第八十五話 罪なき卑怯者(9/9)
******視点:月出里逢******
「お疲れ!」
「やったじゃねぇか」
「ど、どうも……」
4月5日、開幕カード3戦目でバニーズはようやく1勝。
昨日は敷島さんが頑張ったけど延長で負け。今日は雨田くんが四球か三振のルーレットみたいなピッチングで7回無失点、完封リレー。期待されてたドラ1の開幕先発ローテデビューの一戦を華々しく締めくくって、ホーム開幕戦の面目はどうにか保てた。
「じゃああたしはこれで」
ササッと帰り支度。今日は寄り道する予定があるから、寮まで直通のバスには乗らない。
「月出里、たまには祝勝会に出ないか?」
「この前やっと二十歳になったんだろ?ソフトドリンクは卒業して……」
「いえ。もうお酒は懲り懲りなので」
((((『もう』……?)))))
亜鉛が無駄に減るのは筋肉にも美容にもよろしくない。タバコも匂いが無理。甘い物も別にそこまで好きじゃない。『米と肉と野菜』、それと『たっぷりの水分』であたしは十分に潤う。
「お待たせ」
「それじゃ、行こっか」
「夕飯の準備大丈夫?」
「うん、昨日買い出し行ったから。作り置きもしてるから、すぐ用意するよ」
こっそりと優輝と合流して、優輝の部屋へ。
「お邪魔します」
「どうぞ……うぇっ!?」
玄関を上がってすぐ、前を歩く優輝に後ろから抱きつく。勝負事の前後はどうしても気持ちが昂る。
「お腹空いてないの?」
「空いてる。だからすぐに済ませて」
「もう……」
振り返ってあたしを抱き返して、唇を啄む。お互いに身体を撫で合うけど、優輝は大体あたしの胸元を重点的に弄ってくる。
「ほんと好きだね。大きくもないのに」
「……嫌?」
「全然」
むしろ脳を直接絞られて、変な汁が滴って伝ってるような感覚。
屈んで胸元に顔を近づけてきて、服の上から吸ってくる。あたしより身体の大きい男がそんなふうに縋ってくるのを見下ろしながら、頭を撫でて受け容れる。一人じゃ生きられない赤ちゃんを愛でてるような、ある意味生殺与奪を握った状態。一種の支配欲みたいなものが満たされる。
前言撤回。『好みの男』もないと、あたしは潤わない。そういう誰しもが欲しがるものに欲しがられてる優越感と、欲しいものを手に入れた実感で、お腹の下の方から熱いものが迫り上がってきて、頭が沸々と煮えたぎる。こういうのがなきゃ、クッソ強くてクッソ綺麗な身体を維持するためだけに生きてるみたいで味気ない。
……優輝が一番好きだけど、やっぱり純とか山口さんとかあの辺にも欲しがられたいなぁ。去年の野球教室でも可愛い子結構いたから、その辺もできれば。優輝一人でもこんななのに、他の好みの男も全部囲い込んで好き放題できたらどれだけ気分が良いか。善くないとわかってても、こういうことをしてるとどうしても考えちゃう。
『人間はどこまでも欲深い』……なんてね。主語を大きくして自分の業の大きさを誤魔化したくなる。
「あ……」
「……そろそろ用意する?」
「う、うん……」
急にあたしのお腹が鳴って、中断するきっかけに。耳がお腹に近いところにあったから、ほとんど直に聞かれちゃった。恥ずかしい。
「おまたせ」
「おお……」
ご飯に納豆、冷奴、それとハンバーグにサラダ、漬物とかの小鉢諸々。確かに前もって準備できるものとかすぐに出せるものばかりだけど、これだけの量をすぐに準備できるのは手際が良い。
「普段から自炊してるんだよね?」
「まぁね。それとついでに栄養関係の勉強もしようと思って」
「大丈夫?マッサージの方ももうカリキュラム始まってるんだよね?」
「ついでだから大丈夫だよ。逢のためなんだし」
「ッ……!」
身体を直接撫でられるのとはまた別の快感と羞恥心で、思わず顔が熱くなる。勢い余って優輝以外の男も欲しがっちゃうあたしに、『愛はこういうもの』って思い知らされたみたいで。
バッティングだけじゃなくこういうところでも優輝がいないと、あたしってとことんダメダメなのかもしれないね。
「いただきます」
「どうかな?」
「うん、美味しい」
そんなふうにあたしを考えて作ってくれたんだから、そうなるに決まってるよね。
「今年1勝目おめでと」
「ありがと」
「どう?このまま今年いけそう?」
「あたしは多分大丈夫だけど、チームはどうかな……?」
「伊達さん、監督1年目だからね……」
「良い人なのは間違いないけど、ちょっと優しすぎるかもね。昨日まで負けっぱなしだったけど特に何も言われなかったし」
「まぁまだ3試合目だしね」
2人して箸を進めてると、会話も自然と進む。
「伊達さんも大変そうだけど、冬島さんなんかも伊達さんが抜けて大変そうだよね」
「どうかな?むしろ今の状況を嬉々として受け容れてる感じがするけど」
「わかるの?」
「うん、色々」
「色々……」
「うん。例えばね……冬島さんって多分、あたしを狙ってるんだと思う」
「え……?」
「伊達に20年もクッソ可愛い女の子やってないよ。男の人の下心なんて視線で大体わかるよ」
「……そういうものなの?」
「優輝も頭の中じゃあたしに対して我慢できてないんでしょ?」
「うん……」
「スケベ」
「悪かったね」
だいぶ慣れてきたみたいだけど、それでもまだまだ責め甲斐があるね。ケケケケケ……
「あたしは面食いだし優輝みたいなのがタイプだから、冬島さんに対してそんな感情を抱くことは絶対にないけど……」
「けど?」
「頑張ってる人は誰であろうと応援はする」
「……!」
「あたしだって色々と恵まれない立場だったからね。だから、誰にもあたしの可能性を否定されたくないし、誰の可能性も否定したくない」
「好意とかも……?」
「それがモチベーションになってるみたいだしね。あたしへの感情だけで結果的にチームが勝てるなら安いもんだよ。すみちゃんにとっての利益にも繋がるし。冬島さんは入団してたった4日目からチームを一つ引っ張ることになってもこなしてみせたし、今でも伊達さんの後を継ぐべく努力を重ねてる。だから信頼もしてる」
「…………」
「あたしと冬島さんって、根っこの部分は多分そっくりなんだろうね。まぁそんなわけだから、男の人の本能一つで軽蔑なんてしないよ」
あたしだって女の本能に忠実なんだし。
「……おれにとっちゃ気が気じゃないよ」
「そんなにあたしを独り占めしたいの?」
「うん……」
「スケベ」
「悪かったね」
「でも嬉しい。ごちそうさま」
「どっちの意味で?」
「どっちも」
お互いに食べ終わって、優輝の隣に座って頭を肩に預ける。
「でも、素直にかっこいいと思うよ」
「何が?」
「『誰にも可能性を否定されたくないし、誰の可能性も否定したくない』って。そういうのが根っこにあるのが逢なんだなって」
「惚れ直した?」
「うん」
「じゃあ帰る前にまたいっぱい可愛がってね」
「スケベ」
「仕返しのつもり?」
「洗い物押し付けるんだから、これくらいはいいでしょ?」
「バレた?」
「当たり前だよ」
台所まで食器を運んで水に漬けるまでは手伝って、また続きから。
普通のOLになってたとか、他にも可能性はいくらでもあったけど、いろんな偶然や巡り合わせがあってこの可能性に辿り着けた。それに報いるためにも、プロ野球選手になった本来の目的を忘れるつもりはないけど、今だけはこうやって溺れていたい。




