第七十七話 『さよなら』をもう言葉にできないから(6/6)
「そういうわけで……その、あんまり無責任なことはできなくて……」
「……なるほど」
すみちゃんもだけど、金持ちは金持ちでやっぱりめんどくさい。
そして、そんな人を欲しがったあたしもその巻き添え。中学からずっと苦労しっぱなしで、ようやく好みド真ん中の男に逢えたって言うのに。世の中の大半の男を堕とせるくらいクッソ可愛く生まれてきても、上手くいかないもんだね。
実家が太いのが全然強みになってないし、それどころか完全に邪魔。この見た目と中身でフリーだったのも頷ける。責任感があって軽はずみじゃないのは好感が持てるけど、固すぎるのはそれはそれで辛い。
……まぁでも、本来の目的のついででどうにかなりそうなのは救い。
「卯花さん。だったら……」
「!!?」
あたしなりの救い方を、卯花さんの耳元で囁く。
「どうですか?」
「……良いんですか?」
「あたしも女の子ですから、王子様に救われるお姫様には憧れがあるんですけどね」
「すみません……これじゃ逆ですよね」
「でも、今回救ってくれたのは卯花さんの方ですよ」
「……!」
「確かに最後にはあたしが救うことになりますけど、そうできるあたしになるには卯花さんが絶対に必要です」
『頑張って自分の力で何かを勝ち取る』。そういう経験をつい昨日してきたばっかりだからね。おかげで『それもまた一興』と思える。
野球選手としての栄光も、好みの男も、何もかも自分の力で勝ち取ってみせる。悪くない。
「だからそれまでは……ううん、これから先ずっと、あたし以外のものになっちゃダメですよ?」
「……はい」
また顔を赤らめて、それでも肯定する。
「だったら……」
「!!?」
卯花さんに抱きついて、唇を重ねる。せめて中学の時の……あのクソ野郎の分くらいはここで上書いておきたいから。
「『これくらいは順序通り』ってことですか?」
「そういうことです」
「だったらもう、遠慮はしませんよ?」
「……『あたしが悪い』って言いたいんですか?」
「そうです。月出里さんが悪いんです。だって……」
「?」
「月出里さんの方からは、まだ言ってないじゃないですか」
「……そうでしたね。好きですよ、卯花さん」
そう言うとまるで箍が外れたように、今度は卯花さんがあたしを抱き寄せて、唇を奪う。
「それくらいは言葉にしてください。不安になるじゃないですか」
「ヘタレですねぇ」
「知ってますよ」
またあたしを啄む。飢えを満たすように、激しく、何度も。ヘタレの割にラインを越えると潔いくらい積極的。慣れてるのかな?まぁそれならそれで良いよ。そんな価値のある男をあたしだけのものにするんだから。
……あたしも、ここまでは初めてじゃないしね。
「卯花さん」
「?」
「これからは"優輝"って呼んでいい?」
「……いいよ、"逢"」
また一つ段階を重ねたから、今度は舌を絡めて延々と。目で見るだけじゃわからない相手のことをもっと知りたがるように、お互いに身体を触れ合いながら。肌を重ねながら。
「初めてって、着ぐるみ越しだったんだね」
「ごめん。ずっと黙ってて」
「お仕事なんだからしょうがないよ」
ヴォーパルくんと撮ったあのグラビアが載った雑誌、確か実家に置いてきたはず。今度帰る時に探さなきゃね。
「開幕戦の日、手、握った方が良かった?」
「……気づいてた?」
「気になってしょうがなかったよ」
こんにゃろう。あたしの乙女チックなところを……
「あの頃からあたしとこういうことしたかった?」
やられっぱなしは気に入らないから、意地悪く耳元で問いかける。
「……うん」
「んっふっふ……素直でよろしい。それじゃ、ご褒美」
……思わずお母さんみたいな笑い方しちゃった。喋り方もか。
優輝をベッドに押し倒して、飽きずに何度も貪り合う。いくら見た目が良くても、ただ見てるだけじゃわからない粘膜の感触、体感温度。今この瞬間はあたししか知らないって優越感をいつまでも噛み締める。優輝だってきっとそう。お互いが『自分だけしか知らない』って言い張りたいから、『愛』ってものは存在し得るんだと思う。傲慢と自己犠牲の、奇跡的な釣り合い。
「逢……」
「うん」
男としての顔も立てて、次はあたしが組み敷かれる。あたしを逃すまいとする身体の重みさえも愛おしい。
「あっ……!」
「!ごめん、痛かった?」
「ううん、もっとして」
「ん……」
「ごめんね、あんまりおっきくなくて」
「全然。可愛いよ、逢」
「ッ……!」
ただでさえ唇を重ねて呼吸がしづらいのに、胸の脂肪越しに心臓を掴まれてるような感触も生き物としての危機感をくすぐって、頭が沸々と煮えたぎる。生きたいって感情が邪な気持ちと混ざり合って境目がわからなくなってるみたい。生きる目的さえも征服されてしまいそう。でもそれがきっと、他ならぬあたしの望み。スラッガーがどうとかみたいな取り繕ったものじゃなく、女として生まれたあたしにとっての望み。
『初めて』はしばらくお預けだけど、今はこれだけでも十分。こんなに夢中になって、あたしが欲しいって証を刻んでくれてるんだから。
「眠くなってきちゃった」
「昼寝時だね」
「優輝の部屋、ベッドどんな感じ?」
「これと同じくらい」
「おっきいの欲しいね」
「……気が早くない?」
「することしなくても、一緒に寝たいじゃん。あんまり寮でこういうことできないし」
「そうだね。確かに」
「……まだ触り足りないの?」
「!!!ご、ごめん……」
「スケベ」
「……逢には言われたくない。今まで散々弄んで……」
「ふふっ……今度は手、握ってくれる?」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ」
「優輝」
「ん?」
「好き」
「おれも」
眠くならなきゃ素直になれない。我ながらめんどくさい。
……こんな日にこんなふうに進んじゃったのは正直忍びない。だけど『死』の寒さでどうしても『生』の暖かさを求めてしまう。
あたしは聖人君子として生きるつもりなんてもうない。それなりに悪いこともしてきた。これから先どれだけ成功を重ねても、その時代の"スター"にはなれても後の時代には数字くらいしか残せないと思うし、それで良いと思ってる。あたしはあたしと、あたしが好きな人達が望むものさえ手に入れられればそれで良い。
だから人間、そういうものだって思って欲しい。
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あの日からほんの4日後だった。10月4日、CS開始前日。葬儀にはあたし達球団関係者だけじゃなく、他球団の偉い人とか、海の向こうから樹神さんも駆けつけてきた。
「ッ……ぐう゛ッ……ッ」
ハンカチでずっと目元を覆ってる旋頭コーチを見送って、次はあたしの焼香の番。遺影は見慣れたあのウザったい笑顔。
ねぇ監督。あたし、喪服姿でも可愛いでしょ?いつものリボンは付けてないけど、不謹慎にならないようにこっそりあのペンダントは付けてるんだよ。恋人ができたばっかりだけど、最期なんだから今日くらいは"プレイボーイ"を気取らせてあげる。監督だったらきっと湿っぽいのより、そっちの方が嬉しいよね?それくらい分かり合えたからこそ、別れるのが余計辛いんだけどね。
……そんなことを考えながら祈って、席に戻った。
柳監督は天国か地獄、どっちかに行った。でもどっちかなんてあたしには関係ない。あたしが"史上最強のスラッガー"になれば、きっとどっちにだって名前が届く。監督があたしを信じたことが正しかったんだって監督に伝えられる。
だから、それまではゆっくりしてると良いよ。あたしもぼちぼちとだけど、絶対にやってみせるから。
ヒロインくんの身の上話とか主人公ちゃんの目論見とかは今回は飛ばします。




