第十話 貴方に恥じないあたしである為に(3/5)
地道な積み重ねは確実に結果を生んでた。最高球速の向上だけではなく、コンスタントに140中盤のまっすぐを投げ続けられるようになった。それに伴って他の変化球もある程度使いものになるようになったが、逆に決め球であるフォークが思ったよりもレベルアップできなかった。
もちろん、まっすぐが良くなった分、フォークも生きやすくはなったし、腕を縦振りにした分だけ落ちる変化傾向が強くなった。だがそれは副次的なものでしかなく、フォーク自体がレベルアップしたわけではない。二軍レベルならこれでもかなり空振りを奪れるが、一軍相手に通用しないと意味がない。
「投げ方自体は悪くないわ。ただ貴方、握力がそこまで強くないのよね。フォークはある程度の握力さえあればものにしやすい反面、その握力で良し悪しが出やすい球種でもある」
旋頭コーチは右手の握力が80kg。最近、月出里が120kgオーバーという意味のわからん数値を叩き出してたが、それでもメジャーリーガー相手に2回もノーヒットノーランを達成できたほどの魔球の威力を裏付けるには十分な数値。俺も含めて、日米問わずプロ野球選手であっても大体が50kgか60kgくらいと言われてるからな。
「貴方は現状、スライダー方向の球種に偏ってるし、一軍にはショートに相沢もいることだから、ツーシームに挑戦してみましょうか。上手く習得できれば左方向のゴロで打ち取れるようになるし、投球の幅も広がるはずよ」
「ツーシーム、ですか……」
俺だって何から何まで指示待ち人間じゃない。当然、旋頭コーチと会うまでに自分なりに新球種を模索したことはあるし、ツーシームだってほんの少し試したことはある。
「……あら、思ったより良い感じね」
そう、案外投げられる。それは実は知ってた。というかむしろフォーシームよりも指のかかりが良いような感覚もある。
だが、恥ずかしながら俺にもずっとこだわりがあった。野球を始めた頃から投手をやりたくてガンガン三振を奪るのにも憧れてて、だから速球もフォーシームを投げる感覚を大事にしたくてツーシームはあえて磨かなかったし、フォークも自分に合う合わない以上に三振を狙うために習得したところがある。
このテコ入れが、俺の希望に沿った躍進のきっかけになるとは思わなかった。
「あの、旋頭コーチ」
「何かしら?」
「このツーシームの握り、縫い目が指に沿ってかかる感じが結構手にしっくりくるんです。だから、この握りから指を広げてフォークを投げてみたらどうなるかなって……」
「……ふむ。ちょっと試してみましょうか?」
つまらない未練からの、単なる思いつき。当然、旋頭コーチからしたら別に反対する理由もない。早速試してみたが……
「ダメですね。落差もキレも普通に投げた方が全然良いですね」
「そうね。フォークは回転数を抑える事が肝要。指の関節に縫い目がかかってるから、中途半端な回転がかかってるんでしょうね」
「上手くいかないものですね……」
「いえ、そういう模索はいくらでもしたら良いわ。自分のスタイルを変えたくないと思ってるのは同じ投手としてよく理解できる。オーバーワークになりそうだったら私が止めるし、何でも試してみなさい。なんなら万一身体を壊しても私が囲ってあげるから」
「いや、旋頭コーチご結婚されてるじゃないですか……」
「まぁ今のは半分冗談よ」
「半分!?」
「だって私、元大物メジャーリーガーよ?金なんて腐るほど持ってるし。男は金より顔。貴方は男だから逆にはなるけど、いつか同じようなことを言えるようになるわ」
この時は発想と、旋頭コーチからの激励になってるのかもよくわからない激励だけ。開発に至ったのは、その年のオフ、秋季キャンプ中だった。
「おっしゃ!ツーシーム攻略!」
結局のところ、それまでフォークのレベルアップがなかなか進まなかったから、ある程度形にできそうなツーシームの習得と、それの左打者の内角への制球をひとまずの目標に掲げてた。一応左打者の外角には安定して投げられるようになったが、
「お前でも慣れりゃ打てるもんなんだな」
火織もまた、努力が実り始めてた。
「おいおいあっくーん、それはちーょっと失礼じゃなーい?」
「悪い悪い」
「この球で天王寺の可愛い子ちゃん達をヒィヒィ言わせるなんて、100年早いぜ坊や?」
「そうだな。観客席が別の意味でヒィヒィ言っちまいそうだな。いつも通り打たれすぎて」
思えば火織とも高校からの顔見知りながらずっと関わらないようにしてきたが、いつの間にかこうやって冗談を言い合えるようになってたな。
「でも真面目な話、外角打ちマジで上手くなったな。高校で初対戦の時、最初の打席でインスラを簡単に捌かれてフェン直されて正直かなり焦ったけど、そっから先は外角クルックルだったからな」
「まぁ、あっくんくらいのレベルじゃなかったらカットで逃げれたし、最悪強引に引っ張ってヒットにできたから大して気にしてなかったんだけどね。でもプロじゃあっくんどころじゃないのがゴロゴロいるから、もう誤魔化しも利かないし、なりふり構ってられないからねぇ」
「なりふり構ってられない、か。お互いその通りだな」
「うん。……でもさ、ガンガン投げて三振 奪るあっくんももちろんカッコ良いけど、そうやって勇気出して新しいことに挑めるあっくんはもっとカッコ良いと思うよ」
火織はそう言って微笑んだ。こういう顔、ちょっと前までの火織じゃ全く想像もつかねぇな。
「あ……アタシも、あっくんのそういうとこで救われたからさ……」
最後の方は小声すぎて聞こえづらかったが、それでも誇らしかった。
「ありがとな、火織。そう言ってくれる火織に俺も救われてる」
ファンには申し訳ないが、正直、容姿に関わることばかりが入り混じる観客席からの声の束よりも、火織1人からの言葉の方が嬉しく思えてしまう。
「う、うん……」
咥えてた禁煙パイポを落とし、すっかり開きが良くなった目をもっと見開いて、火織はどういうわけか赤面してる。




