第八十八話 あたしの中のあたし(2/4)
「先に聞いときたいんだけど、あんたって確か似たようなことを菫子にも聞いたことあったわよね?」
「はい。えっと……」
タブレットを取り出して、過去のメモを起こす。
「"誰よりも精密な『仕様検証』を実現し、あらゆる『引数』に対しても最適に出力できる『関数』を有する打者"……そういうのが"史上最強のスラッガー"で、あたしはそういうのになれるって……」
「あの子らしいわね……パソコンの言葉はよくわからないけど、要するに"どんな投手相手でも勝てる打者"ってとこかしらね?」
「多分そういうことだと思います」
あの日がきっかけで"打順調整要員"から脱却できたけど、正直、すみちゃんの言ってたことの細かい部分はまだあんまり理解できてない。
「それと、あんたプロに入ってから私からバッティングの基礎的な部分を教わったけど、プロに入るまではそういうの気にせずやってきたのよね?」
「はい……一応教わりはしたんですけど、何というか、上手く頭に入らなくて。だからテレビ中継のプロのプレーを真似る感じで何となくやってました」
「ん、やっぱりね」
「やっぱりですか……」
「あんた、文字読むのとかも苦手でしょ?」
「そうですね。小説とか新聞とかは……野球中継とかプレー動画ならいくらでも観れますし頭に入るんですけど」
だから勉強は嫌いなんだよね。高校受験だけは死ぬ気で頑張ってまぁまぁの公立高に入れたから特別バカじゃないとは思うんだけど、文字とか他人の話って何というか、頭の中で上手く思い描けないんだよね……プロ入ってからはこうやって何とか頑張ってるけど。
「……そう。それで全部説明がつくわ」
「え……?」
そんなので……?
「菫子の言葉を借りるのなら、"あんたの中のあんた"って奴は『月出里の打撃の才能そのもの』。そしてそれによる『無意識の出力』ってとこね」
「『無意識の出力』……?」
「あんたさっき『プロに入るまでは何となくでやってた』みたいなこと言ってたわよね?それはつまり、『無意識』に頼ってたってこと。ものっすごく性能が高いけど運転が難しい車に赤ちゃんが乗ってたようなものね」
「それでフォームが変になったり、打球が決まった方にしか飛ばなかったり……」
「そういうこと。だから私は最初にバッティングの本当に基礎の部分から教えたの。そして実戦を経験させつつ、応用的な技術を少しずつ教えていった。あんた自身も頑張ったから、頭の中の『意識してること』が増えることで『無意識でやってること』が減っていった」
「そうですね。ずっと頭空っぽでしたから……」
「そう卑下する必要はないわ。あんたは『野球の知識がロクになかった』んじゃなく、『野球の知識がロクに体系化されてなかった』だけなんだから」
「……どう違うんですか?」
「要はそういうデータみたいなものは頭の中にあるけど、それを出力……言葉や文字に起こしたりとか、それを誰かに説明したりとか、そういうのはできない状態だった、ってとこかしらね?『画像や動画はあっても、文字に起こすことはできない』……そう言ったらわかりやすいかしら?」
「あ、それならわかるかもしれないです」
確かに今まで観た動画の内容とか、生で見たプレーとかは言葉で説明するのは難しいけど、頭の中で再生することは簡単にできる。そういうことかな?
「『才能』って生まれ持ったものだけど、いくら『バッティングの才能がある』って言っても、生まれつきバッティングのやり方を知った上で生まれてくるわけじゃないでしょ?最低限の知識があって初めて生かされるもの。"あんたの中のあんた"って奴は、そういうあんた自身の意思じゃまだ扱いきれないもの……過去に観たものや知ったものを使って好き勝手やってきたってわけよ」
「それでまだフライを打つのは邪魔してる、と……」
「……ただ勘違いしてほしくないのは、さっきも言ったように、それは『月出里の打撃の才能そのもの』。決して毒じゃないし、そもそもあんたがあんた自身に良い結果をもたらしたいがためにやってることで、結果的に悪い方に転がってるだけなのよ。きちんと薬になったこと、今までなかったかしら?難しいはずなのに何故か『無意識』でできてしまったことってなかったかしら?」
「『無意識』で……すみちゃんと、シャークスの妃房さんが打てたとか、ですかね?」
「そうね。それが最たる例だと思うわ。妃房はもちろんのこと、身内の贔屓目抜きでもかつての菫子もすこぶる良い投手だったわ。『だけど』あんたは打てた……いえ、『だから』あんたは打てた」
「『だから』……?」
「"良い投手"って、要は"打つのが難しい投手"ってことになるわよね?『だから』あんたは打てたのよ」
「……???わけがわからないです……」
普通逆じゃないの……?じゃあ何で鹿籠さんは逆に全く打てないんだろ……?
「ところで、あんた最初フォームが変だったけど、何だかんだで最初からプロの投手の球にも当てることはできたでしょ?」
「まぁ、当てるだけなら……」
そのせいでバット折りまくったけど。
「気づいてた?あの頃から体重移動とかの始動のタイミングはほぼ常に完璧だったの」
「……!?」
一応、呼吸と拍子は意識してたけど、それに合わせるフォームそのものはあんまり意識してなかった。そこさえダメだったのかと思ってた。
「それにね、フォーム全体で見れば確かにぎこちなかったけど、部分的には間違ってなかったのよ。組み合わせがおかしかったから、動作の連動がうまくいかなくて変なことになってたのよ」
「『部分的には』……?」
「たとえば3つの数字を足して『6』を出すってなったら、どんな式にする?」
「えっと……『1+2+3』とか?」
「そうね。2を3つ並べても良いし、『1+1+4』とかもアリね。つまり1から4までの数字なら正解になりうるってこと。あんたのフォームはいつも1から4の数字だけでできてはいたけど、全部足して『6』にはならなかったのよ」
「……全部が全部間違ってたってわけじゃなくて、腕の動きにしたって脚の動きにしたって、他のところを改善すれば良い感じになってたってことですか?」
「そういうことね。なのに妃房や菫子相手の時は全部噛み合って打てた」
「"良い投手"『だから』……?」
「理解できたかしら?」
「わからないです……」
「まぁいずれわかるわよ。今はそういうもんだと思っておきなさい」
全部が噛み合った時……そう言えば去年あの変態と勝負した時も、打つ瞬間に視えるイメージはあの変態そのままで、変な雑コラみたいになってなかった。イメージというか想定というか、そういうのが綺麗に噛み合うってことなのかな……?
「……ちなみにアンタ、前に高校時代の監督の指示で、一流どころの選手のプレー動画観るのを日課にしてるって言ってたわよね?アレ、今でもやってるの?」
「はい、もちろんです」
普通に面白いし、暇つぶしにもなるしね。
「ならあんた、本当に頑張ってきたのね」
「え……?いや、別にそんなに苦じゃないですけど……」
「そっちじゃないわよ。バッティングの方。"あんたの中のあんた"も毎日強くなり続けてるってのにね」
「……?」
強くなり続けてる……?
「その調子で続けなさい。むしろホームランを打てるようになるのがますます遠のくかもしれないけど、いつかその分だけ報われるわ。必ずね」
いや、それは流石に困る。もちろん続けるつもりだけど、じゃんけんの件がなくても今年こそホームランを打つのが目標なんだし。
「『認識と再現』……それこそがあんたの一番の才能なんだから」
「え……?」
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