第七十五話 慎ましい奴(1/4)
時間を遡って、2019年6月、交流戦期間。
******視点:綾瀬小次郎[横須賀EEGgシャークス投手兼任コーチ]******
「打ってこれは……センター下がって……捕りました!」
「あっぶな……」
「唐須、やっぱ後ろ強いな」
「いや、でもこれは……」
6月19日。交流戦が始まって早二週間ほど。今日は横須賀でエペタムズ戦。妃房にとっては今年の交流戦3回目の先発登板日……なんやけど。
「3番サード、草薙。背番号8」
「3回の表、ワンナウト一塁。第一打席でレフト前に運んでおります草薙がバッターボックスに入ります」
「……ッ!」
「また一塁牽制!」
「セーフ!」
「一塁へ戻ります、騒速」
「おいおい、さっきからさっさと投げろよなー!」
「アレが2年連続ノーヒッターの妃房?話と違ってめっちゃビビリじゃん」
「まぁ騒速警戒するのはわかるけどなぁ……」
前の登板日もこんな感じやった。投球に関しては決して調子が悪いわけやないんやけど、これまでと打って変わってランナーのことをやたら気にするようになった。あの『目の前の勝負が全て』と言わんばかりの妃房が。特に騒速みたいに盗塁王獲ったこともあるような奴やとこんなにも露骨に。
「ボール!」
「もう1球牽制!」
「セーフ!」
(へっ、楽勝楽勝♪)
一般的に二盗は『一塁ランナーに背を向ける分、警戒が薄れやすい右投手相手の方が盗みやすい』と言われがちやけど、実は盗塁の名手の多くが『左投手の方が盗みやすい』と言う。
この辺は逆に長く投手やってるとわかる部分もある。盗塁ってのは確かに脚の速さも最低限は必要やし、速い方が確実に有利やけど、ある程度以上になるとセンスの勝負になってくる。良いスタートを切れるタイミングを図れるかとか、牽制で帰塁できるリード幅をしっかり設定できるかとかな。
そういったものを満たすためには、事前にどれだけ相手の情報を仕入れてこれるか、マウンドにいる投手の動作や癖をどれだけ観察できるか、バッテリーの駆け引きを読み切れるかが重要。そういう情報収集を行う上では、身体が一塁方向に向いてる左投手の方が、情報量がより多い……ってことなんやろうな。投球動作は全身を要するからこそ、表情とかそういう思わぬところに癖が出ることもあるんやし。
視覚的に一塁方向を見やすい分、意識そのものはホームへより向かいやすくなってしまうため、隙を付きやすい……とかもありそうやな。
妃房もまぁ……あれだけのセンスの持ち主やし、牽制もクイックも致命的に下手ってわけでもない。そんなんやったらそもそも高卒1年目からいきなり一軍のローテに入ったりできひんしな。
せやけど、やっぱり不慣れの付け焼き刃と言わざるを得んな。並の相手に釘を刺すくらいのことはできるけど、騒速クラスの相手となると、牽制が遅延行為にしかなってへん。
それに、そっちにばっかり意識がいってるさかい……
「引っ張った!これは大きい!」
「「「うげっ!!?」」」
「右中間破った!一塁ランナー、三塁蹴って一気にホームへ!」
「セーフ!」
「打った草薙も二塁へ!1-1、エペタムズ、ここで追いつきました!」
「ナイバッチ!」
「さすが北の天才打者!」
「まぁど真ん中やさかい」
ランナーおらん時は問題ないんやけど、こういう状況やとどうしても投球への集中が乱れがち。細かいところに気を遣えるようになったのは前進っちゃ前進やけど、せっかくの球威を損ねたら本末転倒。
(くそッ……!これじゃまた月出里逢に勝てない……!!)
……原因は間違いなく、先々週の試合。意識してる相手にヒット全部実質スリーベースにされたのがよっぽど堪えたっちゅーことやろうな。
「……ミラー監督」
「ん?」
「投手起用についてお願いしたいのですが……」
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******視点:妃房蜜溜******
「ライトの前!」
「ぎゃあああああ!!!!!」
「ホームイン!一塁ランナーは三塁ストップ!打った騒速も一塁ストップ!エペタムズ、さらに2点追加!5-1!!突き放しますッ!!!」
「(アカン)」
「今日のクイーンはハズレ日なんだ……(ヽ*´○`*)」
「前もこんな感じやったやん……」
……打たれた。また、肝心なところで甘く入っちゃって……くそッ!
「5回の表、なおもツーアウト一三塁……おっと、ここでミラー監督が出てきて……」
「交代でしょうね」
「シャークス、選手の交代をお知らせします……」
まぁそうだよね、今日もこんな感じじゃ。誰が投げるんだろ?シュミット?二足さん?
「ピッチャー、妃房に代わりまして、綾瀬。ピッチャー、綾瀬。背番号18」
……え?




