第七十七話 『さよなら』をもう言葉にできないから(2/6)
(どうにか制球が落ち着いてきたな……)
「1番サード、月出里。背番号52」
「2回の裏、ワンナウトランナーなし。早くも二巡目となります。打席には月出里。第一打席はキャッチャーファールフライ……」
嬉しいんだかな展開。初回、あたしと赤猫さんは凡退しちゃったけど、ツーアウトから急に四死球が重なって、天野さんと松村さんの連続タイムリーでいきなり4点取っちゃった。そしてそれだけ攻撃が重なったから、あたしの2打席目もこんなに早く巡ってきた。
普段なら大勝ちしてると個人的にも気持ちが楽になる部分もあるけど、今日に関してはあんまり向こうの投手に燃えてもらうと困る。細かくは忘れちゃったけど、確か終盤に大量リードだと盗塁しても向こうのフィルダースチョイス扱いされるって話だし、不文律的にピーピー言われるのもめんどくさい。こんな時に限ってこんな展開になるなんて……
風刃くんの炎上を願うのは論外として、とりあえずスポーツマンシップに則って互いの健闘を祈るしかないね。そしてあたしも、早いとこ塁に出ないと……
「ストライーク!」
「初球スライダー見送ってストライク!」
普通のピッチャーのスライダーなら曲がりながら少し落ちるくらいの変化をするものだけど、下から投げてるとこんな感じで横に滑りながら浮き上がってるような感じがする。外角はただでさえ考えて打たなきゃいけないのにほんとにめんどくさい。
(これ以上の失点はできねぇからな……悪いが今日はカモらせてもらうぜ!)
もう1球スライダー……!
「打ってこれは……」
想定より浮いてこなかった……でもこれなら!
「高く跳ねてセカンド捕る!一塁は……」
「セーフ!」
「間に合いました!内野安打で出塁!」
「十分十分!」
「あとは盗むだけや!」
「ちょうちょ!ちょうちょ!」
まだまだ修正が必要だけど、最低限は果たせた。
「2番センター、赤猫。背番号53」
「ワンナウトランナー一塁……ここは普通にヒッティングのようですね」
でも一番の問題はここから。
「ボール!」
「キャッチャー立ち上がって一塁へ……」
「セーフ!」
「投げません!」
「警戒してますねぇ……」
今日の一番の懸念点。それは向こうのキャッチャー、久保さん。今年1回刺されたってのもあるけど、単純に二塁までのポップタイムがめちゃくちゃ速いのがね。普段のあたしだったら、よっぽど隙だらけなピッチャーでもない限りはそんな危ない橋を渡りたくない。
(優勝をかっさらったビリオンズの選手に肩入れするのは不本意ではあるが、易々と決められては久保正典というブランドに障るのでな)
……でもやっぱり終盤はルール的に盗みようがなくなるかもしれないし、あたし自身も今の状態じゃあと何回も塁に出られる自信がない。一応、一堂さんのモーションは予習してきてるし、ボール先行。あんまり後になって赤猫さんに迷惑かけたくないし、次に仕掛けてみようかな……?
「2球目……!?」
「!!!」
スタートを切ったけど、投げた球はまっすぐ。それも、アウトハイに大きく外れそうな軌道……
しまった、ウエスト……!
(もらった!)
(全く……!)
!!?
「!?ふぁ、ファール!」
「「「おおっ!」」」
赤猫さんが身体を目一杯伸ばして、どうにか当ててくれた。助かった……今のは通ってたら刺されてた……
(今のをカットするとは……)
(盗塁の熟練者ならではの勘というやつか……赤猫さんのおかげで命拾いしたな)
身体を思いっきり乗り出す形で当てにいったから、そのまま地面に倒れ込んだ赤猫さん。
ユニフォームの土を払いながらあたしの方を見て、口を動かす。
(へたっぴ)
言葉には出てないけど、何を言ったかはわかる。自覚はあるからね。赤猫さんが言ってた通り、あたしはここまでおっかなびっくりでやってきたって。
「……ふぅーっ」
一旦深呼吸で気持ちを抑える。盗塁は脚だけで盗むものじゃない。コーチから教わったこと、高座さんとかを見て参考にしたことを思い返して、状況も振り返る。
相手は盗塁阻止の名人。簡単に盗まれちゃ沽券に関わるってことなんだろうけど、別にあたしの盗塁を絶対に阻止しなきゃいけないってわけじゃない。タイトルを争ってるのは別に味方でもないんだし。
それに、4点差とは言えまだ序盤。逆転も全然あり得る。向こうからしたらどちらかと言えばランナーがまた溜まる方が嫌なはず。あたしにばかりかまけて投球に集中できないんじゃ本末転倒。
「セーフ!」
一応牽制は入れてきてるけど、これもあくまで投球に専念するための釘刺し。必ずどこかで投球に全集中する機会がこの打席の中になきゃいけない。
……隙がないなら、作るまで。
「もう1球牽制!」
「セーフ!」
「長く間を置いて……」
「ボール!」
!!ここで……
「また牽制!」
「……セーフ!」
「ちょっと裏かかれましたかねぇ?」
「あっぶね……」
「ちょうちょ!向こうさん完投はないはずや!」
「他の投手カモれ!」
リード幅の限界、これでわかってもらえたかな?投げるのに集中できるかな?
(……そろそろカウント取りに行くか)
さっきのリード幅をギリギリまで維持する。投げそうな気配を見せたら、そこでもう一歩リードを広げる。最悪ここでまた牽制を挟んでも良い。
「!!一塁ランナースタート!」
「ボール!」
さっきのはあえて帰塁をワンテンポ遅らせて見せた、『嘘の限界』だからね……!
(くそッ……!)
「……セェェェフ!!!」
「「「「「おおおおおおおッッッ!!」」」」」
「盗塁成功41個目!月出里逢19歳、JPB史上最年少盗塁王確定!!シーズン最終戦で招福に追いつきました!!!」
「「「ちょうちょ!ちょうちょ!」」」
「逢ちゃーん!おめでとー!!」
「ようやった!ほんまようやった!!」
ちょっと危なかったけど、ギリギリ二塁に届いた脚を支えに起き上がる。
「……お前、大したもんだ」
タッチプレーに入った睦門さんがショートの守備位置に戻る間際に、こっちを見ず一言。
膝下の土を払ってると、スタッフさんが記念のプラカードを持ってきた。
「おめでとうございます!」
「ど、どうも……」
鳴り止まない歓声と拍手に囲まれながら、受け取ったプラカードを掲げる。
プロに入って苦労したことも、勝ち取れたものもたくさんある。だけどこうやって、はっきり形も数字も残るものはこれが初めて。埼玉の北の方で野球を続けてきて、結局ただのOLになるつもりだったのに、いつの間にかこんなとこまで来てしまった。何て言ったら良いのやら……
でも、嬉しいのは間違いない。これで柳監督にも……
(やるじゃない)
打席の方を見ると、ちょっと複雑そうだけど、それでも笑う赤猫さん。今度は口さえ動いてなくても何を思ってるのかはなんとなくわかる。
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「3回の裏、バニーズの攻撃。5番レフト、十握。背番号34」
「あの、赤猫さん」
「ん?」
次の裏の攻撃を待って、ベンチで赤猫さんの隣に座る。
「さっきは本当にありがとうございました……」
「……監督のため、でしょ?」
「!!!」
「あんな泥臭いことしてあげたのはあれっきりだからね?あとはもうちょっと上手くなって自分で何とかしなさい」
「……はい!」
妬まれてるものだと思ってたから、まさかあんなに助けてくれるとは思ってなかった。この人もなかなか粋なことをする。
「……ところでちょうちょちゃん、オフに時間はあるかしら?多分12月頃になると思うけど」
「え……?まぁ多分大丈夫です」
「ならちょっと1日、あたしの手伝いをしなさい。愛知の方で毎年やってる仕事があるのよ。『誠意は言葉ではなく金額』だけど、流石に野暮だから代わりに労働で支払ってもらうわ」
「……何の仕事ですか?テレビ関係だったらちょっと……」
「心配ないわ。あたしもそういうのは出ない主義だし。テレビとは関係ないイベントごとよ。もしかしたら取材が入るかもしれないけど、まぁウチはバニーズだしね」
「バニーズですからね」
山口さんとかも前に言ってたけど、不人気球団はこういう時に良いよね。
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