第八十八話 あたしの中のあたし(4/4)
******視点:三条菫子******
大学生活も今年で最終年。卒論に加えて、立場的にどうしても自分でやらなきゃいけない仕事もあって、今年も多忙になること請け合い。まぁ去年と違って今のところこれと言った不祥事はないし、システム上の仕事もある程度は梨木に投げられるようになったし、そこら辺は救いね。
「1回の裏、バニーズの攻撃。1番サード、月出里。背番号25」
「今日もリードオフヒッターを務めます、月出里。今年は開幕から10試合連続安打、打率も4割近くをマークしています」
「「「ちょうちょ!ちょうちょ!」」」
「ラブリーアッイ」
「今日も引っ掻き回せー!」
いつも通り、自宅で作業しながら中継を流す。できれば久々に生で観たいんだけどね。
……あの子も随分と育ったわね。ここまでは計画通り。ペースが想定よりも早いけど、こういうふうになるってのは最初からわかってた。生まれ持った才能をある程度使いこなし始めればね。
逢……ローマ字表記だと『Ai』。そして英語の『eye』。何とも因果を感じるわね。あの子の才能は端的に言えば、『超高度な入出力を可能とするグラフィックベースのAI』なんだから。
かつてタイ・カッブが「50cm先に飛ばしたヒットと50m先に飛ばしたヒットが同じヒット1本になる」云々と言ったけど、それが示すように、『ヒットを打つ方法』ってのは常に1つとは限らない。打者にとっての『正解』のパターンっていうのはいくらでも存在しうるということ。
投手と打者の左右でボールの見極め時間が微妙に違ってくるから、適したタイミングの差異が生まれたりする。内角や外角、高め低め、投球の球速や球種によって最適なタイミングやスイングの仕方も変わってくる。だけどどれもそれぞれ『正解』は1つとは限らないし、芯を外したりタイミングが合ってなくてもヒットになる時はなる。条件と分岐がいくらでもあるのだから、『正解』のパターンもいくらでも生まれうるのは必然。
月出里逢はこれまでに野球中継やプレー動画、生での観戦、そして自身のプレー経験によって数えきれないほどの『正解』のパターンを頭の中に蓄積してきた。それも驚くほど正確に。他人の頭の中の話だけど、それでもそう断言できる。それくらい、あの子の『再現』は正確なのだから。
以前、天井にひっかかったボールをノックで打ち落としてたことがあったけど、あれもその『再現性』の証明。『どう打てばそうなる』っていうパターンを予め思い描き、それをそのまま『再現』したからこそ、あれだけ正確なノックが実現できた。
情報技術の用語には『CUI』と『GUI』ってのがある。前者はキーボードでURLを打って移動するみたいな感じで、文字を介して命令を下すもの。後者はマウスでサムネイルをクリックしてリンク先に飛ぶみたいな感じで、ポインタや画像などを介して命令を下すもの。これらの命令の対象はコンピュータになるけど、人間の思考についても同じように考えることができる。
あの子の頭の中は多分極端にGUIに偏ってるんでしょうね。『枕草子』の冒頭部分を一字一句違わず暗記するような感覚で、バッティングという刹那の動作を視るだけで部分部分まで精密に記憶し、それをそっくりそのまま再現できるんだから。
『学習データを正確に蓄積し、参照することで、あらゆる投球に対して打つ方法を算出し、実現する』。それこそが、月出里逢に秘められた『"史上最強のスラッガー"になり得る才能』。
"誰よりも精密な『仕様検証』を実現し、あらゆる『引数』に対しても最適に出力できる『関数』を有する打者"、その理想に限りなく近い存在。
だけどその才能は、人間にはなかなか扱いきれるものじゃない。振り回されてる逢が情けないわけじゃない。あまりにもポテンシャルがありすぎるが故の代償。安っぽい表現をすれば、『神の領域にも届きうる代物』。
あの子の打撃にあった、あるいは今でもあるいくつかの問題点も、全てそれで説明がつく。
例えばプロ入り当初、特に問題視されてたフォームの乱れ。そしてそれによる打撃の不振。
打者にとっての『正解』のパターンは確かにいくらでも存在しうるけど、投手と打者にはそれぞれレベルというものもある。良い投手であればあるほど打者にとっては『正解』のパターンが狭くなるし、逆に良い打者であればあるほど『正解』のパターンは広がる。
月出里逢がその才能に振り回され、私や妃房蜜溜のような好投手相手でしかその真価を発揮できなかったのも、そのパターンの量の差異によるもの。膨大すぎる学習データを持て余した結果の事象。『引数』に対して適した『戻り値』が多すぎるが故の欠陥。
普通の投手相手だと算出できる『正解』のパターンが多すぎて、腕とか脚とか、スイング動作の個々でバラバラの『正解』のパターンを算出してしまい、結果としてフォーム全体の整合性が取れない状態に陥ってしまってた。言ってしまえば、過去の打者達のキメラのような状態。
タイミングだけは天性のものでどうにか合わせられてたけど、他がバラバラなせいでミートポイントが微妙にズレて捉えたはずなのに凡退してしまったり、動作が連動せずスイングスピードの加速が不十分になったりといった不具合が生じてしまってた。
だけど、"良い投手"……つまり、"打てるパターンが少ない投手"が相手なら、算出できる『正解』のパターンも必然的に絞られる。つまり、スイング動作全体で整合性の取れる『正解』を導き出しやすくなる。
打球の方向に偏りがあったのも、おそらくプレー動画を多く視聴した影響。ああいうのは基本的に『正解』のパターンしか流さないものだからね。
野球は守備位置が大体決まってるから、ヒットになる方向なんかも大体決まってる。『正解』のパターンを無意識に参照していれば、必然的に『普通ならヒットになる打ち方』ばかりを算出することになる。あの子自身も合理主義というか、めんどくさがりなところがあるから尚更『逆らわない打ち方』に偏りすぎることになってしまった。
フォームがバラバラな時に偶然でもヒットがなかなか出なかったのも、『普通ならヒットになる打ち方』がズレてたことも理由の1つ。基準がそこなのにフォームのせいで微妙なズレが生じるから、『普通ならヒットにならない打球』ばかりを生み出すことになってしまった。つまり、フォームがバラバラだった頃から元々そういう弱点もあったけど、フォームが改善されてそこが顕著になったってこと。
ホームラン性の打球がなかなか出ないのも、おそらく『仕様検証』の作用。角度のある打球というのは、芯から少し外すことで生み出されるもの。基本的にバッティングは捉えたところがバットの芯に近いほど『正解』になる確率が上がるものだから、無意識に芯から外れることを忌避してるんでしょうね。
……"史上最強"とは、『過去』も『現在』も『未来』も全て含めて最も強いということ。
だけどWARとかがいまだに研究段階であるように、時代の違う選手同士の評価というものは難しい。特に『過去』の選手というのは、全体的なレベルの低い環境にいたというのは事実だから、どうしてもその環境の中で生み出した数字が軽視されがち。映像とかスタッツとか、実力を示すエビデンスも乏しいしね。
今の時代は映像データとかそういうものの信頼性が高まってきてはいるけど、今なお時代が進むごとに環境のレベルが上がり続けてるのも事実。だから『現在』が『過去』になってしまったら、同じように正当な評価を下されなくなることが危惧される。"史上最強"になるというのは、単に数字だけ残せばなれるものじゃない。
だけど、逢の才能は極めることができれば、理論上あらゆる時代にも通用する力。相応の数字を残し、逢の才能を『そういうもの』として証明し、広く認知させることができれば、"史上最強"は証明できる。
何でこれだけのことがわかるかって?それは当然。私はずっと昔から考え続けてきたのだから。『"史上最強のスラッガー"と"史上最強のエース"、もし存在するとするならどんなものなのか?そしてそれを証明するにはどうすれば良いのか?』ってね。そしてその推測というか期待にピッタリ当てはまったのが、あの月出里逢なんだから。
あの子は私のことを"最初で一番の月出里逢のファン"とか言ってたけど、確かに正しいわね。あの子の存在を認識する前から、あの子のような存在を待ち望んでたんだから。『一番目』というよりは『マイナス一番目』。出逢う前からファンなら、一番最初になるのは当然よね。




