第七十四話 どうしても欲しいもの(9/9)
「7回の表、バニーズの攻撃。5番ファースト、天野。背番号32」
「2-0、追いかけますバニーズ。先頭打者は今日5番の天野」
「お疲れ、逢ちゃん」
「お疲れ様です」
「バッティング良い感じじゃん」
「ありがとうございます。まだちょっと不安もあるんですけど……」
攻守交代でベンチに戻り、今日二遊間を組んでる火織さんと労い合う。
前の回のあの盗塁の後ホームには戻れず、それどころか1点を追加される始末。どこまでもドラマティックにはいかない。
「なかなか良い盗塁だったわ」
「はわっ!?」
びっくりした。もう片方の隣にはいつの間にか赤猫さん。
「あ、さっきはアシストありがとうございました」
「ちょっと空振りした程度よ。大したことはしてないわ」
何度も盗塁王を獲ってて、『バニーズの1番と言えば』では真っ先に名前が挙がるであろう赤猫さん。今日も1番だけど、今年はシーズン中盤までのあたしがまともに打ててた頃はあたしが1番、赤猫さんが2番っていうのが多かった。
「盗むのは火織ちゃんよりよっぽど上手いわ」
「むーっ……」
「ところで逢ちゃん、今貴女って19よね?」
「はい。今年度の内に20になるんですけど」
「盗塁王ってね、日本で今までの最年少記録は21歳なのよ」
「「!!!」」
「……大学出て社会人で野球やってようやくプロになれたあたしには最初から縁のないもの。正直羨ましいわ」
「なら尚更獲らなきゃですね」
「あら?やっぱり盗塁王獲る気なのね。今までおっかなびっくり走ってたのに……」
わざとらしい口調。やっぱりその辺わかるんだね、この人には。本職のリードオフヒッターなら、そんな姿勢でそんな記録に挑戦できることに思うところがあるのは当然だよね。走るのは基本的に勝てる勝負しかしないあたしなんだから。
「今のあたしが柳監督に手向けられるのはそれくらいしかないですから」
「……!」
「監督に……?」
「本当なら打つ方でも何でも一番になりたいんですけどね」
「……そう」
思ったよりあっさり退いてくれた。事実ではあるけど、こうなると監督の名前を使ったみたいでちょっと気が引ける。
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「バニーズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、■■に代わりまして、雨田。ピッチャー、雨田。背番号19」
「この回のマウンドには高卒2年目、2017年ドラフト1位指名の雨田が向かいます。昨シーズン最終戦でプロ初登板、今シーズンはこの試合が初登板となります」
「バニーズはここ数年、高卒の選手が早くから台頭してきてますねぇ。今年は少し苦しいシーズンになってしまってますが、こういうところでしっかり経験を積んで、チームの建て直しに貢献できるようになってほしいですね」
「おっ、メガネやんけ!」
「ようやく上がってきたか」
「雨田!風刃には負けてられへんで!」
来週くらいに先発を予定してる雨田くん。ビハインドだから調整も兼ねての登板かな?
春先からずっとまっすぐは良かったけど、逆に変化球が去年より制球が利かなくなってしまった。あたしが二軍にいる間の投球を見た限りではだいぶ修正できてきたみたいだけど……
「7回の裏、ビリオンズの攻撃。9番レフト、招福。背番号8」
「ボール!」
「ストライーク!!」
「うぉっ!?」
「2球目空振り!154km/h!」
「やっぱり良いまっすぐ投げますよねぇ。バニーズの先発陣は全体的にどちらかと言えばパワーよりテクニックな投手が多いですから、こういうタイプが1人いると心強いでしょうね」
「今のリリーフ陣で言えば早乙女とかですかね?」
「そうですね。彼女も今年勝ちパターンとして頼りになる存在になってくれましたし、彼もどんどん伸びていってほしいですね」
「……ボール!」
「あー、外。外れています……」
(やっぱり慣れないマウンドは難しいな……)
(クソ速ぇまっすぐでも、変化球が入らないなら……!)
「!ストレート打って……センターの前、落ちます!招福、今日初ヒット!」
「良いぞ招福!」
「盗んだれ盗んだれ!」
「10代の小娘なんかに負けるなよ!」
……よりによってこの人が出ちゃったか……
「1番センター、棟木。背番号55」
しかも絶好調ビリオンズの上位打線。
「ここで一塁牽制!」
「セーフ!」
!!!
「もう1球牽制!」
「セーフ!」
「警戒してますねぇ……」
「招福は今シーズン39盗塁、シーズン中盤までトップだった月出里をわずかに1つ抜いて1位となっております」
いつもランナー警戒よりホーム集中優先の雨田くんが、1球も投げない間に2回も牽制。初めて見た。
「……!」
雨田くんが一瞬こっちに振り返って笑ってみせた。
(風刃に勝つためにも、良い球を投げて打者だけ打ち取れればそれで満足みたいなことはもうする気はない。キミには紅白戦の時に秋崎とのデートを阻止してくれた借りがあるしね)
……イキリメガネだったくせに、粋なことするようになったね。
(冬島さん、ボクもやることはやりますから、いざという時は頼みますね)
(おう!)
「一塁ランナースタート!」
(クイックはそこまで得意じゃないけど、このまっすぐの速度、冬島さんの肩、それに月出里の俊敏な動きがあれば……!)
上出来だよ、メガネ坊やに若大将……!
(何……!?)
「アウトォォォォォ!!!」
「アウト!盗塁失敗!2017年ドラフト入団組3人がかりで招福の独走を阻止!」
「「「「「おおおおおっっっ!!!」」」」」
「やっぱすげぇな、去年のルーキー組……」
「全員当たり定期」
「この調子で逆転や!」
ま、この程度で油断なんてできないけどね。
(招福刺した程度で終わったと思うなよ……!)
「うまく拾った!」
棟木さんは逆方向に運ぶようになってシーズン安打数の日本記録を打ち立てた流し打ちの名手。でもそれを織り込み済みなら……!
「ショート捕った!」
「そんなとこから間に合うかい!」
「内野安打いただきじゃい!」
「!!!一塁送球……」
「アウトォォォォォ!!!」
「間に合いました!ツーアウト!!」
「「「っしゃあああッ!!!」」」
「イップス疑惑払拭や!」
「ちょうちょ復活!ちょうちょ復活!」
「ほんま鬼みたいな肩しとるな……」
(流石だ月出里……!)
あたしに向かって軽く手を合わせる雨田くんに、黙って『ツーアウト』のハンドサインをしてみせる。
"打つあたし"にまた期待できるようになったんだから、"守るあたし"も同じ。堂々とやればできる。もう縮こまったりしない。
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「アウト!ゲームセット!」
「ご覧頂きました一戦は、5-0でビリオンズの勝利となりました。本日のご観戦、誠にありがとうございました」
「やっぱり今日もダメだったよ(絶望)」
「まぁビリオンズがまくった方がリーグも盛り上がるやろ……(白目)」
「ちょうちょの復活が一番の収穫。キミたちはわからなくて結構」
シーズン終盤に最下位のチームと、今もなお優勝争い真っ只中のチーム。そう考えると順当すぎる結果。あたしの久しぶりのヒットと盗塁も、得点にすらならず、この試合での意味を失ってしまった。
だけど、あたしにとっては最後に一番にさえなれば意味を成す。それがあたし以外のためにもなると信じたい。
「チョリッス、お疲れ」
「あ、お疲れ様です」
「頭の怪我、大丈夫か?」
「はい。もう綺麗さっぱりです」
引き上げ途中に早乙女さんと相模さんに声をかけられた。
「……つくづく迷惑かけたね。悪ぃ」
「早乙女さん達は関係ないですよ。クビと罰金で済んだのに懲りなかったあの人が悪いんです」
「まぁ……月出里がどうにか戻って来れて良かったよ。流石にこんなんでレギュラー奪えても目覚めが悪すぎる」
まだわだかまりが完全になくなったわけじゃないけど、それでも桜井鞠にもう自ら縛られに行くことなんてないのに。ほんとお人好しな人達。
「お疲れ様です!」
「あ、卯花さん」
((……誰?))
遠征先だっていうのに、サンジョーフィールドよろしく通路で卯花さんと遭遇。
「狙い通り打てましたね!」
「はい。卯花さんのおかげです」
((あっ……ふーん(察し)))
二軍落ちが決まった試合ではそれどころじゃなかったけど、やっぱり好みの男に労われるのは良いね。ケケケケケ。
「ンじゃ月出里、お先〜」
「ヘッ!若いもん同士、ごゆっくりな〜」
空気を読んだのか、そそくさと先にロッカーに向かう早乙女さん達。ほんとお調子者な人達。
「卯花さん、明日も福岡来てくれますよね?」
「はい、もちろんです」
「すみません。ここ数日ずっと……」
「試合前にちょっと投げるくらいなら大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
多分ネットとかでも言われてるように、『ただでさえ不祥事続きで最下位濃厚なんだからせめて若手にタイトル獲らせてガス抜き』みたいな狙いもあるんだろうけど、それでもこんなに早く戻ってこれたのは卯花さんのおかげ。
旋頭コーチが『一度距離を取った方が問題を客観視できる』みたいなこと言ってたけど、今を思えばそうだったのかもしれない。プロ野球って基本的にずっと同じチームと勝負するから、対戦する投手もある程度固定されてくる。だから良くも悪くも慣れる。そんな中で、球威はプロのそれには及ばないけど色んな投球スタイルに触れ続けたことで、もう一度慣れのない状態で投手と向かい合えたのも、今日打てた要因だったのかもしれない。
「……それにしても、もう9月なのにまだまだ暑いですね」
「そうですね。しかもこの球場、夏はとことん暑くて冬はとことん寒いで有名ですからね」
「匂い、大丈夫ですかね?」
「うぇっ!?だ、大丈夫ですよ……その……いつも通り……」
じりじりと距離を詰めて……
「いつも通り?」
「あ……甘くて……良い匂いです……」
やっぱこの人ええわぁ……ケケケケケ。
すみちゃんの許嫁じゃないだけじゃなく、フリーなのも確定した。顔や口だけじゃなく、バッピとして仕事もできる。そしてこのヘタレ具合。文句なしだね。稼ぎがどれくらいかはまだわからないけど、あれだけ良い感じにバッピができるんなら今はいくらでもいいよ。今はね。
今あたしがどうしても欲しいものは『盗塁王』のタイトル1つだけだったけど、もう1つ増えちゃった。
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******視点:卯花優輝******
「はぁ〜……」
埼玉から福岡まで移動して、ホテルでようやく一息。ここ数日投げまくってるのも確かにしんどいけど、月出里さんのアレの方がある意味疲れる。
……嫌なわけじゃないんだけどね。おれだって男だから、あんな可愛い子に迫られたらむしろ嬉しいよ。嬉しいんだけど……
おれとすみちゃんのことで勘違いしてあれだけ気にしてたんだし、やっぱりそういうことだよね?おれの自意識過剰とかじゃなく。
あんなにまっすぐで一生懸命な子、眩しくないわけじゃない。あの子には幸せになって欲しいし、できることなら幸せにしたい。だけどそういう子だからこそ、実家のこととかで迷惑をかけたくない。
スマホの写真フォルダを開く。開幕戦の夜に送られてきた、ちょっときわどい月出里さんの自撮り。条件反射で最初に直接顔を合わせた時の下着姿とか、先月のあの事件の時の全裸とか、迫ってきた時の色っぽい表情とか、頭の中が月出里さんでいっぱいになってしまう。
下腹部に手を当てる。やっぱりそうなるよね。身体は正直。こうなるってわかってるのにこんなのを後生大事に取っておくなんて。未練しか残らないのに。
「ごめん……」
する前の、本当に何の意味もないお決まりの文句。頭の中で『月出里さんが悪いんだよ』って言いつつ結ばれるのは、今日に始まったことじゃないからね。




