第八十八話 あたしの中のあたし(1/4)
******視点:月出里逢******
4月15日。今日もナイターだけど、早出して約束通り振旗コーチと練習。
「月出里、何であんたホームランが打てないんだと思う?」
「えっと、良い感じのフライが打ててないからですかね……?」
「そうね。表面上の理由はそうね」
「『表面上の』……?」
「まぁその辺は後々理解できると思うわ。とりあえず、フライがあまり打ててないってことは間違いないからね」
ネットでも指摘されてたけど、確かにあたしはプロ入りどころか野球始めてからを振り返っても、犠牲フライを打った記憶がほとんどない。練習というか、ノックだったらフライでも何でも普通に打てるんだけどね。
まぁ今はヒットは普通に打てるから、ランナーはそれで返せば良いやってことで、プロ通算犠牲フライ0に関してはあんまり気にしてない。ホームランが0な方がよっぽど辛い。
「ホームランを打つための条件はいくつかある。『打球速度』、『打球の角度』、『天候条件』とかね。『天候』に関しては自力でどうにかするのは難しいけど、『打球速度』と『角度』は自力でどうにかできる」
「『球場の広さ』とかは?」
「それはまぁ『打球速度』の問題ね。『打球速度』が速ければそれだけ遠くに飛ばせるんだし。『フェンスの高さ』なんかも結局は『角度』の問題。確かに球場の条件そのものはどうしようもないけど、まだ自力で解決できる範疇。ここサンジョーフィールドは古い球場だけど、広さもフェンスの高さも普通くらい。屋外球場だけど、特有の風とかそういうのは特にないから、基準にするには悪くないとこね」
バニーズが昔から本拠地として使ってる、サンジョーフィールドこと天王寺大公園球場。
今でもプロ野球チームの本拠地として改修を重ねてでも使われ続けてるのは、多分立地条件の良さと景観の良さ。環状線とか色んな路線のターミナルになってる天王寺駅の近くにあって、都会のど真ん中にある球場だけど公園内の施設だから緑豊かで、球場の周りも大きな池で囲まれてる。特に夜は水の上に月と共に浮かんでるように見えるから、選手と同じで、『見た目だけは立派』で有名。
それとこの球場は広さは普通くらいだけど、場外ホームランが比較的打ちやすい球場としても有名。
まぁ最近はドームをホームにしてるとこが多いし、屋外球場でも近隣に迷惑にならないようにフェンスとかで場外に出ないように配慮してるとこがほとんどだからね。だから『比較的打ちやすい』というか、実際は『数少ない打てる』と言った方が正しい。
もちろん観客用のスペースを確保するために奥行きもそれなりにあるから、そんなにポンポン出るものでもない。一番この球場を使ってるバニーズが貧打で有名だから、尚更ね。
ちなみにバニーズは準本拠地として、ここから少し南の方にあるドーム球場もたまに使ってる。特に梅雨の時期とかね。夏休みくらいの時期だとパンサーズが高校野球のために嚆矢園を譲って、ほとんどメインで使ってるけど。
そこは広さとフェンスの高さはここより少し大きい。屋内だからホームランの出やすさとかはあんまり変わらないけどね。
「まず『打球速度』。これを決める要素はいくつかある。特に相関性が高いのが『スイングスピード』ね。これは誰でもイメージできると思うけど、速く振ればそれだけ打球も速くなって遠くまで飛ばせる。昔は『バットが重いほど良い』とも言われてたけど、実際調べてみるとバットの重さとの相関性ってあんまり高くなくてね。むしろバットが重いとその分スイングスピードが落ちて、その分でマイナスも生じるってのがわかってるのよ。だからトータルで考えて、最近は軽いバットが主流になってるってわけ。平均球速が上がってる昨今なら尚更速く振れる方が良いわよね?」
「その辺に関しては問題なさそうですね」
「まぁね。その点であんたが無理ならきっとメジャーのデッドボール時代みたいになっちゃうわ……」
あたしもオフにバットを長いのにしたけど、重さは前のと変えてないし、元々試合用のバットはむしろ軽いくらいにしてる。単純に軽い方が操作しやすいし。呼吸と拍子を読んで、しっかりボールも視えてるのに思ったところにスイングできなきゃ意味ないからね。
「他にも『打者の除脂肪体重』とか、『打球速度』を決める要素は色々あるけど……ホームランを打つ上で強く留意したいのは、『打球速度』と『角度』の関係性ね」
「最近よく聞く『バレル』ってやつですか?」
「その通り。その辺も踏まえて説明するわね。『打球速度』が速いほど飛距離も伸びる。でも『打球速度』が最も出るのはライナー。バットの芯とボールの中心がピッタリぶつかって、その運動エネルギーを完全に伝達した場合に一番飛ぶのは当然よね?」
「でもライナーだと……」
「そう。なかなかホームランにはならないわ。『角度』が足りないからね。『角度』を付ければその分芯から若干外れて、その分のパワーロスも生じる。まぁ地球には重力があるから、フェンスの有る無しに関係なくある程度『角度』が付いてる方が結果的に遠くに飛ぶんだけど、もちろんそれを過ぎれば『飛距離』が足りなくなる。しかもボールもバットも丸いでしょ?だから芯からある程度外れるとその形状に釣られてインパクトの瞬間のヘッドのブレも起きやすくなるから、そういうのでもポップフライになっちゃったりするのよ。この辺が右利きの左打者が不利になることが多い部分ね」
「その辺は若王子さんの得意分野ですね」
「そうね。アイツは逆にインパクトの瞬間にヘッドを走らせてトップスピードに乗せるから、単純にボールに力が伝わりやすいし、ヘッドのブレも起きない。そうすることでホームランになりやすい打球を高確率で再現する。それに近い考えなのが『バレル』ってやつね。一定以上の『打球速度』と『角度』を目指すことで、打撃の期待値を高めるっていうアプローチ」
「160km/hくらいで30°くらい……でしたっけ?」
「大体そんなもんね。打球が速いほど『角度』の許容量は大きくなるけど、さっきも言った通り、そもそも速い打球っては『角度』を付けるのが難しいもの。アッパー気味のスイングが流行ってるのも、投球の軌道に対して線で捉えるってのの他に『角度』が付きやすいってのも大きな理由ね」
「……あたしもその辺、意識してないわけじゃないんですけどね」
それこそ1年目から、『三日月を描く』意識で『角度』を付ける練習はしてる。
「ええ、それはわかってるわ。でもあんた、無意識にライナーとかばっかり打っちゃうのよね?」
「はい……」
でも、気づいたらそうしちゃってる。これも"あたしの中のあたし"に釣られてるみたいで、いくら意識してても……
「……さっき言ってた『表面上の』って、そういうことですか?」
「そういうこと。でもね、それは決して悪い傾向じゃないわ。あんたは当てるのが上手いけど、それが高じた結果よ。どんな球も芯でしっかり捉えられるからこその悩み。確かにヒットを打つ上で成長したけど、ホームランを狙う上でもあんたは確実に前に進んでるわ」
「そうですかね……?」
「だってあんた、最近あんまりバット折ってないでしょ?」
「……!!!」
そう言えば……
流石にバットを長くしてすぐの頃は何本かダメにしちゃったけど、もうある程度慣れて……
「入団したての頃はあんなにポキポキ折ってたのにね。それは要するに、あんたが自分の才能をある程度自分の意思で引き出せるようになってきてる証拠。前に言ってた、"あんたの中のあんた"からの邪魔を振り切れるようになったって証明よ」
「…………」
「フォームを自分の意思で改善して、打球の方向も自分の意思で決められるようになった。それだけあんたは自分を御せるようになった。あともう少しよ。打撃という刹那の時間の中で自分の意識を張り巡らせられる範囲がそれだけ広がってきたんだから、きっとその中で三日月も描けるようになるわ」
「……コーチ」
「ん?」
「そろそろ教えてくれませんか?"あたしの中のあたし"って、一体何なんですか?」
「……あんたの才能を一から全部説明するのは難しいし、何より下手するとあんた自身が混乱してどうなるかわからないところがあるのよね。だから今までずっと触れてなかったんだけど……でもあんたもここまで来れたんだし、ものっすごくざっくりとで良いなら教えられるわ。それで良い?」
コーチも、意地悪で今まで黙ってたわけじゃないってのはこの2、3年で理解はしてる。だから、黙って首を縦に振る。




