第八十三話 それぞれの宿命(4/7)
******視点:岡正昇[美浜ブッフアルバトロス ブルペン捕手]******
「バッターボックスにはプロ3年目……昨シーズン、日本プロ野球史上最年少の盗塁王に輝いた月出里逢。今シーズンからは背番号を25に変更し、今日はクリーンナップを任されています」
「昨年もシーズンの途中までは3割近く打ってましたからね。打球の速さと言い、選球眼の良さと言い、打つ方でも伸び代を期待されてるということなんでしょうね」
「そしてアルバトロスの本日の先発もプロ3年目、2017年ドラフト2位、薮咲商業出身の鹿籠葵。高校時代は"スラッガー三羽烏"……猪戸・白雪に並ぶ大砲候補として期待され、ドラフトでも内野手として指名されましたが、現在の登録は投手。昨シーズンはファームリーグBで規定投球回を消化し防御率2位の活躍。今日もここまで4球でツーアウトを取っています」
「良い身体してますねぇ。まっすぐもスピードは特別速いわけではありませんが非常にノビがあって綺麗な球筋ですね」
「ちょうちょ!ちょうちょ!」
「葵ちゃん!押してけ押してけ!」
次の相手はシンデレラガールの月出里ちゃぁん。去年は各球団がシフトで対策を取るようになってからはイマイチ打ててなかったけど、今年に入ってからは打撃好調。単にシーズン中と比べて対戦相手のレベルが低いからか、あの子が『対策の対策』を立ててきたのかは判断が難しいけど、葵ちゃぁんならどっちにしたって心配なし。
「ストライーク!」
「1球目見送ってストライク!今日最速の147km/h!」
(すみちゃんが言ってた通りの軌道……それがわかったなら!)
2年前の葵ちゃぁんのデビュー戦、バニーズ打線は打ちあぐねてたけど、この子には特に効果覿面だったわね、葵ちゃぁんのストレート。
「う……!」
「ストライーク!」
「今度は空振り!」
「ま、まぁちょうちょは追い込まれるまでは割と空振りするし(震え声)」
「振り遅れてる感じやないんやけどなぁ……」
(軌道は頭の中にあるのに……!)
一度打席から離れて、バットでヘルメットのエンブレム辺りを軽く叩く。自分に何かを言い聞かせるように。
あの子はものすごく三振が少ないけど……いえ、ものすごく三振が少ないからこそ、追い込まれるまではわざと空振りすることができる。想定外の球を無理に打ちにいって打ち損じなようにするために。
ほとんどの打者は『打ち損じも三振もアウト1つ』と頭ではわかっていても、やっぱり何か事を起こすためにも最低限当てたくなるもの。だからカウントが浅い内でも思わず想定外の球を当てにいったりすることもある。統計的にもストライクカウントが嵩むほど打撃の期待値は下がるから、早打ちは決して絶対的な悪にはなり得ない。でもあの子はとりあえず当てるだけならできる自信があるから、追い込まれるまではそれを我慢することができるんでしょうね。
ただ、今の空振りはそんな感じじゃなかったわね。むしろ基本通り、『追い込まれる前に叩く』のが狙いだったように見える。
(わわっ……!)
「ッ……!」
ストレート、身体の近く……!
「スイング!」
「……ボール!」
「あっぶねぇ……」
「当たってへんやんな?」
「しかし、今の振りにいくかねぇ?」
あの子地味にスイング止めるの上手いわよねぇ。咄嗟に背中を向ければスイングしようがなくなるし、死球での大怪我も避けやすくなる。
(あんな球を振りにいっちゃうなんて……!)
(す、すみませんすみません……!)
なかなか思った通りのバッティングができなくて苛立ってるであろう月出里ちゃぁんだけど、葵ちゃぁんはビーンボールにご立腹と勘違いしてるっぽいわねぇ。葵ちゃぁんらしいわ。
……おそらくフロントドアの軌道に見えたんでしょうね。
(葵さん。失投ではありますが今の球も次にしっかり生かしましょう)
(……はい。月出里さんには申し訳ないですけど……)
キャッチャーの二乃ちゃぁんが外低めにミットを置く。当然ねぇ。そのくらい図太くやってもらわないとクビになった甲斐がないわぁ。葵ちゃぁんの持ち味を生かすという意味でもねぇ。
……投手の投球動作というのはバレーボールのスパイクのようなもの。腕をより速く、より遠くへ振るために『回内』……『手首を内側に回転させる』動作を加える関係で、ほとんどの投手のストレートは大なり小なりシュートする。『シュート回転』ってよく投球にとって悪い要素として言われがちだけど、それはあくまで他の投手と比べて大きくシュートしてるだけであって、いわゆる『シュート回転』のストレートだけがシュートしてるわけじゃない。そして地球の重力によって若干の落下もしてる。だからストレートはあくまで『他の球種と比べて限りなくまっすぐに近いもの』と考えるのが妥当。
でも流石に重力は無視できないけど、全くシュートしてないまっすぐは投げられないわけじゃない。基本的に横回転に近づくほどシュートしたりスライドしたりするんだから、理論上リリースの角度が地面に対して完全に垂直にできれば完全な縦回転のそれになる。
ただ、人間は機械と比べたらミスをする……というか、機械ほどの『再現性』を持ち合わせていない。だから同じストレートでもリリースをミスって抜け球やシュート回転がより強いストレートを投げてしまったりコントロールミスをしたりするけど、逆にそういう全くシュートしない完璧なストレートとか、シュートじゃなくスライドするストレートをたまたま投げられることだってある。
それでも、個々の個人的な特徴や投球フォームによって、投げられる球にある程度の傾向はある。特に腕の角度。完全なストレートを投げる条件を考えれば、腕がより縦振り……いわゆるオーバースローに近い方がその実現性が高いのは必然。腕を振る動作により生じる『力』をボールに伝えて回転数を上げる上でも、縦振りに近い方がエネルギーロスもより少なくなるはずだしね。地球の重力の向きに従ってるという意味でも、バッティングという横回転の動作に対して線で交わらないという意味でも効率的な投げ方と言える。
まぁだからと言ってオーバースローが絶対的に正しいってわけじゃないんだけどね。近年ではスリークォーターの方が大部分の投手にとっては球速が出しやすい上に制球もしやすく身体への負担も小さいって言われてるし、サイドスローの方がスピードが出るっていう投手も珍しくない。結局のところ一番自分に合ってる投げ方、総合的に見て一番良い球を投げられる投げ方が個々にとっての最適解。
葵ちゃぁんも現代っ子らしく、一番合ってるのはごく一般的なスリークォーター。小学生の頃からずっと続けてきたものなんだから、無理して変える必要はないわね。
というか、葵ちゃぁんにとってはむしろ変えない方が絶対に良い。葵ちゃぁんの投手としての才能を最大限に発揮するためにもね。
(外!入……いや……!)
決まったわね。
「ストライク!バッターアウト!!」
「空振り三振!外146km/h!!」
頑張って手を伸ばしたけど当てることさえ叶わず、思わず天を仰ぐ月出里ちゃぁん。
「「「おおおおおおお!!!」」」
「すげぇ!あのちょうちょを三振させたぞ!!」
「しかも全球ストレート!!」
「ウェヒヒヒ……あ、ありがとうございましゅ……」
少ないながらもわざわざ大阪まで来てくれたファンの声援に、葵ちゃんも思わず照れ笑い。
「まじかよ……!?」
「何で妃房蜜溜の160km/hはホイホイ当てるのに、あの150km/hにもいかない球に手も足も出ないのか、私には理解に苦しむね」
「っていうか8球で三凡って……」
「スリーアウトチェンジ!」
(岡正さん!やりましたよ!)
アタシのいるブルペンの方に向かって手を振る葵ちゃん。ベンチ入りもできないようなアタシにねぇ。
あの全くシュートしない『完璧なストレート』こそが、葵ちゃぁんの最大の武器であり、葵ちゃぁんの才能を最も生かせる球種。
ストレートというのは平均的に見れば若干シュートしてるから、『完璧なストレート』は客観的に見ればまっすぐに見えても打者の感覚で見れば『浮き上がるカットボール』のように見えてるはず。だから月出里ちゃぁんも外に入ると認識したんでしょうね。
スリークォーターは確かにメリットが多くあるけど、やっぱり腕の角度の分、どうしてもオーバースローと比べれば縦のスピンをかけるのは難しい。それに、手首を回内する関係で縦にボールを切って投げられる瞬間というのはほんの一瞬。だから『完璧なストレート』を再現し続けるというのはたとえオーバースローでも至難の業。
だけど葵ちゃぁんはそれができてしまう。あの何の変哲もないスリークォーターで、『完璧なストレート』をいくらでも忠実に再現してしまえる。
……葵ちゃぁんはとっても良い子だけど、内向的で人付き合いがすこぶる苦手。あえて悪い表現をするならかなり自閉的。だけどおそらくその分、自分を客観的に見る能力は人一倍優れている。まるで自分を常に鏡で見つめてるかのように、完璧なストレートを投げられる瞬間というものを正確に認識することができる。
音楽で『絶対音感』というものがあるけど、葵ちゃぁんのあの能力は言うなれば『絶対平衡感覚』ってところかしらねぇ?とにかく、ああいう知覚する能力とかバランス感覚が人並み外れてるのよねぇ。
もちろん、それでもやっぱり『完璧なストレート』を投げるならオーバースローで投げた方が単純に球質を求める上でエネルギーロスも少ないし、再現性もより高められるのは間違いない。いくら完璧なリリースの瞬間を知覚できると言っても、『非効率』なやり方なのは確か。
でも、野球って不条理なものよねぇ。野球はやっぱり投手が有利。打者はより速い球に対応するためにどうしたって『効率』を求めなきゃいけないけど、投手は『非効率』さえも武器にできる。一般的なスリークォーターではあり得ない『完璧なストレート』の再現性が、結果的に平均的な投手との乖離を生み出し、葵ちゃぁんの投手としての『特異性』をより高いものにしているんだからねぇ。
『現代野球は球速や飛距離を求めるばかりで競技化してしまってる』なんてどこかの偉い人も言ってたけど、技術が進歩した現代だからこそ、葵ちゃぁんの才能も見つけ出すことができた。ヴァルチャーズの真似事で最新の機材を揃えた途端に葵ちゃんが入団してきたのは、この球団にとっても運命。
あの子はアルバトロスの……この日本球界のエースになるべき器よぉ。
・
・
・
・
・
・




