第九十七話 ハッピーバースデー(1/9)
******視点:徳田火織******
7月25日。大阪のとある大きい病院の特別病棟。
世間は今、明日から始まるオリンピックの野球競技を楽しみにしてる最中。今回は野球が正式競技になってしかも日本で開催だから、JPB……日本のプロ野球もそのためにわざわざ試合数を短縮して、逢ちゃんや三四郎くんみたいな代表選手以外は休暇中。
……確かにあっくんを騙したけど、別にこの時期を狙い澄ましたわけじゃない。けど、結果としてちょうど良いタイミングになったのは確か。
「待たせたな、火織」
「あっくん……」
今日この病院にはあっくんとアタシ、両方にとって大事な用事があるんだけど、勘繰られるのを避けるため、病院に入るタイミングをあえてずらした。
「お揃いですか?」
「はい、お待たせしました」
「それではこちらへ」
看護師さんに案内されて、あっくんと一緒に廊下を歩く。
前を歩く白衣の女性看護師さん。アタシみたいな椎■■檎信者だと真っ先に『本■』のPVが思い浮かぶ。だけどもちろん、身に纏うのは白衣だけで、ギラギラとしたシルバーアクセサリーなんか付けてない。
そしてそれは今日のアタシも同じ。真面目に野球をやるようになって化粧も装飾も控えめになったけど、元々ヴィ■■アン・ウ■■トウ■ドとかが好きで、イヤーカフとかリングとかを普段ちょっとだけ身に付けてたりする。でも今日はそういうのは一切ナシ。厳密に言えば、あっくんからもらったいつも付けてるヘアピンだけ。こればっかりは外せない。
「いよいよだな」
「うん……」
気が付けばあっくんと腕を組んでた。守秘義務を良いことに。調子に乗って、二の腕に頭を少し預けてみたり。
「どうぞ」
足音がよく響く廊下を少し歩いて着いたとこ。看護師さんが開いてくれた扉を潜ると、物々しい機械がいくつも並んでる。『人工母胎』。大人の背丈ほどはある大きい卵型で、小さな小窓の付いた機械。関係者以外が手を出せないように柵で距離を取られてるから中はよく見えないけど、気泡が立ってるから何かの液が詰まってるのはわかる。
「こちらです」
その内の1つの前にお医者さんと看護師さんが何人かいて、アタシ達を手招きする。そこに合流して、同じように機械の前に立つ。
「それでは氷室さん。心の準備はよろしいですか?」
その問いかけはアタシ達2人に対してのもの。もうその名前はアタシのものでもあるから。あっくんと見合わせて、黙ってお互いに首を縦に振る。
「はい。お願いします」
「それでは……」
お医者さんの1人が近くにあるコンピュータを操作すると、ブザーが鳴って、お風呂の栓を抜いた時みたいなゴポゴポという音。多分、機械の中の液が抜かれてるんだと思う。
しばらくすると液が抜ける音がしなくなって、機械の上の方の蓋が外れると同時に産声。看護師さん達が色んな道具を抱えて、機械に上半身を突っ込んで少し作業。
そこからおくるみで包んだ赤ちゃんを抱き上げて、アタシ達に差し出した。
「おめでとうございます。可愛い男の子ですよ」
「おお……ありがとうございます!」
まだ目も開いてないしわくちゃの顔。だけどなぜがアタシとあっくんの子だってのがはっきりとわかる。
赤ちゃんを受け取って最初に抱いたのはあっくん。それは予め決めてたこと。騙した罪悪感とかもあるしね。
「ほら、火織」
「うん」
次はアタシの番。おくるみを含めたってせいぜい4kgほどのはずなのに、やけに重い。でも嫌な感じは全くしない。まるで抱き返してきてるみたいな、そんな感覚。
「名前、決めてた通りで良いよな?」
「うん。実里、ママとパパだよ。今日からよろしくね」
男の子か女の子かはあえて秘密にしておいてもらってたけど、どっちの名前も先に決めてた。必然的に片方はいったん没になるわけだけど、無駄にする気はない。アタシとしてはもう1人か2人くらいは欲しいしね。
「火織」
「ん?」
「ありがとな。実里を産んでくれて」
「……うん。アタシの方こそ……実里を産ませてくれてありがと」
嬉しいけど、あんまりそんなこと言わないでほしい。突き詰めたらアタシの勝手なんだし。
でも、そう言ってくれるあっくんだから、アタシはこうやってお母さんになりたいって思えた。
人工母胎での出産は相当費用がかかる。少なくとも普通の会社勤めくらいの女の人ならたとえ産休が取れなくても普通に出産した方がまだコスパが良いくらい。時代が進んだ今でも、アタシみたいなプロでまぁまぁやれてるスポーツ選手とか芸能人、一部の高給取りくらいしか縁のないもの。そういう背景もあるからか、人工母胎での出産は一部の人からは『胎児をすぐに機械に詰め込むから悪阻や出産の痛みを経験できず、結果的に母性が生まれない』とか、そんな非難をされたりもする。
確かに、この子がアタシの中にいた期間なんて多分1ヶ月もない。この機械に入れてた間にもアタシは普通の妊婦と違って普通に練習して試合して、この子のミルク代を稼いでた。ただ、一応立場的には妊婦であることを弁えるためにも、あっくんとむやみに兄弟を増やすようなことをするのは控えてたけど。
だからアタシ自身もそういう非難が単に妬みとかじゃなく、実際にそうなるんじゃないかって不安もあった。でもそんなことはなかった。この子を抱いた瞬間から、『この子のためならなんでもできる』って、そんな本能が生まれたのが実感できた。きっと本当に心から愛する人の子だから。
みんなから愛されてるあっくんとの子で、今もそのことは世間には秘密にしてるから、きっと多くの人から愛してもらえない。よくない感情を向けられることになってしまうと思う。
だけどママ、絶対に実里を守って、幸せにするからね。
・
・
・
・
・
・




