第八十七話 月を掴むような話(4/4)
試合が終わって、室内練習場の扉の前。今は二軍でリハビリ中の天野とスマホで通話。
「すみません、遅い時間なのに」
「良いのよ。いつでも相談に乗るって言ったのは私だし」
「ついてないですよね……振旗コーチ、せっかく今年から一軍昇格なのに、ぼくは出遅れちゃって……」
「焦っちゃダメよ?」
「わかってます。しっかり治してからガンガン打って、チームを勝たせてみせますよ」
「ふふ、楽しみにしてるわよ」
通話を切って、扉の向こうへ。
昨日まで2勝7敗だった散々なウチだけど、今日は投打が噛み合って7-1の快勝。だけど月出里は居残り練習。いくら明日もナイトゲームとはいえ週の頭だってのに、元気なことで。
「すみません、遅い時間まで」
「いえいえ。仕事ですから」
「お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした」
打撃練習に付き合ってくれてたスタッフの人に礼を言って、水分補給しながら私の方に近づく月出里。
「……コーチ、ちょっと相談良いですか?」
「ええ、何かしら?」
今日はよく相談を受けるわね。まぁ仕事だから良いんだけど。
ベンチに並んで座って、話を切り出すのを待つ。
「『打率を上げるためにホームランを狙う』って、変ですかね?」
……!?
「唐突ね。どうしてそんなことを?」
「打率の高い人がみんながみんなホームランを打たないわけじゃないですけど、『打率』って、ホームランをある程度我慢しないと稼げないってイメージあるじゃないですか?」
「そうね。『ホームラン狙いを止めれば打率を稼げる』って考え方は遥か昔から存在するもの。100年ほど前にタイ・カッブがベーブ・ルースに対して実際に言ったこともあるくらいだしね」
「私もそういうものだと思ってました。だからホームランバッターの打率が低かったり三振の数が多いのはホームラン狙いの勲章みたいなものだと思ってたんですけど、今日の試合やっててちょっと思うところがあって……」
「……もしかして、例のシフト?」
「はい。あれって要はじゃんけんですよね?」
「その通り」
「あれやってて思ったんです。ホームラン狙いは確かにリスキーなとこがありますけど、ヒット狙いだって、ああやって邪魔されたり、そうじゃなくても守備の上手い人にアウトにされたり、いろんなリスクがあるんだって」
「そりゃあね。あの樹神ですら誰もいないところに100%打つなんてことはできないんだしね……それで、『あのシフトの対策として』ってことね?」
「はい。去年と比べたらそんなに問題じゃないですけど、あれをじゃんけん以外でも破れるようにならなきゃもっと上は目指せないですから。それで、変な話ですけど今のあたしって打率を今以上にするならホームランを狙わなきゃいけないんじゃないかなーって」
「まぁ打率を上げるアプローチなんて人それぞれよ。私は現役の頃、四球で出ることに結構こだわってたけど、別にセイバーメトリクスとかあの辺を信奉して時代を先取ってたつもりはなかったわ。単に打数を減らして、打率を高くする手段として考えてたのよ。打数が減れば、それだけ少ないヒットで高い打率を出せるからね。大きくない身体でホームランの数にこだわると、どうしてもヒットが少なくなるからそういうので」
「何か昔の人って、ホームランバッターでも打率にこだわってる人多いですよね?」
「そりゃあね。"世界のホームラン王"林一閃が晩年十分な力を残していながら868本で打ち止めにしたのも通算打率3割を切りたくなかったのが理由の一つだったらしいし、メジャー史上最強のスイッチヒッターであるミッキー・マントルも自分の衰えと向き合うのが遅れて通算打率3割切ってしまったことを相当悔んでたって聞くし、昔はそれだけ『打率』ってやつが特別視されてたのよ」
「見栄え、ですかね?」
「それもあると思うけど、昔は今みたいにOPSだのwRC+だのそういうのがなかったからしょうがないわよ。今だって大事な指標であることには変わりないんだし。あんただってそう思うから打率を上げようって思ってるんでしょ?」
私だってなりゆきでホームランバッターを目指したけど、本来のスタイルは率を稼ぐ方だったと思うから、その辺は今の時代になっても正直否定されたくないわね。古いと言われようとも。
「……そもそもあたし、『打率』ってやつがあんまり好きじゃないんですよね」
「え……?」
「別に『打率』なんて意味ないとか、そういう次元の話じゃないですよ?コーチも言ってるように、自分の実力を示す大事な数字の1つだってのはわかってます。でも何と言うか、さっき言ったイメージがやだなーって……」
「……『ホームラン狙いを止めれば打率を稼げる』ってやつ?」
「はい。それにその逆も。あたし、一番尊敬してるスラッガーは若王子姫子さんですけど、あの人ってほぼ常にホームラン狙いじゃないですか?代わりに打率はあんまり高くなくて三振が多くて……でもあの人は別に最初から打率を犠牲にしてるんじゃなくて、結果としてそうなってるだけだと思うんです。『全ての打席でホームランを打つことよりも良い結果はない』っていう、そういう究極の理想を求めた結果でしかないと、そう思うんです」
「そうね……そりゃ好きで凡退しまくる奴なんていないわよね」
「ヒットを狙うのだって、あたし自身も身を以て知ったように、相手の良い守備に邪魔されたりしますし、下手するとゲッツーで却って迷惑をかけることだってあります。ヒットの数を稼ぐのも、ホームランの数を稼ぐのも、どっちもある程度は我儘の結果。アウトにならないことで優劣を決めるのなら、『出塁率』とかの方がその証明になりますし」
「その我儘が両方等しく反映されるのが『打率』っていう数字ね。稼ぎやすさに差があるけど」
「『全ての打席でホームラン』でも、打率は10割ですよね?」
「……!」
「もちろん、そんなの流石に無理だとは思いますよ?でも、誰もいないところに100%打つのだって同じように無理です。どっちもどこかに限界はあると思いますけど、そんなのは誰にもわからないんだから、結果が良い方を選んだって誰も文句は言えないじゃないですか」
「まぁ……突き詰めればね……」
「それに、その稼ぎやすさなんてのはあくまで過去の人達にとっての感覚。そしてあたしが今まさに、ホームランが次のステップのために必要になってる。それを叶えて、あたしは否定したいんですよね。『打率はホームランを犠牲にしなきゃ稼げない』なんて安っぽい考え。そんなのはホームランを狙えないことの負け惜しみでしかないって証明したいんですよね」
「……打率は確かに単純な割り算なんかじゃないけど、足し算ばかりでもないわよ?それを狙うことでの引き算も絡んでくる」
「そんなのは打てるようになってから考えたら良いんです。今は打率のためのホームラン狙いだとしても、いつか誰よりも多くホームランを打つことで誰よりも高い打率を残して、こう言ってやりたいんです。『打率なんて所詮、全部ホームランっていう究極の理想のついででしかない』って。そう言えるのがきっと、すみちゃんも求める"史上最強のスラッガー"ってやつじゃないですか?」
……ほんとこの子は変わらないわね。
「『ホームランを稼ぐついでで打率を稼ぐ』……雲を掴むような話、というより月を掴むような話ね」
「『三日月に向かって、三日月を描くように』だからですか?」
「そう。でも、100年分の常識は強敵よ?」
「今ある常識を潰さなきゃ、新しい常識を置く場所なんかないですよ。今メジャーにいる幾重さんだって、『プロは投手か打者どっちかじゃないとダメ』って常識を潰してそこにいるじゃないですか」
いや、変わってはいる。少しずつだけど、その身に秘めた才能を御せるようになってきてる。だからその大それた言葉の説得力だって違う。困難をその身で味わって、乗り越えてきたからこそ言えること。
ほんのちょっと前まで二軍で"打順調整要員"とか言われてたのにね。
「……今のあんたなら、『我儘の資格』があるわね」
「あ……入団したての頃の話ですか……?」
顔を赤らめる月出里。泣きべそかいてたのももはや懐かしいわ。
「今日はもう遅いけど、明日から『月の掴み方』、教えていくわよ」
「はい、お願いします!」
今のこの子なら少しは理解できるかもね。その身に秘めた、『史上最強のスラッガーになりうる才能』ってやつを。




