第九十一話 意味のない振れ幅(9/9)
******視点:西園寺雲雀******
「6番ファースト、天野。背番号32」
「さぁ逆転してなおもノーアウト。打席には一軍に復帰した天野。今日は死球と三振」
「チッヒ!連続弾でええぞ!!」
「代える前に前に点稼いどけ!」
「さっきのデッドボールのお返しや!」
……まだや!まだ終わってへん!!
(……!高い!!!)
(これなら!!!)
「ライト下がって……あぁ、もう追いません!」
やってもうた……
「「「「「おおおおおおお!!!!!」」」」」
「入りました二者連続!天野、今シーズン第一号!!3-1、さらにリードを広げます!!!」
「外のカットボールがベルトの高さですねぇ……逆方向にもこういう大きいのを打てるのが彼女の魅力ですねぇ」
「新旧ウホ長コンビいいゾ〜これ」
「残塁残塁を嘲笑うかのような一発攻勢」
「やはり筋肉は全てを解決する……」
「「「ナイバッチ!」」」
「千尋ちゃん!」
「復帰してすぐとは恐れ入る」
「…………」
盛り上がる向こうのベンチ。何か月出里が天野さんのことこっそり睨んでたけど……
(この人はいつもいつもあたしがやりたいことを……)
「タイム!」
「ここで八汐監督が出てきて……ピッチャー交代です!」
「くっそぉ……!」
「まぁこっちもムエンゴすぎたしなぁ」
「ウチの打線的にゃようやったよな」
月出里が天野さんに何を思ってるのかはわからんけど、関係ないな。
ウチにとっちゃ、『月出里との喧嘩には勝ったけど、バニーズ打線との勝負には負けた』というだけの話なんやから。
「お疲れさん。ゆっくり休め」
「はい……」
投手コーチがまたこっちに来て、ベンチに戻るよう促された。
「すまん、俺の判断ミスだ。ここまでよく頑張ってくれた」
「いえ、力及ばず申し訳ありません」
「今日はそう言えるようになったのなら十分だ。次の登板も期待してるからな?」
「……ありがとうございます」
多分、月出里に勝つために神経全部使ってもうたからやろうな。
アホみたいな話やで。妃房蜜溜とか、ああいう打者との勝負にばっかりこだわる奴を散々バカにしてきたのに、今のウチは同じ穴の狢なんやからな。
……せやけど、そうなったからこそ、今日は5回まではやれた。あそこまではプロに入って以来最高の出来やった。今度はもっと効率良く、そしてできれば9回まで維持すること。そしてそれを1年間継続できるようになること。
口で言うほど簡単やないのはわかっとる。でもやったる。絶対にやったる。
******視点:八汐元三[大宮桜幕ビリオンズ 監督]******
……俺の見極めが甘かったな。西園寺を責めることはできんし、後続の投手の不足も言い訳にならん。
投球の感覚というのは繊細なもの。投球モーションが変われば当然、投球の感覚も変わってくる。それゆえに、ランナーを抱えるだけで途端に制球が乱れることも珍しくない。そしてそれゆえに、最近はワインドアップをする投手はかなり珍しくなって、それどころかランナーを抱えていなくてもクイックかそれに近い投げ方で投げる奴も多い。その点について球界OB・OGの中には批判的な元投手もそれなりにいるが、まぁ致し方ない選択だな。
クイックを複数段階使い分けるということは、その数だけ投球感覚の違いが生じる。アマチュア時代には百戦錬磨を誇り、嚆矢園制覇さえも果たした西園寺であっても、その使い分けには相当な神経の消耗を要するはず。
考えてみればわかることだったな……監督という立場でありながら、西園寺の活躍に酔ってしまった。一歩引いたところから戦局を見極めるということがうまくできてなかった。
……昨今では独立リーグや育成枠によりプロ入りの門戸が広がったことで、いわゆる"成り上がり"の選手というものが取り沙汰されることが多くなった。ヴァルチャーズの真木と久保のバッテリー、アルバトロスの亀甲、そしてウチの西科などがその代表例だな。
だが俺に言わせて貰えば、独立リーグや育成からの"成り上がり"など『意味のない振れ幅』。プロ入り直前のキャリアやドラフトなど所詮は野球人にとって通過点の一部。マスコミやファンが特別に取り上げて、スタートラインであるかのように見えてるだけのものでしかない。
ライパチだった小僧が努力を重ねて、ドラ1でプロ入りということもある。神童扱いされてた小僧が努力を怠り、独立リーグを経てようやく下位指名でプロ入りということもある。
そして西園寺のようにドラ1入団しても伸び悩む者もいれば、向こうの月出里のように無名の下位指名から数年でレギュラーを勝ち取った者もいる。ただ西園寺にしても月出里にしても、共通して現時点で一軍で試合をやれるだけの実力を身に付けられてる。過程に大きな違いはあっても、現時点で選手としての価値はどちらも十分にある。
つまり、実力や評価の振れ幅の大きい時期、小さい時期など人それぞれ違うもので、実力そのものには何ら関係のないもの。勝負にとって重要なのは今この時点での実力のみ。振れ幅など商売上はともかく、勝ち負けの前には何ら価値のないもの。
俺達ビリオンズが毎年のように主力を引き抜かれながらも"強豪"を標榜し続け、過去2年続けてリーグ優勝できたのも、全て実力のある者を十分に揃えてこれたからこそ。"プロ野球選手"という現状だけに満足せず、常に最高の結果を求め続けてきたからこそ。
昨今はその『意味のない振れ幅』が大きい選手の活躍が目立つヴァルチャーズばかりが世間では"育成力のあるチーム"として評価されているが、育成に必要なのは振れ幅という『過程』ではなく実力のある選手をどれだけ揃えられるかという『結果』。そしてプロ入りから現時点までどれだけ成長できるかなんてのは結局は取り組み方と向上心次第。育成などの成り上がり候補の成長の幅が期待株の選手のそれより必ずしも上回るとは限らないのだからな。
すでに選手でない俺だってそうだ。西園寺の起用の甘さにしても、俺が未完成である証拠。そして俺が俺を未完成であると認識しているから、西園寺のおかげで今日もまた1つ学ぶことができた。これも俺の実力の一部になる。きっとどこかで勝利の役に立つ。
人は常に未完成だから成長することができる。完成を気取ってもそれは自己満足にしかならない自縄自縛。
西園寺。お前はおそらく、そんな『意味のない振れ幅』のなさに焦りを感じ続けてきたのだろう。華々しい経歴ゆえに自分の未完成を認めきれなくて、同時に自分の未完成を信じることもできなかったのだろう。だがもう恥じることなどない。結果として今のお前は十分な実力を身に付けられたし、現状に満足しない姿勢も身に付けられた。
だから今更、俺がお前に多くを語る必要もない。ただただこれから先のお前に期待してるぞ、西園寺。




