第八十八話 あたしの中のあたし(3/4)
球場の開門の時間になって、試合前の練習も観たいっていう熱心なファンが少しずつ観客席に入ってくる。
今日は平日だけど、お父さんの勤務先の中には正社員でも朝から夕方以外のところで仕事するようなとこもあったって言ってたっけ?まぁ家族っぽい集まりもいるし、有給取ったりもしてるんだろうけど。
……『認識と再現』。ポロッと出てきただけかもしれないけど、ようやく聞けた。"あたしの中のあたし"って奴の正体。
それを聞いて、ふと思い出したのはお父さんのこと。
今はSES……だっけ?何かパソコン関係の仕事をしてる普通の会社勤めのおじさんだけど、あたしの中学の頃くらいまではプロの格闘家だった。
ついでにお母さんも、お父さんと結婚して家庭に入るまではプロの格闘家だった。あたしが生まれる前の話だけど、その頃の映像は観たことがある。お父さんが格闘家を引退してからはお母さんもパートで働き始めて、今は正社員として雇ってもらってる。
過去はそれなりに華のある仕事をしてて稼ぎもなかなかだったけど、今となってはどこにでもいる普通の共働き夫婦。
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あれはあたしが小学生の頃。今も昔もクッソ可愛いあたしだけど、あの頃はすみちゃんみたいに腰くらいまで髪を伸ばしてたっけ?中学に入ってからは野球するのに邪魔だしトリートメントが面倒だしで、お母さんと被るの覚悟で今くらいに切っちゃったけど。
「ウィナー、マサル・スダチー!!!」
「「「「「うおおおおお!!!!!」」」」」
「「「「「マサル!マサル!」」」」」
「K.O.!月出里勝、"帝国東チャンピオン"の座は揺るがず!」
リングの上で拳を掲げるお父さん。そんなお父さんに歓声を浴びせる人々の中で、あたし達家族も時々試合を観戦しに行ってた。プロ野球と比べたらプロの格闘技は人気がないけど、それに負けないくらいの熱量を、お父さんは試合で生み出してた。
かつてのお父さんは本当に強かった。お母さんはアラフォーのオバハンになってもまだまだあたしより強いけど、お父さんは若い頃のお母さんよりも強かった。あの頃のお父さんより強い人なんて、あたしには想像できない。
「お父さん……!」
「お、おう。大丈夫だ……」
だけど、試合のたびに傷が絶えなかった。試合が終わって引き上げたら即治療が当たり前だった。いつもそうやって泥臭く戦って、それでも何だかんだでいつも勝ってるところがファンの人達にウケてるってのはわかってたけど……
「お父さん、何で……」
「ん?」
「何で避けないの?お父さんだったらこんなふうにならなくったって……」
「まぁ、確かにな……相手には申し訳ねぇが、今日も多分無傷で勝つことはできただろうな」
控え室で治療を受けた後のお父さんに思わず聞いた。
お父さんがやってたのは総合格闘技。プロレスとかと違って別に避けちゃいけないなんて決まりもない。なのにわざわざ攻撃を受け続けて……
「逢。俺は昔ッからバカでな」
「え……?」
「勉強はもちろんできなかったし、柔道も師匠に教えてもらっても難しい技は全然理解できねぇし……ガキの頃から親父の手伝いしてて腕っぷしには自信があったから、最初の方は力任せにやってても何とか勝ててたんだが、その程度の奴の限界なんて当然あっという間に来た。必死に仕掛けた大外をあっさりすかされて、寝技で腕を極められて、絞められて……」
お父さんの方のお爺ちゃんは口数の少ない人であんまり会う機会もなかったけど、昔、土木系の仕事をやってて、お父さんは川の砂利拾いとかを手伝わされてたんだって。だから子供の頃から足腰が強くて喧嘩でも負けなしで、それで地元の道場主さんに見込まれて最初は柔道から格闘技の道に入ったって話。
「けどな……そうやって負けまくってる内に、俺はいつの間にか俺に仕掛けられた技、俺を負かせた技を使えるようになってた」
「え……?」
「昔から『身体で覚える』って言葉があるが、俺はバカだからどうもそれしかできねぇらしい。だが、それならいくらでもできた。中学上がってからは大人相手でも負けなくなって、それで柔道以外でもそんなふうに勝ちたいって思うようになって……あらゆる格闘技をそうやって身体で覚えていって、気が付いたらここまで来れてた」
『どんなに難しい技でも、たった一度その身で受ければ覚えられる』。そんなことがお父さんにはできた。それに加えて、お母さんさえも力ずくでねじ伏せられるほどの強靭な身体を備えてた。証明する機会がなかっただけで、きっとお父さんはあの時点でもこの世界で一番強かったと思う。
だから……
「でももう、そんなことしなくても……」
「そうだな……確かに、今くらいでも十分かもしれねぇ。頂点に立つのならな。でもそれは、俺が求めてる"最強"とは違う」
「え……?」
「俺が勝ちてぇのは『現在』だけじゃねぇ。『過去』も『未来』も全部ひっくるめて"最強"になりてぇんだよ」
「…………」
「せいぜい100年ぽっちしか生きられねぇ人間が目指すにゃ過ぎた願いかもしれねぇけどな。だが、世界中の人間全員でじゃんけんすりゃ必ず誰か1人は最後まで勝ち抜けるように、"史上最強"ってのも存在しうる。けど少なくとも『現在』ある技の全部くらい極められねぇような奴に、そんなのを名乗る資格はねぇと俺は思う」
後で聞いた話だと、お父さんのファイトスタイルは大人の事情も多少絡んでたみたいだけど、それでもお父さんがそうやって"最強"を目指してたのは事実。誰よりもまっすぐに、自分の目指すものを目指してた。
気まぐれで、何考えてるのかよくわからないお母さんでも心底惚れ込んだのも無理もない。純をひたすらゴツくした感じの見た目で、あたしの好みからは外れちゃうけど、見た目も中身もまごうことなき良い男。
……あのままいけば、間違いなくお父さんは"最強"になってたのに。
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「逢!」
「はわっ!?」
「どうしたの?フリーバッティングの番、もうすぐだよ?」
「あ、ゴメン。ちょっと考え事してて……」
優輝に声をかけられて正気に戻る。
嫌なことまで思い出しちゃった。今、ちょっとでもテレビに関わる仕事をやってるのが嫌になること。
……お父さんがやってたことも、『認識と再現』ってやつに当てはまると言えば当てはまる。身体で覚えて、そっくりそのまま再現すること。
もしかして、あたしにも同じようなことができるってことなのかな……?あたしのはお父さんのと違って、あたしみたいにわがままで、やりたいことを邪魔したりして不便なんだけど。お父さんみたいにそのまま真似できたら楽なのに。
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