第七十八話(第二章最終話) 背番号25(6/9)
******視点:卯花優輝******
11月21日。秋季キャンプは昨日で終わり。
大阪に戻って一息……つく間も無く、帰って早速部屋の掃除。お茶菓子は……あるので大丈夫かな?期待してるわけじゃないけど、シャワーも浴びた。期待してるわけじゃないけど。
「はーい」
インターホンが鳴って、画面で来客を確認。
「入って、どうぞ」
マンションの正面口のロックを外してすぐ、今度は部屋の前のインターホンが鳴らされる。
「いらっしゃ……うぇっ!?」
ドアを開けると、来客はおれの姿を確認してすぐに抱きついてきた。
「あ、逢……とりあえず玄関閉めてから、ね?」
「キャンプで我慢してた分」
「……はいはい」
逢を抱き寄せたままドアを閉めて鍵をかけて、靴も脱がずに20日ぶりくらいのキス。
……まぁおれも満更でもないんだけど。
「とりあえず、上がろっか」
「うん」
いったん気が済んだのか、靴を脱いで玄関を上がってからは大人しくリビングの方へまっすぐ向かってくれた。
おれはキッチンに寄り道して、お茶菓子の準備。
「というわけで、このオフから優輝はあたし専属の打撃投手として働いてもらうからね。あたし専属の。あたし専属の」
「何で3回言ったの?」
「超大事なことだから」
前もって話は聞いてたけど、本当に人生どう転ぶかわからない。スペアのスペアのスペアの、そのまたスペア程度の立場に生まれて、でもそれなりに贅沢はさせてもらえてたってのに……
「だから発言の最後には必ず『逢ちゃんマジキュート』と言うように」
「え……!?わ、わかりました。逢ちゃんマジキュート」
「うーん……無理やり言わせてる感があってあんまり興奮しないね。めんどくさいし、やっぱナシで」
「えぇ……」
可愛くて、優しいっちゃ優しいけど、こんな変わった子の元で働くようになるなんてね。
「じゃあはい、これ」
「?」
カバンの中からクリアケースを出して、その中から何枚かの紙を渡された。1枚はきちんとパソコンで作って印刷した契約書、それと保険やら何やらの書類、他はチラシの裏を使った手書き感満載の紙束。
「最初のお給料はとりあえず年俸で500万円、その他諸々は書面の通り。大丈夫ならサインと印鑑ね。あと保険関係のやつも同じように」
「他のは何?」
「お給料はこれから先、あたしの年俸に沿って上げていきたいって思ってるんだけど、そのためにも優輝には打撃投手以外でも色々と手伝って欲しいなーって」
「ああ、なるほど。できることが増えればその分給料を上げるってこと?」
「そういうこと。ちなみに優輝って、打撃投手以外で何かできそうなことある?」
「うーん……日常会話くらいの英語でなら通訳とか?」
「おお、さすがおぼっちゃま生まれ」
「ちょっとブランクあるけどね……ん?」
手書きで書き出した、『優輝にやってほしいことリスト』。マネージャーとか、荷物運びとか、さっき自己申告した通訳とか、まぁプロ野球選手の補助職としては妥当なことが並んではいるんだけど……
「……これ」
「ああ、それ?うん。それが一番おすすめだよ。ケケケケケ……」
わざわざ赤字で大きく書いて、しかも下線まで引いてる項目は『マッサージ』……
「あたしみたいな可愛い子弄り放題できてお給料もらえるなんて最高でしょ?ね?ね?」
いつもすましてることが多い逢なのに、えらくゲスい顔で笑ってる。
「……いや、そうは言ってもお仕事としてマッサージっていうのは……」
「?……何か問題でも?」
「最近じゃそこらじゅうにセラピー的なとこがあるから勘違いされやすいけど、マッサージとか整体とかって国家資格で、『業務独占資格』ってやつなんだよ」
「何それ?」
「要は『マッサージとかはその資格を取らずに仕事としてやったらダメ』ってこと」
「マジで?」
「マジだよ。これでも球団スタッフだったんだから。こういうのは医療行為に抵触するから決まりが厳しいんだよ」
「……優輝はその資格持ってない、ってことなんだよね?」
「うん。マッサージだと『あん摩マッサージ指圧師』ってやつだったかな?確か……」
スマホを取り出して、検索して確認。
「……うん。専門学校とかで3年以上勉強して、試験も受からないと取れないんだよ」
「えぇ〜……」
露骨に残念そうにしてる逢。そんなにしてほしかったんだ……
「逢は今でも3000万稼ぐような立場でしょ?身体が資本の仕事で。軽いものでも独学とかじゃ正直ちょっと責任持てないよ……」
「……専門学校って、通わないとダメなの?」
「そりゃ身体触ってやることだからね。通信教育とかそんなのはないよ。だから残念だけど……うぇっ!?」
びっくりした。急に顔を近づけてきて、おれの手首を掴んで……
「この前ここ、散々揉んでたのに?」
「え、えっと……」
気づいたら、掌にあの時と同じ柔らかい感触。耳元での囁きと甘い香りも粘膜にまとわりつく。
「他の人を雇っても良いけど、優輝はそれで良いの?あたしを優輝だけのものにしたくないの?」
「うぅ……」
「……指、動いてるんだけど?」
「ッ……!」
「スケベ」
あざとく上目遣い。ほんと逢は、良くも悪くも自分のことを知りすぎてる。
「……専門学校は大阪に平日夜間のとこもあるけど、そうなるとビジターの平日はしばらく本業ができなくなるよ?」
「それは残念だけど、まぁどのみち毎日毎日投げさせるわけにもいかないしね。取りに行ってくれる?お金は別で出すから」
「まぁ……良いよ」
「そんなにあたしを触りたいんだ?ふぅん、そうなんだ。へぇ〜……」
「……ずるいよ、逢」
「でも好きなんでしょ?」
「うん」
「あたしも」
またこんな流れ。だけど、どこか望んでた展開。
「紅茶、冷めちゃうよ?」
「あったかくなってきたから、ちょうど良いんじゃない?」
今度は玄関先のスリルが邪魔せず、遠慮なくお互いを貪り合う。ありとあらゆる感覚を略取することで、実は心が略取されてる。どっちつかずの欲望ばかりを満たしてくる。ほんとずるいよ。
「最初のお仕事、お願いしても良いかな?」
「?」
「今年めちゃくちゃ頑張ったあたしを褒めて」
「嫌だ」
「何で?」
「そんなの仕事でしたくない」
「……!」
膝の上に乗せて抱き合いながら、頭を撫でる。オレンジの、ふわふわとした髪。
「今年1年、ほんとにお疲れ様」
「うん」
「盗塁王も獲って、レギュラーにもなって。すごいよ逢。本当に」
「うんうん」
「辛いこともいっぱいあったけど、よく乗り越えたね。他の人達には数字とかしか見えないけど、おれは逢のそういうところも見れて……それはそれで辛い時もあったけど、それでも誇らしいよ。そんな逢に好きになってもらえて、おれ、本当に嬉しい」
「……ありがと」
「うぇっ!?」
突然、下腹部を撫でさすられる感覚。
「今は責任取れなくても、あたしで出すものは出すんだよね?」
「……うん」
「あたしが帰ってから?」
「うん……」
「我慢できるの?」
「…………」
「あたしの感触、もっと直に知りたくない?」
「ッ……!」
また上目遣いで、さらに唇を舐める仕草。生々しく艶やかな舌をわざとらしく見せる。熱い吐息とそれが触れることを期待して、患部に温度を奪われまくって痛いくらいに膨張してしまうけど、却って頭は冷えた。
「……ほんとずるいよ、逢」
「どういたしまして」
「予行練習……だからね?」
「予行練習だから仕方ないよね。だからあたしにもしてくれる?」
「……うん」
「スケベ」
「どっちが」
逢のこと、この2ヶ月くらいでもよくわかった。普段は大人しくしてるだけで、本当はとことんわがままで、気まぐれで、おれには欲望剥き出しで。でもそういうところがまた可愛くて。
おれだって、めんどくさい立場じゃなかったら今すぐにでもおれだけのものにしたいよ……
・
・
・
・
・
・




