第八十五話 罪なき卑怯者(8/9)
俺ん家は関西やと特に珍しないけど、代々から続く"ジェネラルズアンチのパンサーズファン"の家系。やから子供ん頃から昔のプロ野球の話もよく聞いた。主にパンサーズがいかに素晴らしいのかとか、ジェネラルズがいかに悪どいのかとか、そんなんばっかやったけど。
その中で特に印象に残ってるのは、とあるホームラン王の話。
昔、ジェネラルズにものすごいホームラン王がおった。林一閃。通算で868本、シーズンで最大55本もの本塁打を放ち、その通算記録は世界的には公式に認められていないものの、『帝国球界で歴代最強のスラッガーは誰か』と問われれば、たとえ俺の家族みたいな人間でも迷わずその名を挙げるくらいの偉人。
せやけど、記録は塗り替えられるもの。流石に通算の本数は『20年間40本打っても足りない』くらいの数やからよっぽどのことがない限り塗り替えられんとは思うけど、シーズン記録なら可能性はある。というかもうすでに7年前に塗り替えられとるし。
ただ、それまでにも何度か塗り替えられる可能性はあった。パンサーズの選手にもそういうのがおった。デビット・サンダース。当時の4番の振旗八縞を上回る打棒でパンサーズを初めて日本一に導いた、パンサーズ歴代でも最強の助っ人外国人。サンダースはちょうど日本一の年に林の記録を塗り替える寸前までいった。
やけど、パンサーズはジェネラルズと同じリーグ。しかも当時のジェネラルズの監督はちょうどその林本人。ジェネラルズ投手陣のほとんどは罰と、そして自軍の偉人の顔に泥を塗るのを恐れて、露骨に勝負を避けた。唯一真っ当に勝負したのは当時のエースのみ。単純に投手としての矜持もあったんやろうけど、かねてから林と確執があったとも聞くしな。
こういう状況やと、ジェネラルズの投手陣に『サンダースとの勝負禁止』と命じたのは林本人が真っ先に疑われるところやけど、実際は当時の投手コーチによるもの。同じ時代に選手としてプレーした仲間として、どうしてもその記録を守りたかったんやろうな。
ただ、林は監督。チームの方針の最終的な決定権を持っとった。つまり、その気になればその命令を撤回さすこともできた。やけど、そうはせんかった。
まぁ当然と言えば当然。確かにそのことを批判されて名誉が多少傷付いたけど、代わりに記録という絶対的な評価は守られたんやから。
それにそれくらいの偉人であれば、その一挙手一投足を盲目的に信仰する人間も少なくない。いわゆる『ダウンスイング信仰』もそれが原因で生まれたらしいし。『チームの勝利のために優勝候補の球団の最強打者との勝負を避けた』とか、それらしい言い訳は信者が勝手にいくらでも立ててくれる。
何より直接的な加害者やないんやから、黙っていれば自分の立場は守られるし、味方が自分のために自軍の投手陣を『勝負したら打たれる』と高を括って遠巻きにバカにしようが、『選手同士の勝負の世界で選手じゃない奴の名誉を守るために茶々を入れる』なんて邪道に走ろうが、『周りが勝手にやった』と言い張れば明確な罰が下ることもない。本心がどっちであろうと『自分は別に塗り替えられても構わなかった』と言えば、それだけで同情も買えるし、それどころか"人格者"の称号さえも得られることもある。そういう美味しすぎる立ち位置。
……"卑怯者"ってのは、大きく分けて2つあると思う。
1つは、『自分の利益を求めるタイプ』。その目的のために積極的に周囲に被害を与える。そして大体、自分のやってることの悪どさに自覚がある。
もう1つは、『自分の保身を求めるタイプ』。別に望んでるわけでもないけど、その目的のせいで結果的にやはり周囲に被害を与える。『保身』も突き詰めれば『利益』の一部と言えるしな。だからってのもあると思うけど、自覚もなく、ってことが多い。
どっちかと言うと前者の方がよく見かける……というか、あからさまに悪やからよく目立つってだけで、実際にはそんなに明確な数の違いなんてないと思う。
そしてその分類で言えば、林一閃は後者……そして、俺自身もそう。『ち■■るこち■ん』で言うと藤■くんみたいな奴。言うなれば"罪なき卑怯者"。
確実な『自分の利益』を失いかねんリスクを背負ってまで、得られるかもわからんまま『自分のせいで失いかねん他人の利益と名誉』とか『ちっぽけな自己満足』とかを求めるなんて、そら嫌でも卑怯に走りたくなるやんなって話。
小4の頃、幸貴に打つので負けてて悔しかったって気持ちも確かにあった。あの頃は女子と話すのが気恥ずかしかったってのもあった。けどそれ以上に、自分の立ち位置を守りたかったんやと思う。勉強もスポーツも何もかも褒めてもらえる立ち位置がどうしても惜しくなってしもうたんやと思う。
やから最初の方で『幸貴やって凄いんや』って言うのに躊躇してもうて、そのままズルズルとタイミングを逃して、遥と付き合い始めて余計に言いづらくなって。放っといたら周りが勝手にどんどん俺の立ち位置を良くしていって、それでますます手放せなくなって。
『俺は肝心な時に口下手で、本当に腹を割って話せるのは幸貴だけやった』。もう言い訳にしか聞こえへんやんな?『幸貴やなく俺が小学生の頃4番やったんは、チームの方針で脚速い奴が上に置かれてたからその兼ね合い』。何でそんなことも言えへんかったんやろうな?『幸貴と遥の関係をあの頃は知らんかった』。今更言っても嘘くさいだけやんな?『幸貴が捕ってくれへんならもうピッチャーをやる意味なんかないから、高校入ってすぐに外野に回った』。そんなん言っても白々しいだけやんな?
俺はとにかく、何もかもが後手後手になりすぎてもうた。最善手を慎重に考えすぎることで、最悪手を打ち続けてもうた。
俺がこんなこと言っても嫌味にしか聞こえんかもしれんけど、『誰にも傷つけられないように生きていくのと同じくらい、誰も傷つけないまま安全圏にいるのも難しい』……ってことなんやろうな。
どないすりゃええんやろうな?今年25にもなるのに情けない話やで。仲直りの方法を10年以上見つけられへんなんて。
ただそれでも、遥は手放せへん。きっかけは向こうからやけど、もう10年以上付き合ってきて、俺やって遥以外に考えられんし、やることもやったんやから、責任は取りたい。遥の気持ちも絡んでるんやし、何より仮に今更遥を明け渡したところで幸貴のプライドを余計に傷付けるのくらい、鈍い俺でも流石にわかる。
やっぱもう関わらんのが正解なんやろうか?水と油は無理に混ぜ合わさずに距離を取るのがお互いのためなんやろうか?帝国と近所の国とか、違う宗教同士とか、そういう話なら『ゴチャゴチャ言い合うくらいなら関わらんでええやん』って言えるのに、いざ当事者になってみるとアカンな。どうしても可能性を求めてまう。
いや、それとも『その方がノーダメージでいられるから』ってまた無意識に考えてもうてるんか……
「……ほんま、俺って卑怯やな」
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