきくらい必死に、あたしのことも可愛がってね?」
「え、えっと……ケーキは期限大丈夫?」
「保冷剤も入ってるからね。それに今は後味が残ってるし」
「……ごめん」
「いいよ。むしろあたし、甘いのよりこういうのの方が好きかも?」
「ッ……!」
さっき溢れた分を惜しむようにペロリと舌なめずりすると、また優輝に押し倒された。
実際、あたしは砂糖のきいた甘いものはそんなに好きじゃないしね。お酒とタバコみたいに身体に悪いってわかると、どうしても興味が薄れる。
「その調子その調子。時間はあるんだし、2週間以上ご無沙汰だったんだから、お互いに埋め合わせしようね?」
「……スケベ」
「お互いにね」
身体中を這い回る、優輝の肌と粘膜。久しぶりの、好みの男の感触。身体の芯まで沁みる。今日もまだ最後まではしないけど、少なくともあたしは十分。
試合での悔しい思いとか、変な勘繰りとか、今まで溜まってた澱のようなものが洗い流されて、ものすごくシンプルな快感ばかりが頭に刻まれていく。たとえこういうのは生物が種を残す口実を作るために『気持ち良い行為』として仕組んだものだとしても、やっぱり遊ぶなら『お酒』とか『タバコ』とか『ギャンブル』なんかより『異性』に限る。
……すみちゃんと、それとあたしを追っかけてくれるファンの人達。あたしにどんな期待をしてくれても構わないし、頭の中であたしのことをどうしようともとやかく言う気なんてない。明日の試合だって使われたらきっと昨日まで以上の結果を出してみせる。
だけど今だけは、ただの女でいさせてね?みんなが思ってるほど軽い女じゃないけど、あたしを認めてる人達が思うほどあたしは真面目でもないから。




